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聖なる力


「……聖女よ!」


女神の怒りを表しているのか、祭壇に差し込む光がギラギラと嫌な感じになっている。

フェリシィもそれを感じ、少し後退りながら女神に返事をした。


「愚かな王を戴き、お前たちの私に対する信仰心は薄れてしまっている。私の力も、プレジールに届かなくなっている。力不足などと言われるのは腹立たしいが、私の力が正しく伝わらぬようになったのは事実。プレジールの聖女として、神の言葉を伝える者として、おまえはその役目を果たすのだ!」

「は、はい……私で、できることでしたら……」


フェリシィは頷くが、頷いてはダメだ、とリラは思った。何を要求するつもりなのかは分からない。でもきっと、ろくなことではない――。


「おまえの娘を、贄に捧げよ」

「えっ……」


一瞬、フェリシィの頭は考えることを拒否したようにも見えた。女神の言葉に目を丸くし、自分が何を言われたのか、茫然となりながら考えているようだった。


「汚れなき魂を神に捧げ、おまえたちの罪を、その魂に贖わせるがよい。純粋無垢な幼子の魂なれば――おまえの娘だ。並の子よりも価値があろう」


ようやく女神の言葉の意味を理解し、フェリシィは娘に振り返る。

フェリシィの娘は、リュミエールと共にいた。自分をしっかり抱きしめる父の腕の中で、幼いライラは状況が呑み込めずきょとんとしている。

フェリシィの顔には、はっきり拒絶の意が……。


「女神よ。罰ならば、どうか私に!幼い姪が、私の身代わりになるなど、そんな……」

「自惚れるな!何の価値も持たぬおまえの魂など!」


ライジェル王が懇願するが、女神は取り付く島もない。

一発ぶん殴ってやろうか、という物騒な考えがリラの脳裏によぎる。リラに矛先が向けば、幼いライラのことはうやむやになるのでは……。


「お断りします。そんな交渉、ふざけてるんですか」


誰も返事ができずにいる聖堂に、男の声が響く。視線がまた集中し、全員が振り返る。

不愉快そうに、女神も彼――フルーフを睨んだ。


「ライラは、我がグリモワール王家の血を引く姫でもあるんですよ。それを――グリモワール王の前で、プレジールの生贄になんてそんなこと、認めるわけないでしょう。例えフェリシィさんやライジェル王が了承したって、僕が許しません」


女神は明らかにフルーフへの敵意を高めているが、リラたちは少しだけホッとしていた。


プレジールの守護神に選ばれて聖女となったフェリシィに、先ほどの女神の言葉に答えられるはずがない。否とも、是とも――娘を贄になど差し出せるわけがないし、だからと言って、女神に逆らうなんて。

女神の関心が、フルーフに向いているのは悪くない。というか、それが目的でフルーフは女神を挑発しているのだろう。


「兄上。ライラを連れ、外へ……いえ、グリモワールへ帰ってください。こんな神がいる国に、ライラを置いておくわけにはいきません」


フルーフに言われ、リュミエールは一瞬だけ迷う様子も見せたが、娘を抱きかかえて出て行こうとした。

待て、と女神が叫ぶ。


「プレジールの神に逆らう気か!」

「兄上、グリモワールの王としての命令です!プレジールの神の言葉など、グリモワール王の権威の前に通用しません!」


リラたちは、ハラハラしながらフルーフと女神の口論を見守ることしかできなかった。

フルーフが矢面に立つ役目を引き受けた以上、リラたちにできることは、最悪の事態になった時にフルーフを助けることだ……。


女神がフルーフに気を取られている間に、兄リュミエールはライラを連れてそっと出入り口へ向かっている。


女神はリュミエールを睨んだ。

途端、地面から不吉な響きが聞こえてきて……。


足元から、魔物の唸り声のようなものが聞こえてくる。だが、この感覚は日本にいた頃でも経験したことがある。日本でも、時折発生することがあったから。


「地震……!?」


リラがそう予期するが早いか、建物がひっくり返るような揺れが襲ってきた。まるで地面が爆発したような、突然の激しい揺れ。立っていることすらできなくて、聖堂中のほとんど人間がひっくり返り、地面に這いつくばっている。

