回顧録・さらば、相棒
――だが、どうすればいい?どうすれば助けられる?
退魔の剣を握り締め、ザカートはぎゅっと唇を結んだ。
妹を助けたい。諦めたくない。
……だが、どうやったら助けられるのか……。
「ザカート」
カーラが、再び声をかけてきた。今度は振り返らず、ちらりと視線だけ動かしてカーラを見た。
「いまは考えるな。妹を助け出すと、そのことだけを考えろ。おまえはもう、助け出せるだけの力を持っている。オレを助けてくれたではないか――姉者を救ってくれと懇願した、あの時」
……そうだ、とザカートは心の中で頷いた。
あの時――ライラが魔に心を取り込まれてしまった時、どうやったら助けられるかなんて分からなかったけれど、とにかくザカートは動いた。
ライラを助けたい、それだけしか考えられなかった。他のことは、考えなかった。
助けられるかどうかなんてどうでもいい。自分がやるべきことは、ライラを絶対に助け出すこと。
だからきっと、今回も。
俺は、ローザを助ける。俺なら助けられる。
勇者の俺なら……。
不意に、ザカートは胸の鼓動が強く脈打つのを感じた。
いや……この鼓動は、自分からではないような。ザカートは自分の手を見下ろした。
誰かが何かを訴えている。
腰に提げた剣から……マルハマ王から譲り受けた退魔の剣ではない。
古びたおんぼろの剣。
アリデバランを出る時に持ってきたもの。
――大した武器ではありませんが、なかなか頑丈です。いまの私よりは、ずっと役に立つでしょう……。
そう言って騎士が差し出してくれた剣。
名のある優れた武器というわけではなく、アリデバランに仕える騎士全員に与えられる、大量生産で作られた名もない剣だ。この武器に与えられた役割は一つ――主の盾となり、その身に代えてもアリデバランを守ること……。
「……そうか。おまえは、最後の最後まで、身をていして俺たちを守ってくれるんだな……」
退魔の剣は収め、最初の剣を取り出す。ザカートは、真っ直ぐにローザと向き合った。
「殺すのね……私のことも。あなたのせいで何もかもを失った私から……お兄様は、命まで取り上げるのね……」
「いいや。俺はおまえから何も取り上げたりしない」
もうローザの言葉に惑わされたりしない。
いや、最初から分かっていたこと――ローザの姿をし、ローザの声でザカートを責めるが、ローザの言葉ではない。
勇者に妹と殺し合いをさせようとする、魔王クルクスの卑劣な罠。もう迷ったりしない。
「大丈夫だ。ローザ、おまえは必ず俺が助け出す」
剣を構え、真っ直ぐローザを見据えてザカートが言った。
ローザ……彼女を操る者も、勇者の本気、勇者の決意を悟って顔色を変える。もう揺さぶりは利かない――勇者は、妹にトドメを刺す気だ――。
「ちっ……!」
「おっと、逃がすか!」
ジャナフと共に砕いていた氷の盾に、ありったけの力を込めた蹴りをお見舞いする。
ダイヤモンドダストを起こし、その輝きに紛れて身を隠す。さっきから、ローザはこれで何度かライラたちの攻撃を回避していた。
だがこの回避方法、意外と隙も多い。ダイヤモンドダストを起こすためには、魔力を集中させなくてはならない――氷の盾の修復に、大きく時間がかかる。
氷の盾はほとんど砕け散ってしまい、ローザには剣を振りかぶるザカートの攻撃を防ぐ術がない。もう一度氷の剣で防いでみようとするが、迷いを捨てたザカートは氷の剣を容赦なく薙ぎ払い、自身の剣をローザに向かって振り下ろした――。
「アアアアアァァァ……!」
甲高く、耳障りな悲鳴があたりに響き渡る。ライラですら、思わず耳を塞いでしまった。
自分も後押ししたとは言え……ザカートは剣を、思いきりローザの胸に突き立てている。大丈夫なのかな、とライラもちょっとだけ動揺してしまう。
