回顧録・逆襲
魔人の攻撃を食らい、セラスは吹っ飛んで町の民家に突っ込んだ。
魔術で身体能力を強化してはいるが、魔人ナールの暴力的な強さには敵わない。
ダメージはもちろん、身体中が痛み、まともに起き上がることもできなくて。倒れ込んだまま動かないセラスに、魔人はトドメを刺さなかった。
情けをかけたとかではなく、単純に、セラスに関心がなかったからだ。魔人にとってセラスなど、その程度の存在でしかない。
耳元を飛び回る羽虫を、わざわざ追いかけ回して潰す必要などないのだ。
自分の力を妨げる聖女だけ始末してしまえば、あとは町ごと焼き尽くしてしまえばいいのだから。
浄化の雨を降らせることに集中し、無防備なフェリシィに向かって魔人は突撃する。
――そんな魔人に突進する、命知らずな人間が。
「先ほどよりは動きがマシになったか。だが、それでもわしには敵わぬ!」
殴り掛かってきたジャナフの拳を防ぎ、魔人は笑って反撃する。
ライラも近接攻撃へのカウンターを得意としていたが、魔人もそれを得意とするらしい……威力もスピードも桁違いの拳に、なんとか凌ぎながらもジャナフは顔をしかめた。
ティカが回復したが、それでもダメージは残っている。魔人の力を受け継いでるだけに、巫女の攻撃はきつい。
ジャナフに追い討ちをかけようとした魔人は、自分を取り囲む気配に飛び退く。
自分に向かってくる銃弾――さっきは侮って叩き落としたが、今度は回避に務めた。大した威力ではないが、ダメージも積もるとまずい。あの聖女が自分の弱体化させてくるし、勇者も無視はできない。
だが、銃弾を避けることはできなかった。
自分のスピードをもってしても――わずかに動揺したが、銃弾は先ほどのものよりもずっとダメージが少なかった。
あの銃を持つ少年を見てみれば、両手でしっかりと長銃を持ち、片手サイズの小銃を複数飛ばしている。
仕組みはよく分からないが、あの小銃は一度照準を合わせたら、自動でターゲットを追尾してくるらしい。その代わりに、ダメージは大したことがない。ほんの一瞬、魔人を動揺させるかどうか程度。
メインの武器は、両手で持っているあの長銃。あれは、自分で狙って撃たなくてはならない。
……こちらも、あれは確実に回避しないとまずいだろう。
ならば、と魔人は素早く身を振り返し、攻撃対象をフルーフに切り替えた。
ジャナフと攻防を続けながらあの銃を完全に避けるのは、さすがに面倒だ。それよりも、フルーフを潰してしまったほうが早い。どうせ、あの少年に攻撃を仕掛ければ、それをかばうためにジャナフも追いかけてくる……。
先に魔人が動いた以上、ジャナフでは追いつけない。あの少年も、身体能力は並の人間程度――逃げることもかなうまい。
そう思ったのに、魔人の攻撃を寸でのところで彼はかわした……否、姿を消した。
「ちっ、転移の術か」
小賢しいこの術のことは、魔人もよく知っている。
自分のスピードに対抗できる唯一の手段。人間共が自分と戦う時、必ずこの術を使える人間を連れてくる。
弱体化させてくる聖女に、呪術師、飛び道具を得意とする少年――なかなか、天敵を揃えてくるものだ。
いつもならすぐにでも潰しに行ってやるのだが、自分と同等の強さを持つジャナフと……勇者がいては、そう簡単にはいかぬか。
「ザカート!?ライラはどうした!」
「気絶している!元に戻ったのかは分からないが――」
魔人への攻撃を仕掛ける者がもう一人。
勇者の噂は聞いていた。遠い異国の人間ゆえ、自分には無関係と思っていたが。
別に、勇者の登場そのものは歓迎すべきことだ。
力ある人間はあらかた食いつくし、強くなるにも限界を迎え始めていた頃。勇者という上等な餌が、向こうからやって来るのはありがたい。勇者の力は大したこともない……あの武器さえ注意すれば。
二対一……サポート役も含めれば、四対一。
マルハマの災厄と恐れられた魔人を仕留めるには心もとない人数だが、いままでで一番強力なチームではある。
……そろそろ、本格的に聖女を始末しなければ。
杖をぎゅっと握り締め、集中しなくては、と必死に言い聞かせて、フェリシィはひたすら術に集中する。
浄化の雨を降らせて炎を沈め、魔人の力を弱らせないと……自分には、これぐらいしかできないのだから。戦うことができないのだから、せめてみんなが戦えるようにサポートをしないと……。
すっと手が伸びてきて、誰かがフェリシィの杖を握る。
途端、空気がふわっと軽くなり、あたたかいものが自分を包むのをフェリシィは感じた。
