十年越しの返事
「なぜ、俺はこんな恰好を……」
夕食も終わりきらないうちに女官たちに呼ばれ、部屋を移動してみれば懐かしい戴冠式の衣装。
懐かしいな、なんてザカートが眺めていたら、あれよあれよと手際のよい女官たちによって着替えさせられてしまった。
……なんでいま、これ?
「ザカートさんの正装姿、僕も久しぶりに見ました」
夕食を終え、ザカートの正装を見てフルーフが称賛する。ジャナフとカーラもやって来て、珍しい格好だな、とからかうように言った。
竜のセイブルは、ぱたぱたとザカートの周囲を飛び、感激していた。
「なんと威厳のあるお姿でしょう。とても素晴らしいです!」
「そうか。ザカートが正装した姿を見るのはおまえは初めてだったな。ザカートは普段からろくに着飾らんから、この姿はなかなかレアだぞ」
ジャナフが笑い、そう言えば、とカーラが呟く。
「姉者も、ザカートの正装姿は見たことがないはずだ。せっかくだから、姉者も呼んで――」
言っている間に、部屋にフェリシィとセラスが入ってくる。
いらっしゃいましたわ、とフェリシィが言い、セラスも何やらニヤニヤしている。その様子は気になったが、カーラはフェリシィに声をかけた。
「丁度良かった。姉者を呼ぼうと思っていたのだ。ザカートのこの姿を見せてやろうと……」
「承知しております。ローザ様から聞かされ、私たちも急いできたところだったんです――さ、ライラ様」
リラも一緒だったのか。
と、振り返ってみれば、リラはまだ部屋の外だった。はよう来い、とセラスが腕を引っ張り、渋々、リラも部屋に入ってきた。
入ってきた彼女の姿を見て、その場にいた男たちは目を丸くする。
ザカートが着ているものにも劣らぬ、美しいアリデバラン風のドレス。
気品のある美しくも壮麗なドレスを、リラは見事に着こなしている――ぶすっとした表情でなければ、完璧だ。
「ライラ……とても綺麗だ」
リラのドレス姿に、ザカートも見惚れてしまう。褒められたリラは、まだぶすっとした表情だった。
「……おまえもよく似合ってる。絵のおまえよりもずっと、本物のおまえのほうがかっこいいよ。でも……なんでオレまでドレス着させられてるんだ?」
なるほど、とザカートは納得し、苦笑いする。
恐らく、ザカートのこの着替えはリラのリクエストだ。戴冠式の絵を見て、正装姿を実際に見てみたいと話したのだろう。それで、ローザが気を利かせた――二重の意味で。
「これ、ローザのドレスじゃないのか?オレみたいな人間が気軽に着ていいものじゃないだろ」
「いえ」
ルークが首を振る。
「それはアリデバラン皇女のためのドレスではありません。アリデバラン皇后のドレスです」
「よりしんどいやつじゃねえか!」
ドレスの正体を知ってリラは青ざめているが、ザカートは幸せそうに笑う。
「俺は、おまえがそのドレスを着てくれて嬉しい――そうだ。たしか、ローザは宮廷画家を雇っていたはず……二人で一緒に絵を描いてもらおう」
「えーっ!?肖像画のモデルとか、オレには絶対無理だって!」
リラの文句をスルーして、待ってましたと言わんばかりに画家がささーっと部屋に入ってくる。ローザがしっかり呼んでおいたらしい。絵のための部屋までセッティングされていて……自分の行動パターンはすべてお見通しか……。
「絵のモデルって……どれぐらいかかるんだ……?」
「彼は腕がいいから、たぶん、一時間もあれば――」
「一時間!?そんなにじっとしてられねえよ!」
文句を言い続けるリラをなだめすかして、なんとか描き上がった一枚。
自分の部屋で、ザカートは完成した絵を眺めていた。
――このドレスは綺麗だけど、オレ、自分が着るならやっぱマルハマのドレスのほうがいいな……。
絵を描いている間に、ぽつりとリラが呟いた言葉。ジャナフとカーラも、おおいに同意していた。
彼女に似合うのは、マルハマのドレス。それはザカートも否定するつもりはない。ただ、このドレスは特別だから……アリデバラン皇帝の――自分の対となってくれる女性にしか、着ることが許されないドレスだったから……。