ザカートが剣を引き抜くと、ローザの身体はどさりと力なく地面に崩れ落ちてしまった。
剣は、血にまみれ……いや。
血ではない。ドス黒く変色している。ザカートが痛みに顔をしかめて剣を手離せば、剣はひとりでに宙に浮いていた。
剣を握っていたザカートの掌は、火傷でもしたかのように焼けただれている。
「その剣は……おまえの妹の、身代わりになったのか」
真っ黒になった剣を見て、カーラが言った。
身代わり?と首を傾げるライラの疑問に答えるように、カーラが説明を続ける。
「呪いや、魔の力の身代わりとなる道具が存在することは姉者も知っているだろう。どんなものでもいいわけではない。その道具自身に、強い力が必要になる。一部とは言え魔王クルクスの魔の力――身代わりになれる道具など、本来なら存在するはずがない。クルクスに対抗できるはずがないのだから」
「しかしこの剣は、身代わりの役割を果たした」
セラスも寄ってきて、剣から十分に距離を取って観察する。
黒い剣は宙に浮いたまま、何かに抵抗するようにカタカタと小刻みに震えていた。
「長年に渡り、ザカートを守り続けてきた剣だ。もとはアリデバラン皇族を守るために作られた武器なのだろう?皇女ローザを守るために、己の役目を果たそうと、限界を越えた力を発揮したに違いない」
ジャナフも感心しているようだ。
魔に取り込まれてしまったローザを助けるため、ローザを助けたいザカートのため、剣は身代わりの役目を果たした。見上げた忠誠心……さすがに、長い間、ザカートの護衛兼相棒を務めていたことはある。
「ですが、この剣、どうやって破壊しましょう?身代わり人形というのは、安易なやり方での破壊は危険とされていますが……」
フルーフは悩んでいたが、ライラはすぐにピンと来た。
きっとこの剣の壊し方は……。
「ザカート」
「ああ」
ライラが声をかければ、ザカートもとうに理解しているようで、マルハマ王から譲り受けた退魔の剣を取り出した。
「今度こそ、この剣の出番だ――こいつも、きっとそれを望んでいる」
ドス黒い剣を見つめ、ザカートが言った。
皇女ローザの身代わりとなり、自身の中に封じ込めた魔王の力ごと、勇者によって破壊される。その役目を、剣は理解しているかのようだった。
退魔の剣を握るザカートの手――勇者の痣が光る。真っ黒に染まった剣は、覚悟の一撃を受けるかのように、退魔の剣の攻撃を受けて粉々に散っていった……。
「あっ。ザカート様!ローザ様が!」
地面に倒れ込んでしまったローザを介抱していたフェリシィが、興奮した様子で声をかけてくる。
ザカートもすぐに妹に駆け寄って、膝をつき、彼女の顔を覗き込んだ。
ザカートが抱き起せば、ローザがわずかに身じろぐ。ローザ、とザカートが妹に呼びかけた。
ローザはゆっくりと目を開き、大きく息を吐いて……兄を見つめ、涙を溜める。
「……嘘よ」
涙に声を震わせながら、ローザが言った。
「お兄様が死ねばよかっただなんて、そんなこと。私、思ったことない……」
「分かってる――分かってるさ……」
安心させるように妹に向かって笑い掛けながらも、ザカートの頬を堪えきれない涙が伝う。
……意外と、ザカートは泣き虫なんだな。ライラは心の中で思い、こっそり笑った。
「兄妹なんだぞ……?俺に、分からないわけないじゃないか……。おまえの本心ぐらい……ちゃんと分かっている……」
言いながら、ザカートは妹を抱きしめて泣き出してしまった。ローザも必死に兄に抱きすがり、声を押し殺して泣いていた。
いつの間にか姿を現したブルーパンサーが、泣きじゃくる兄妹に近付いてきて、そっと寄り添う。
ようやく、ザカートはアリデバランに帰ってきた。
家族のもとに、帰ってくることができたのだ……。




