回顧録・目覚める力
「魔人とライラの持つ魔力はまったく同じだった……。思うに、ライラはナールの眷属なのだろう」
そこまで説明すると、ティカは大きくため息をつく。
胸元の傷口が塞がっていく――もう痛みを感じることはないが、肉体が損傷し過ぎると、動きに障りが出る。魔人とまだ戦わねばならない以上、もう少しだけこの身体を維持しておく必要があった。
「ライラは、魔人の一部……あの子がジャナフと似通っている理由も、これで説明がつく。ナールの力を受け継いだジャナフと、ナールの分身も同然のライラ。もとが同じ魔人なのだから、同じ髪色でもなんら不思議はないな……」
マルハマ人には珍しい白い髪。偶然の共通ではなかった。二人とも、同じ魔人の力を持つ者同士……。
「分身で作られた眷属ということですか。でもそれって、かなり上級の魔族だけが為せるわざでは?」
魔族の研究は、フルーフもしている。
眷属にも色々種類はあるが、自らの一部を別の個体として生み出すなんて、そう簡単にできることではない。魔人ナールは、そんなに魔力の扱いに長けているように見えなかった。
フルーフの疑問に、そう、とティカも同意する。
「魔人ナールはおそろしく強いけれど、魔族としての格は大したことない……。だからこそ、ライラには執着するはず。そう簡単に作り出せない眷属を……しかも、女だなんて」
フルーフはきょとんとしていたが、カーラとジャナフはすぐにティカの言葉の意味に気付いた。
「……魔人は、新たな肉体を求めている。女に子を生ませ、その子どもに転生するのが、もっとも確実な方法だ。魔人は、ライラを子を生むための重要な道具と考えておるはず……」
「そんなに、新しい肉体を必要とするものなんですか?」
フルーフはまだ不思議そうにしている。
魔人は十分強い。いまのままでも。
なのに、それでもまだ新しい肉体を求めるものなのだろうか。
だが、ティカは確信があるようだ。
「あやつの肉体には、致命的な傷があるのです。ガラド様と戦った時に付けられた傷が……。髪が長かったでしょう?私たちと初めて戦った時は短かったのに。あれは、背に負った傷を隠すために違いありません」
「背中ですか。手じゃなくて」
魔人が片手を失っているから、てっきりそれかと。
ティカが、あれは私が負わせた傷です、と首を振る。
「ガラド様に手傷を負わされて逃げ……その後、私を襲った時に――あの時のやつは隙だらけだったから、私一人でもなんとか……」
胸元を押さえ、ティカがもう一度大きくため息をつく。少しずつ、彼女の術も解け始めているようだ。ティカが動ける時間は、確実に減っている。
「……眷属ならば、本体である魔人に逆らうことはできない。ライラは……あの子が懸命に心を保とうとしても、やつに容易く支配されてしまう。魔人にとって、これ以上都合の良い女はいないだろう……」
「冗談ではない」
ジャナフが、憤然とした声色で口を挟む。
「ワシの娘を、そんなおぞましいものに利用されてたまるか。誰が何と言おうと、あやつはマルハマの姫だ――魔人になど渡さぬ」
ジャナフは立ち上がり、カーラを見た。
「カーラ、飛べるか」
「封じの呪いはだいぶ解けたが……魔人がどこへ行ったのか、親父殿には心当たりがあるのか?」
「魔人の居場所を見つけるの簡単だ。ライラに執着しておるのなら、あれは手離すことなくそばに置いておくはず――ライラのもとへ飛べばよい。それに、親父に復讐しに来たというのなら、魔人が次に襲う場所は考えるまでもない」
それはどこかと、カーラは問いかけなかった。カーラもすぐに分かったからだ。
マルハマの王に復讐したいのなら、王が愛するものを焼き尽くせばいい。王の愛する家族――王の愛する町と民を……。
「兄者……」
カーラが転移しようとした時、シャオクが小さく呻いた。マルハマ王に寄り添っていたアマーナがハッと顔を上げてジャナフを見、ジャナフも急いで弟のそばに膝をつく。