部屋の扉をノックする音が聞こえてきて、ザカートは見ていた絵から顔を上げた。
「ライラ」
ザカートが返事をするより先に扉が開き、ちょこんとライラが顔をのぞかせる。
もちろん、ザカートは彼女を咎めることなく招き入れた。
「その衣装……」
「へへ。ローザがマルハマのドレスも持っててさ。一着、オレに貸してくれたんだ」
繊細な刺繍の入った、白いマルハマ風ドレス。
……やっぱり、リラにはこの衣装が一番しっくりくる。自慢げに笑うリラに、ザカートも笑った。
「俺に、わざわざ見せに来てくれたのか?」
「おう。見せびらかしついでに、夜這いしに来た」
あっけらかんとそんなことを言ってのけるリラに、ザカートは目を瞬かせ、それから苦笑する。
「俺たち、絶交したんじゃなかったのか?」
「お。そう言えば、そういう設定だったな。だったら絶交取り消し!仲直りしようぜ」
「そうか。仲直りしてくれて、ありがとう」
かなり勝手な言い分だが、こうやって彼女に振り回されるのもいつものこと――そんな何気ないやり取りが、とても楽しかった。あの頃は、こんな日々がいつまでも続くと思っていた……。
二人で笑って、会話が途切れる。でも、不愉快な沈黙ではなかった。
愛情のこもった目で自分を見上げるリラを、ザカートもまっすぐ見つめて。
リラがそっと近寄ってきて、ザカートの胸に手を伸ばした。背伸びをするリラをザカートも抱き寄せ、唇を重ねる。
触れるだけの拙い口付けだが、リラから求めてきてくれたことが嬉しくて、ものすごく幸福な思いで目を開いたら、彼女も目を開け、間近に見つめ合うことになってしまった。
紫色の、澄んだ瞳……魂を吸い取られたように彼女の瞳を見つめてぽーっとしているザカートに、リラが囁いた。
「……ザカート。オレも、おまえのことが好き」
一瞬、何の話をしているんだ、と反論しそうになった。間違いなく、それは自分が聞きたかった台詞なのだが。
まさか彼女が本当にそれを口にしてくれるとは思わなくて。
「あの時の返事。十年も待たせちゃって、ごめんな……」
そう言ったリラは、顔を赤くしていたけれど、ザカートから視線を逸らさず、幸せそうに笑っている。
肝心のザカートは返事ができなくて……何か言わなくては、と思うのに、言葉すら思いつかなくて。おろおろと視線をさまよわせていたら、自分の手が光ってリラが盛大に焦り出した。
「オレを殺す気か!?」
「わ、悪い……。だいぶ使いこなせるようになったけど、勇者の力は俺の感情に反応してるから……その……恋愛に関しては、俺は十年前からほとんど成長していない状態だから……大目に見てくれ……」
情けないが、リラからの返事をもらって、自分はすっかり舞い上がり、喜びが抑えきれないらしい。
リラが眉を八の字にし、呆れたように言った。
「なんとかコントロールできるようになれよ。愛するオレのために」
「頑張る……」
でも、依然として勇者の痣は光を放っている。
リラと離れたくなくて彼女を抱きしめたままだが、やっぱり離れるしかないだろうか――と思っていたら、自分の手にリラが手を伸ばすのが見えて、今度はザカートが盛大に焦った。
おい、とリラを止めようとしたが、やっぱり彼女のぬくもりが恋しくて、離れがたくて。そっと手が重なるのを、ドキドキしながら見つめていた。
「……なんだ。ちゃんとコントロールできてるじゃん」
リラが笑い、ザカートの手を握って指を絡める。ザカートも、恐るおそるリラの手を握り返した。
勇者の光はリラを拒むことなく、彼女の手を包んでいる……。
「勇者の光……あったかくて、優しくて……おまえみたいだな」
ザカートの胸にすり寄り、リラが言った。
彼女が、完全に自分に身を委ねてくれている……それを実感すると、ザカートも幸せで堪らない。
よりいっそう彼女を抱き寄せ、光が消えつつある手でリラの頬に触れる。もう一度、彼女に口付けた。




