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美味しいものが好き

私は美味しいものが好きだ。それは私にとって自然なことだ。美味しいものを食べたら嬉しいし、美味しいものを食べたいと思うことは自然だ。私の好みは一般的ではないかもしれない。だがそれでも構わないと思っている。AさんとBさんの2人がいて、それぞれ全く同じ牛肉を食べていたとしても、それぞれの好みの味付けが違うため、どちらの方がより美味しく感じるかは人によって異なるだろう。


私には私の好みがあり、それを否定することはできない。私は私の好き勝手に生きている。誰からも指図されたくない。誰にも否定されない自由を謳歌している。値段のような尺度に左右されることなく、自分の意思に従って生きていく。そんな人生を送りたいと願っている。


嫌いなものは飽食や無駄遣いである。ただ単に不愉快であると言ってもいい。ただ単に嫌いであると言ってもいい。堅実な消費者感覚から値段と味や品質が比例しないコスパ(コストパフォーマンス)の高い店を応援する。その分だけ懐も痛まないのだから、財布にも家計簿にも優しい。


「安かろう悪かろう」も高過ぎる食材も消費者からソッポを向かれる。「高ければいい物、安物はそれなり、高ければ信用できる」は幻想である。材料に拘らなくとも、かける手間暇と何より籠める心さえあれば料理は美味しくなると言ってしまうと逆に精神論根性論に陥ってしまう。むしろ、安価な素材でシステマティックに効率的に作る料理も非常に美味しい。


「美味しいものは美味しい」は当たり前のことである。「美味しい料理は、美味しい料理だから美味しい」は、当たり前のことである。この「美味しい」は主観的なものである。美味しい料理は美味しい料理だ。美味しい料理は美味しい料理なのだ。食材の値段で決まらない。「美味しい」は、美味しいものを食べたときに「美味しい」と感じられるだけの心があるから言えることである。


リーズナブルな食材を美味しく食べることに意味がある。「トリュフ、オマールエビ、キャビア等の贅沢な食事はもちろん美味しいものです。でもじゃが芋や玉ねぎのグリルでも、実は唸るほど美味しくできます」(ドミニック・ローホー著、原秋子訳『少ないもので料理する シンプルな台所で、ミニマム・クッキング』幻冬舎、2021年、208頁)。


価格は高ければいいというものではない。自分の価値観で良いものは良い、美味しいものは美味しいと言う。自分の感性と直感は誤魔化せない。値段は所詮、世の中の物差しに過ぎない。自分の物差しではない。それに振り回されることは本来の意味の利己的ではない。他人と比べて優越感を持つことや他人を羨ましがらせることでは他人に振り回されたままであり、自分が楽しいと思えることではない。自分の価値観に忠実に生きる。


そうすれば人は自然と楽しく生きていける。それが人生なのだ。私は、とても気分が良い。何故だろうと考えるまでもないではないか。自分というものを取り戻したからだ。私の人生の中で大きな節目であるように感じるのだから。これからも私は生き続け、色々な出来事に出会うと思うし、そのたびに自分について考えるようになると思うが、「自分らしさ」「個性とはこういう事だ!」ということを大事にしていければ良いなと思うのであった。それこそが私が求める「楽しい生き方」でもある。


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