まだ大きな地震からの復興途中にある建物だ。天井から剥がれ落ちたものも落ちてくる。


「セラス様、私の身体を大きく――皆さん、私の身体の下に――!」


セイブルが叫び、竜の身体が大きくなる――ザカートたちは急いでその下に身を潜ませる。

けれど、フェリシィやライジェルは離れすぎている。この揺れの中では、避難してくることもできなくて。


「フェリシィ!ライジェル!」


祭壇の近くにいる二人の頭上に、祭壇に飾られた像が落ちてくるのが見えて、リラは飛び出した。

女神を模したらしき像はビクともしないが、女神の子分みたいな天使像がいくつも落ちてきている。その像から、リラは二人をかばう。

大したダメージではないけれど、やっぱり痛い。


「兄上!ライラ!」


フルーフが叫ぶ声が聞こえた。

出入り口近くにいたリュミエールに、すでに歪になった大きな柱が倒れ込んでくる。リュミエールも、腕に抱えた娘を守るのが精いっぱいで歩くこともできない。

そんな二人をかばったのはジャナフだ。


柱からリュミエールをかばうも、地面に叩きつけられた衝撃もあって柱が折れ、ガレキの中に三人は埋もれてしまった。


「ライラ、おまえから先に……!」


ガレキの隙間から、幼いライラがひょっこりと姿を現す。小さなライラなら、簡単に抜け出すことができるようだ。

ガレキがもぞもぞと動いているから、中でジャナフが抜け出そうともがいているのだろう。リュミエールがいるから、いつもよりはちょっと慎重に。


「ライラ!こっちへ来なさい!」


揺れが収まり、フルーフがまた叫ぶ。幼いライラは、叔父の指示に従ってこちらへ走り出した。

再び建物がひっくり返ったような揺れが起き、幼いライラは耐えきれず転んでいた。


「ライラ、だめ――!」


フェリシィが叫ぶ。


倒れ込んだ幼いライラの上に、ガレキが降り注いでくる。天井のステンドグラスが崩れ、支柱や周囲のガレキと共に落下してきた。

幼いライラは、悲鳴をあげる間もなく――自分の身に何が起きたのかも分からないまま、ガレキの中へと姿を消してしまった……。


「そんな――そんな……いやああああああっ!」


娘の身に降りかかる悲劇を見ていることしかできず、フェリシィは半狂乱になって悲鳴をあげていた。


「くそっ!」


揺れが収まると、リラは自分に落ちてきた像をぶっ飛ばして一目散にライラが埋まったガレキの山に駆け寄る。積み重なった塊……自分ならまだしも、普通の人間……それも、小さな女の子がこの重みに耐えられるはずが……。


「ライラ!ライラ!」

「ええい、止めろ!まだ物が降ってきておるのだぞ――カーラ!こいつを止めておけ!」


フェリシィに劣らず、父親のリュミエールも半狂乱状態だ。ジャナフは竜のセイブルの下に避難しているカーラたちのほうにリュミエールを放り投げ、自分もガレキの山に駆け寄った。


「ライラ、ガレキをどかせるぞ!」

「分かってる……けど……」


自分とジャナフなら、こんなガレキを退けるぐらい楽勝だ。でもそれは、残酷な真実をフェリシィたちに突き付けることになるのでは――リラ自身、それを目の当たりにする勇気はない……。


「きゅ」


ガレキの山を前に立ち尽くすリラの耳に、間の抜けた鳴き声が聞こえてくる。

ん?とリラは眉をひそめた。よく見てみると、ガレキの一部がキラキラ光っているような……。


「親父、待った!」


とにかくガレキを退かそうとするジャナフを止め、リラは改めてガレキの山を見つめる。

かすかにキラキラ光る箇所をつかめば、箱の蓋でも外すように、すっとそこが外れた。そこそこの大きさの穴がぽっかり開き、リラは中を覗き込む。


「きゅ」


間の抜けた鳴き声が、また聞こえてくる。

ガレキの山の中は、キラキラと光っていて。幼いライラが、身を縮めてすっぽりとそこに収まっていた。ガレキの中に、ライラが収まるだけの隙間ができている。


「ライラ!手を伸ばせ!」


リラの声に幼いライラが顔を上げ、手を伸ばした。その手をしっかりつかみ、リラは穴を見た。さすがに、ライラを引っ張り出すには狭すぎるか。


「親父、ガレキを持ち上げてくれ」

「分かった――が、恐らく……持ち上げた瞬間に崩れ落ちるぞ」


ジャナフの言葉にリラも頷く。


奇跡的なバランスで保たれている隙間は、ちょっとしたことで崩壊してしまうだろう。一気に引っ張り出すしかない。

わずかな可能性に賭けて。

……でも、上手くいく確信が、リラにはあった。


「せー……の!」


掛け声に合わせてジャナフがガレキを持ち上げ、リラは幼いライラを引っ張り出す。

その瞬間に派手な音を立ててガレキは崩れ落ち、さらにぺしゃんこに潰れてしまった。


「ライラ!」


カーラの拘束から解放され、リュミエールが駆け寄ってくる。幼いライラに怪我がないことを確認し、リラは父親に娘を返した。


「ライラ!ライラ……良かった……!」

「お父様」


自分をぎゅうぎゅうと抱きしめる父親に、幼いライラもぎゅっと抱きつく。

そんな幼いライラとリュミエールの隙間からちょこんと顔をのぞかせ、きゅ、と聖獣ハミューが鳴き声をあげていた。


「なんだ、自分の手柄だって言いたいのか?ドヤ顔しやがって……生意気なやつめ」


リラが呆れたように笑って言えば、ジャナフが陽気に笑い飛ばす。


「実際に、このネズミの力のおかげであろう!いや、さすがはグリモワールの聖獣!」


聖獣ハミューが光を放つとき、聖獣に触れた人間に幸運を授けるという――。

ちょっとした幸運らしいが……そのおかげで、幼いライラは助かったわけだ。聖獣の力は、やはり侮れない――この間抜けな顔を見ていると、そんな気持ちもすぐに薄れてしまうけれど。


フェリシィも駆け寄ってきて、リュミエールが抱く娘に抱きつく。

お母様、と幼いライラがちょっと苦しそうに呟いていたが、それを気に掛ける余裕もなく、娘を夢中で抱きしめている。


潰れかけた聖獣ハミューはライラの懐から抜け出し、ライラの頭にまでよじ登って腰を落ち着け、やれやれといった様子で毛づくろいを始めてしまった。

……相変わらず、緊張感に欠けるネズミだ。


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