回顧録・夜空に消える
「フルーフ、無事か……!」
魔人ナールの爆発で吹っ飛んだ後、なんとか意識を取り戻し、カーラはフルーフを探した。
小柄な分、フルーフが一番遠くまで吹っ飛び、ダメージも大きかったようだ。
間近にいたのはジャナフとザカートだったのだが、大柄なジャナフがかばったのでザカートのダメージは大したことはなかったらしい。
カーラは吹っ飛ぶと同時に転移術でダメージを逃して……たぶん、ジャナフはもう限界だ。次の攻撃で体力も尽きる……。
意識は取り戻したが、倒れ込んだまま動けないでいるフルーフに治癒術を使おうとして、フルーフに止められた。
「カーラさんも、もう……。だから、僕の治療なんか後回しでいいです。それよりこれを……僕は、使えなくなってしまったので……」
左手で懐を漁り、フルーフは掌サイズの一際小さい銃を取り出す。
……フルーフの右手は、おかしな方向に曲がっていた。
「ミカさんから資料をもらって、作ってたんです。魔人ナールを封印する武器を……。本当は、もっとちゃんと研究して、ミカさんが作ったものより高性能なものを用意するつもりだったんですが……。とりあえず、数年間やつを封じ込めるぐらいのことはできるはず。呪術師のカーラさんだったら、きっとさらに効果が……」
身体が痛むのか、フルーフはそこで言葉を切り、顔をしかめて呻いた。
カーラは小さな銃を受け取り、立ち上がる。
「……弾は一発です……。すみません……急ぎだったので、それしか……」
「分かった――それで十分だ」
チャンスは一度きり。必ず、これでやつを仕留めなければ――狙うは先代マルハマ王が傷を負わせた背中。
フルーフも、そう思っていたからこの一発をなかなか撃てなかったのだろう。
魔人ナール。やつのスピードは、ジャナフでも追い切れない。
やつのスピードに対抗する手段は……カーラの転移術だけだ。
断末魔と共に光があたりを包み、大きく膨らんで……やがて弾けた。
爆風にも似た衝撃が走る。
ライラたちは両足を踏ん張ってそれに耐えたが……。
「ティカ様!」
フェリシィの声に振り返る。
ティカが倒れ込み、フェリシィは彼女の身体を抱き起して必死に呼びかけていた。
雨降らしの術は終わり、雲は吹き飛んで空が姿を現している。見える太陽は、西へと沈み始めていた。
「ばあちゃん!」
ライラが駆け寄り、それよりも先にジャナフが母を抱き起す。
ティカの術は、時間切れ寸前――ほんの少し先延ばしにしただけで、死を免れたわけではない。ジャナフの腕の中……彼女の身体は、すでに冷たい。
「……気にかけることはない。自ら招いた破滅だ」
ティカの声が聞こえたが、目を閉ざし、唇は動いていなかった。ライラたちの心に、直接語りかけているような、そんな不思議な声だった。
「ライラ……元に戻ったのだな。良かった……。すまなかった。わたしのせいで、辛い思いをさせてしまって」
「ばあちゃん……ばあちゃんが謝ることなんて……」
「いや、すべて私が悪いのだ。私がそなたの大切なものを傷つけ……そなたが抑え込もうとしてきたものを無理やり抉り出してしまった。今回のことは……すべて、私に原因がある……」
ライラはぐっと唇を噛み締める。
自分が暴走し、ティカを傷つけた――その隙に、ティカを殺そうと狙い続けていた魔人が動いた。そしてまんまと魔人に力を与えて……宮殿を……タルティーラの町を火の海にしてしまった……。今回のことは、本当は……。
「……そなたは、何も悪くない。神獣に選ばれし子らよ……。そなたたちは、間違いなくマルハマを救う子であった」
ティカがわずかに目を開け、かすかに笑う。その眼差しは、ジャナフを見ていた。
「マルハマの王ジャナフは……我が子を認めぬ愚かな母によって虐げられ、苦しめられ……そなたたちは、そんな彼を救うために天より遣わされた運命の子だったのだ……。やはり、神獣の選定は本物だな……」
鷹の鳴き声が聞こえる。
リーフが、どこかへ飛んで行く……。
「すまなかった、ジャナフ……。私を許す必要はない……。ただ……愚かな女も、最後にはそなたのことを認めるほど……そなたは、立派なマルハマの王であったと……それだけは……」
その台詞を最後に、ティカの声は聞こえなくなった。
しばらく、誰も何も言わず、動くこともできなかった。ジャナフは石のように冷たくなった母の身体を抱きしめ……やがて、静かに立ち上がる。
母を抱えたまま歩き出すジャナフを、ライラとカーラは追いかけた。
涙を拭うフェリシィの肩を、ザカートがぽんと叩き……互いに、何となく頷き合って。フェリシィはライラたちを追い、ザカートはフルーフのもとへ急いだ。
「大丈夫か、フルーフ」
まだ動けないでいるフルーフを抱き起し、ザカートが尋ねる。
ライラたちはきっと、宮殿へ向かったのだろう――神獣リーフが、そちらへ飛んで行くのが見えた。たぶんあれは、息を引き取ったマルハマ王に別れを告げに行ったのだ。
ジャナフたちも、王太后の遺体を王のそばへと連れて行ったに違いない……。
「すまない。俺は、人を治療する術は覚えてなくて」
一人旅が長かったこともあり、ザカートは自分を回復する術は覚えているのだが、他人を回復する術は学んでいなかった。