「肩に力が入り過ぎです。そのせいで、無駄に力を消耗してしまっている――私がフォローしますから、あなたは力に身を委ねなさい……大丈夫。あなたは十分、力を持っていますよ。ただちょっと、使い方に戸惑っているだけ」
優しく声をかけてくるのは、マルハマ王の生母ティカ。
すごい、と。
フェリシィは心の中で呟いた。
自分があんなに必死で維持してきた術を、こんなにもあっさり……。
マルハマの巫女を務めていた女性だとライラから教えられていたけれど、力の差を思い知らされてしまう。
「……いいえ。いま、この術はあなたの力によって支えられています。私は、あなたが術を使いやすいよう、少し手を貸しているだけ――胸を張って。あなたは、ちゃんとできていますよ」
ティカは、真っ直ぐにフェリシィを見て言った。
「これほどの術も、霊力も、一朝一夕で身に着くものではありません。幼い頃から努力を続け、頑張ってきたのですね。勇者を導く聖女になるために」
ティカの言葉に、フェリシィはぎゅっと唇を噛み締める。
彼女の言う通り、ずっと頑張ってきた。
生まれた時から……。聖女としての使命を教えられ、それに相応しい人間になろうと、ずっと。
でも旅に出て、自分の未熟さ、甘さを思い知らされた。
戦うこともできず、世間知らずで、いつも守られてばかりの自分。
いまもこうして、みんなが傷だらけになりながら戦っているのに、自分はやっぱり守られているだけで……。
「私たちには、私たちにしかできぬ役目があります。できないことを嘆いても仕方がありません。成すべき役割を果たし、精一杯務めるまで」
「……はい」
改めて杖を握り、フェリシィは己の役目と向き合った。
雨に輝きが混ざるようになり、浄化の力が増した――自身の力がさらに鈍化するのを感じ、魔人は内心舌打ちをする。
ジャナフも、勇者も、自分に比べれば大した実力ではない。
だが二対一は少々厄介だ。
自分にやや劣るとはいえ、人並外れた頑丈さと怪力を持つジャナフ。
そして、勇者の力を持つザカート――まだ勇者の力を使いこなせてはいないが、その未熟な状態でも、魔人の力を削ってくる。マルハマ鉱石で作られた剣と併せて、やつが最も危険だ。
そしてこの二人を相手にしながら、ひっきりなしに飛んでくる銃にも注意を払わなければならない。こちらも威力は大したことはないが、ジャナフとザカートが攻撃を仕掛けてくるための隙を作らせるという意味でならば効果は抜群だ。
かわすことができず、かと言って無視していると本命の武器が飛んでくる。
あの長銃の弾は、さすがに嫌な予感がする。あれだけは回避しなければならない。
聖女と巫女が降らせる浄化の雨も厄介だし、呪術師が使う転移術も面倒だ。こいつのサポートがなければ、銃使いはとっくに始末し終え、勇者かジャナフのどちらかはもう片付いていただろうに。
自分が負けるなんてことはありえない――決して。そんなことはあるはずがない。
だが、泥臭い戦いを長引かせるのは嫌いだ。
この状況も飽きてきたし、何か決定打が……。
魔人は、ニヤリと笑った。
大きな爆発に、離れた場所にいるフェリシィですら衝撃を受け、よろめいた。
ティカが支えてくれていなければ、倒れ込んでいただろう。
何事かと事態を把握するよりも先に魔人が高笑いする声が聞こえてきて。耳をふさぎたくなるほどの大声だ――勝利に喝采している。
あっと思う間もなく、魔人がこちらに突撃してくるのを見ていることしかできなかった。
殺される。
それしか分からず、フェリシィは思わず目をつぶってしまう。
「……このバカ女め!どこまでわしに逆らい続けるつもりだ!」
忌々しそうに吐き捨てる魔人の声。
ぱちりと目を開ければ、白い髪が視界に飛び込んでくる。
ライラがフェリシィとティカの前に立ち塞がり、魔人の攻撃を阻んでいた。
「主人たるわしに、大人しく従え!貴様は、そのために生まれてきたのだぞ!」
「気色悪いこと言ってんじゃねえ!」
ライラの蹴りに魔人は飛び退き、そんな魔人を追ってライラはさらなる攻撃を仕掛ける。
彼女は、完全に自我を取り戻したようだ。
ライラ様、と呼び掛ければ、ライラは一瞬だけフェリシィを見た。美しい紫色の瞳には、光が戻っている。
「よくも親父たちを攻撃させやがって……!」
「何を言う。貴様が自らやったことであろう。巫女を攻撃してくれて、おおいに助かったぞ。おかげであの女の守りが薄れ、わしが仕留めることができた――分かっているのだろう?この状況を作り出したのは、他ならぬ貴様自身。所詮、わしの眷属でしかないない身だ。人間ごっこなど止めてしまえ」
「うるせえ!反省も後悔もあとだ!まずはてめーをぶっ殺す!」




