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飽食批判の歴史

ヴァレリオ・マッシモ・マンフレディ著、草皆伸子訳『アレクサンドロス大戦記 3 永遠の帝国』(徳間書店、2000年)には「道には兵士達が行きかい、虐殺や暴行、飽食のかぎりをつくしていた」とある(180頁)。

ここでは飽食が虐殺や暴行と並ぶ行為として位置付けられている。兵士による殺戮と暴行とは、その残虐性において比類ないものである。飽食の実態は、それらと並ぶほどグロテスクなものであった。飽食のシーンは胸が悪くなりそうになる。


古代ローマでは美食を続けるために嘔吐したとされるが、愚の骨頂である。藤栄道彦『最後のレストラン 1』「ガイウス・ユリウス・カエサル様」では古代ローマの飽食を退廃と説明する。「満腹になると奴隷に口の中に孔雀の羽を突っ込ませて吐くのです。そしてまた食べる。退廃を象徴する光景です」。無表情な前田あたりの説明で飽食の虚しさが実感できる。


古代中国の商人の道徳では飽食を否定する。「飲食の贅沢をせず、欲望を節制し、粗服をまとい、使用人たちと苦楽をともにしてはたらく」(津本陽『秦の始皇帝』角川春樹事務所、1999年、23頁)。贅沢な飲食を避けることが奨励された。質素な生活態度を持ち、浪費を避ける姿勢を示すものである。自身の生活様式を控えめにし、物質的な贅沢を追求しないことが重要視された。質素な服装を好み、高価な服飾品や派手な装飾を避けることが奨励されした。外見の華美さを重視せず、内面的な質素さや謙虚さを大切にする姿勢を反映している。


平安時代の日本には差別や搾取、不公正が渦巻いている。その象徴が貴族の飽食である。「貴族の食事には飯の他に十ほどの副菜がつく。まず一碗に沢山盛りつければ盛りつけるほど美しいとされている。白米に至っては碗に抑え込んで、一尺(三十センチ)ほどの高さに盛り上げるのだ。全て食うならまだ良いが、どの碗も皿も一口、二口箸をつけてその大半を残す」。これは「意地汚い」と批判された(今村翔吾『童の神』角川春樹事務所、2018年、60頁)


フランス革命の原動力は王侯貴族の飽食への反発である。佐藤賢一『二人のガスコン』ではパリ市民が王侯貴族の宴会に抗議する。ルイ14世時代の物語であるが、既にフランス革命に至る社会矛盾が醸成されつつある。

「有限なものが多い資源を湯水のごとく消費している人類の姿は、これを一人の人間にたとえてみるなら、限られた食料庫の内容をチェックしないまま連日パーティーを続けている愚かな富豪と少しも変わらない」(瀬木比呂志『民事訴訟の本質と諸相 市民のための裁判をめざして』日本評論社、2013年、100頁)


20世紀前半を生きたメキシコの画家フリーダ・カーロは「何千何万という人が餓死しているときに、金持ちはパーティーに明け暮れている」とアメリカ社会を批判した(マリア・ヘッセ著、宇野和美訳『わたしはフリーダ・カーロ 絵でたどるその人生』花伝社、2020年)。日本でも子ども食堂など食の課題の課題はあるが、飽食を贅沢とする不健全な感覚が残っている。フリーダが現代日本を見たら、アメリカ同様批判するだろう。


米ニュージャージー州オールドブリッジの森で重さ約135-180kgに相当するとみられる大量のパスタが廃棄された(「森に廃棄された大量のパスタ、現場の画像に反響 米ニュージャージー州」CNN 2023年5月6日)。大量のパスタが川の岸に沿って小山のように積まれた。飽食の害悪である。



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