辛さは味覚ではない
調味料よりも素材の味を楽しみたい。大石賢一作、はしもとみつお画『築地魚河岸三代目 1』「お馴染みさん」には「素材を食べるんであって調味料を食べるもんじゃない」との台詞がある。特に辛い調味料の刺激を与えることが料理と思っている向きへの皮肉になる。辛さだけを与える料理はグルメではない。
良い鮨屋は天然の本ワサビを使用する。粉ワサビは辛さだけが際立つ香辛料であるが、本ワサビにはほのかに甘い味があり、鮨を引き立てる調味料である(早川光原作、橋本孤蔵漫画『江戸前鮨職人きららの仕事 1』集英社、2003年)。単に辛いだけでは深みがない。辛さ以外を楽しむことが重要である。
花形怜原作、才谷ウメタロウ画『本日のバーガー』(芳文社コミックス)のベトナム料理のフェアの社長の主張は正論である。「アジア料理といえば唐辛子という発想が浅はか」は正しい。辛さの刺激で特別な料理を食べたつもりになるならば、食材を味わっていない。
「本場の物が日本人の舌に合うはずがない」との指摘も正しい(『本日のバーガー 4』)。アジア料理の辛さは遺伝子レベルで受け付けないことがある。この社長は朝令暮改と批判される(『本日のバーガー 5』)。しかし、それは顧客志向であるためである。最初に立てた計画に固執し、状況の変化を無視する公務員感覚の対極にある。
SF作品にも本場の味そのままでは良くないとの指摘がある。「本場の味をそのまま再現したら、おそらくは彼女の口に合わない。だから同盟の菓子とちょっと違う、帝国っぽい味を演出しながら、同盟の人間がおいしいと思えるように仕上げる」(石持浅海「士官学校生の恋」『銀河英雄伝説列伝1 晴れあがる銀河』創元SF文庫、2020年)。「本場の味」は「本場」で食べるからこそ「本場の味」である。
冷やし中華Chilled Chinese noodlesは夏の風物詩である。中華麺をゆでてから冷水で冷やす。エビやハムなど具材を載せる。醤油やゴマをベースにしたタレをかける。タレには酢が入っているため、唾液が出る。これには食欲増進作用がある。辛い調味料を入れるものもあるが、私は好まない。辛さは素材を味わう上で余計である。
冷やし中華は暑い時期に食べられるもので、夏バテ防止に効果がある。冷やし中華は中華とあるが、日本の食文化として定着している。その背景には日本人の食に対する探究心の強さにあるだろう。日本人は昔から様々な食材を食べてきた。そして、新しい料理を作り出してきた。それは冷やし中華も同じである。冷やし中華は日本人の舌に合うように改良されてきた。