息も絶え絶えではあったがシャオクは目を開け、兄を見た。
「行ってください……ライラと……私たちの国を、守ってください……」
「――すまぬ。許せ」
謝罪するジャナフに、シャオクは微笑む。
町へ行ってしまうということは、シャオクはここで置き去りということだ。死の間際にあるというのに、それを見捨てて――ここで彼の最期をただ待つことはできない。シャオクもまた、それを望まない。
「兄者は……私の自慢の兄でした。いまも昔も、ずっと……。カーラ、兄とマルハマを頼む……」
カーラはぐっと拳を握り締め、唇を噛んだ。溢れ出そうになる感情を懸命に堪える。
カーラたちに背を向けたままのジャナフはもう一度立ち上がり、行くぞ、と声をかけた。
転移術で飛んだ先は、タルティーラの町。ジャナフたちが予想した通り、すでに町は魔人に襲われ、火の手が上がっていた。
……だが、宮殿ほど酷い有様ではない。
激しい炎に宮殿は崩れ落ちていたが、町は炎に包まれながらも、人々が逃げ出すぐらいのゆとりはあった。
「魔人……いませんね」
あたりを見回し、フルーフが言った。
逃げ惑う人々で混乱しているが、あれほど大きな男なら、見逃すはずがない。
「やつの移動スピードが速すぎて、オレの転移術でも追い切れない。ほんの一瞬で、遠くまで……」
空は曇り、しとしとと雨が降っている。ティカは手を差し出し、掌で雨粒を受けた。
「ただの雨ではない……雫から、浄化の力を感じる……」
「フェリシィか」
ティカが雨の正体を見抜き、カーラは雨を降らせているのがフェリシィだと察した。
戦うことはできないが、治療や浄化の力はずば抜けている。魔人の炎も抑え込むほどの雨をこれほど広範囲に……。
「ならば――カーラ、フェリシィのもとへ飛べ。やつの次の狙いはフェリシィだ。フェリシィの術を止めねば、町を焼き尽くすことができぬのだからな。必ずフェリシィの命を狙いに行くはずだ」
ジャナフが言い、カーラはもう一度転移術を使った――町のどこかにいるフェリシィを追って。
鮮やかな赤い炎に、黒く禍々しい炎がぶつかる。
互いに、火を操ることを得意とする者同士――純粋な火力勝負なら、セラスのほうが上であった。炎の魔術を使うのなら、セラスのほうがずっと強いのだ。
問題は……やつは、炎に頼らずともセラスを潰すだけの力を持っているということで。
「セラス!」
炎と共に突撃して来た魔人の攻撃を食らい、セラスが吹っ飛んだ。ザカートは彼女のもとへ駆け付けたいのだが、どうしてもできない。
「セラス様――」
「わらわに構うな、フェリシィ!術を続けろ!おぬしの術が止まったら、それこそ勝ち目がなくなるのじゃぞ!」
倒れ込むセラスにフェリシィも反応するが、セラスは心配する彼女の気持ちを一蹴した。
セラスの黒い炎が、魔人の炎を呑み込んで打ち消す――だが魔人は、構わず黒い炎に突進する勢いで真っ直ぐに突っ込んでくる。
やつの肉体はセラスの炎に耐えられるぐらいに頑丈で、セラスが次の魔術を撃つよりも先に動けてしまう。
ただのパンチなのに、セラスはそれを防ぐ手段もなく食らうしかなくて。
魔人は、フェリシィを狙っている。フェリシィが降らす雨が、自分の炎を弱らせてしまうから。
無防備なフェリシィをセラスが必死にかばっているが、一対一では分が悪い。
魔術をものともせず、肉弾戦を得意とする魔人――自分がフォローに入らなければならないと分かってはいるのだが、ザカートも二人を助けに行けなかった。
「ライラ!正気に戻ってくれ!俺たちで、フェリシィとセラスを守らないと!」
自分を阻むライラに、ザカートが訴えかける。
宮殿で爆発が起き、何事かと町の人たちと共に唖然としていたら、今度は町で火の手が。
魔人だ、と人々が叫び、迫りくる炎に逃げ惑う。
フェリシィは町の中心に向かい、そこで浄化の雨を降らせ始めた――途端、魔人が姿を現し、フェリシィを襲った。