フェリシィやカーラからちょっとずつ教えてもらってはいたのだが、二人のレベルが高すぎて、まったく参考にならない。
「これを飲ませるがよい。もとは、こやつからもらったものじゃ」
すっと薬瓶を差し出され、ザカートの背後にセラスが立っていた。
ダメージは残っているようだが、とりあえず動けるまでには回復したようだ。
ありがたく薬を受け取ってフルーフに飲ませ……フルーフは、盛大に嫌そうな顔をする。
「まず……」
「そう思うのなら、次はしっかり味を改良しておけ。わらわも、その薬のまずさにのたうち回るはめになったぞ」
……魔人から食らった攻撃よりも、フルーフが作った薬のまずさのほうがきつかったらしい。
その薬を飲むような状況にならないよう、自分も気を付けよう。
フルーフを背負い、ザカートはセラスと共に宮殿へと戻って来た。
完全な崩壊を免れた町と違い、宮殿は焼け落ちてしまっていた。宮殿の人々は……負傷者は多いものも、火災の規模に対して命を落とした人間は少ないことだけは幸いか……。
兵士や侍女たちは、涙を流している。彼らの悲しみの大半は、恐らく、横たわる二人の人間が理由だろう。
マルハマ王シャオク……その母ティカ……。
マルハマの民に敬愛され……並んだその姿は、やはり親子らしくよく似ていた……。
「……フェリシィ。ライラたちは?」
負傷者の治療をするフェリシィを見つけ、ザカートが言った。
彼女の顔には涙の跡が残っていたが、治療師としての使命を優先し、気丈に振る舞っているようだ。
ザカートを見上げ、三人とも町へ、と答えた。
「町の被害の確認と、要救助者を助けに行きました。三人とも、マルハマ王家の人間としての責務を果たすため……涙も見せず、ティカ様をここへ送り届けると、すぐに行ってしまわれました」
「そうか……。そうだな。いまは、泣いている場合ではないな」
大事な家族を亡くして、残酷な真実に打ちのめされて。
彼らだって、悲しくないわけではない。
だが、王族としての責務を放棄して、ただ悲しんでいることはできない。悲しみは心の片隅に追いやり、己の務めを果たしに行ったのだろう……。
「俺も町へ行ってくる。もう大した力は残ってないが、少しぐらいは役に立てるかもしれない」
お気をつけて、とフェリシィはザカートを見送る。
フルーフとセラスは宮殿に残し、ザカートもまた、町へ向かった。
夜の闇が町を包む頃、ようやくタルティーラも落ち着きを取り戻し始めた。
町も人々も大きな傷を負い、復興には時間がかかるだろう。だがきっと、この国は立ち直る……必ず。誰もがそう信じていた。
救助活動も一通り終わり、ライラは宮殿へ戻って来た。
……と言っても、建物は完全に崩れ落ちてしまっていて、簡易で張られたテントに宮殿の人々は集まっているのだが。
セラスとフェリシィは、すでに女性用のテントに入って休んでいた。
ライラが行ってみた時には、二人並んで寝息を立てて眠っている。
ザカートは、テントに囲まれた中央……かがり火が焚かれ、寝ずの番で集まった男たちと一緒だった。
フルーフもそこにいたが、ザカートにもたれかかってすやすやしていた。
「カーラは?」
「おまえが戻ってくる少し前に戻ってきて、ヘルムと話した後、どこかへ……たぶん、ジャナフのところじゃないか?ジャナフは祭壇へ行くと言っていた。カーラも、そっちへ向かっているようだったし」
「そっか。ありがと」
ザカートに礼を言い、ライラも祭壇へ向かう。
昼に向かった時は、拒絶されているような空気が苦しくて、足がなかなか動かなかったけれど……。
いまも、空気が軽くなったわけではない。でも、さっきみたいに行きたくないと感じるようなことはなかった。
きっと自分は、あの祭壇で何が起きるか、察してしまっていたのだと思う。魔人ナールが、あそこで巫女を襲う機会をうかがっていると、無意識に気付いていたのだろう。
祭壇の手前で、ライラは弟を見つけた。カーラは、祭壇へ踏み入れることをためらっているようだった。
石舞台はぐちゃぐちゃ……墓碑は、奇跡的に残っている。奇跡なのか、魔人の力でも傷つけることのできない護りがついているのか……。
「親父」
墓碑の前に座り、ジャナフは一人酒を飲んでいた。
ライラたちからは、彼の背中しか見えない。その背中は、安易な慰めや励ましを拒絶しているようでもあって。
それで、カーラは父に近づくことをためらっていたらしい。
ライラはぎゅっとカーラの手を握り、父に近づく。
「……薬酒だ。見逃せ――今夜は、どうしても……飲まずにはいられぬのだ」
ジャナフは背を向けたまま、わざとらしいぐらい明るい声でそう言った。
ライラは膝をつき、ぎゅっと父に抱きつく。カーラも少し遠慮しながら、父の隣……ちょっと後方に座った。
――途端、ジャナフが両手で二人を抱き寄せてくる。
ジャナフは二人を抱きしめて、うつむいていた。手加減なしにぎゅうぎゅうと。
かなり痛いはずなのだが、ライラもカーラもそんなことは忘れ、父の身体を抱きしめ返して顔を埋める。
そうしてしばらく、ライラたち親子は三人だけで悲しみに浸っていた。互いに、消えることのない傷の痛みを癒し合うように。
親子の泣き声は夜空に消え、誰も聞く者はいなかった。