ザカートが魔人に反撃しようとしたら、今度はライラが現れ……ザカートは、彼女と戦うことになってしまった。
髪が伸び、美しい瞳が暗く陰っている。何かおかしい、ということはすぐに分かったのだが、ライラは正気に戻ってくれない。
どうしたら……。
剣を構えてはいるが、ザカートはライラの攻撃を防ぐことしかできなかった。
あの時ですら、ザカートは本気でライラに剣を振るうことができなかったのだ。ましてやいま、彼女を傷つけることなんて。
「姉者!」
ライラがザカートに飛び掛かってきた瞬間、二人の間に割って入るようにカーラが姿を現した。
転移術でわざとここに飛んできたのだろうが、なんと無茶な真似を。
カーラの腕力では、ライラの攻撃に耐えられない。ライラの怪力が増している。
ザカートですら、彼女の拳を防ぐたびに腕が痺れているのに。
「姉者、フェリシィとセラスが魔人に攻撃されているのだぞ!なのに――何をしているのだ!姉者ならば、あんな男に負けるはずがない!」
カーラも、ザカート同様にライラに向かって訴えかける。
ザカートは見た――冷たく、ただ攻撃を続けるだけだったライラが、わずかに動揺したのを。
カーラの声に、ライラは反応している。ライラの攻撃をもろに食らってもカーラが耐えている……弟にだけは、ライラも攻撃をためらっている。
「カーラ!ライラに呼びかけ続けろ!」
ザカートが叫んだ。
完全に心を失ったわけではない。彼女の中に、ちゃんとライラとしての心も残っていて。必死で、彼女も戦っているのだ。
……でも、どうしたら助け出せる?
剣を握り締めたまま、ザカートが答えの見つからない自問をしていると、頭に容赦ない攻撃を食らった――どこからともなく現れた鷹のリーフが、ザカートを思いきり突いてくる。
痛む頭を押さえ、ザカートはリーフに振り返った。
リーフは……ライラを攻撃したことを怒っているというより、ザカートの腑抜けさを責めているようだった。
――しっかりしろ、と。
そう言っているような。
「ザカート!」
姉の動きを封じながら、カーラが叫ぶ。
呪縛を受けても、ライラは動いていた。いつもよりずっと動きが鈍くなっているが、この呪縛が長く続かないのは誰の目にも明らかだ。
数分もすれば、自分を縛る呪術ごとカーラを吹っ飛ばしてしまうだろう……。
「ザカート、頼む――姉者を助けてくれ!おまえは勇者なのだろう……!?」
カーラが、縋るようにザカートに向かって言った。
姉と親しくするザカートに、カーラはちょっとだけ、敵対心にも似たものを抱いている――それは、ザカートもずっと気付いていた。そんなカーラが、自分に頼るほど……ライラを助けたくて必死だ。
ザカートは持っていた剣を収め、もう一つの剣を抜く。
……そうだ。自分は勇者だ。
ライラたちは、初めて会った時からずっとそう信じてくれていた。
他ならぬ自分自身が、信じていなかった。
マルハマ王シャオクから譲られた剣を構える――剣を握った手が……手に描かれた痣が、光を放つ。
勇者の証とされた痣……この輝きがどういう意味なのかは分からないが、ザカートがすべきことはひとつ――勇者の力を信じることだけ。
自分を信じ、ザカートはライラと真っ直ぐに向き合った。
呪縛を振り解いて突撃してくる彼女を、真正面から迎え撃つ。
ライラが殴り掛かる寸前で、ザカートとカーラが入れ替わった。
カーラの呪術は、こういった応用もできるらしい。転移術と相手を引き寄せる術を合わせて、互いの立ち位置を入れ替えることも可能――殴り掛かろうとした相手がカーラに代わったことで、ライラが一瞬怯んだ。
瞬時に背後に迫ったザカートに対応しきれず……ザカートは、彼女の長い髪をつかんで剣で斬り落とす。
マルハマ鉱石――魔を退ける石で作られた剣で。
どうしてなのかは分からないが……そうしたほうがいいと、何者かに導かれたような気がして。




