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回顧録・魔人とライラ


魔人に襲われた部屋からは脱出することができたが、やはり大した距離を飛ぶことはできなかった。

転移しても、その先は火に包まれた宮殿内。

魔人が放った炎だから、フルーフではこの火を消すことはできないだろう。普通の炎ではないおかげで、煙で命を落とす心配は必要ないことだけは幸いだが。


「姫様……あんな、ひどい……」


アマーナは、置き去りにしてしまったライラのことで頭がいっぱいだ。

……当然だ。フルーフでも、ライラは大丈夫だろうかと気になって仕方ないというのに。いつもの彼女とは、何かが違ったような。


「フルーフ!」


炎に取り囲まれたフルーフたちのそばに、一瞬でカーラが姿を現す。相変わらず、彼の転移術は見事なものだ。

カーラは、ジャナフと王の生母ティカを連れている。


カーラとジャナフは、シャオクを見て血の気が引いていた。


「シャオク!」


血を流す弟をジャナフが抱きかかえるが、マルハマ王はぐったりとしたまま動かない。呼吸も弱々しく、死の寸前であることは誰の目にも明らかで。

母のティカも、シャオクを見て悲しげに目を伏せている――フルーフは、彼女の異変に気付いてぎょっとした。


「か、カーラさん……もしかして、彼女は……」


青ざめながらカーラに尋ねれば、カーラも少し青ざめて頷く。


「……王太后は、すでに亡くなっている」

「そんな……!」


アマーナもぎょっとし、ティカを見た。

彼女のドレスは胸元が真っ赤に染まっており、一部が破れている。その隙間からは、目をそむけたくなるような傷跡が見えて……彼女の顔には、死人独特の雰囲気が出ていた。

アマーナでも、彼女がすでに生ある人間ではないことに気付くほどに……。


「ナールに、心臓を食われてしまった――いまの私は、生前にかけておいた術のおかげで動いているだけ……。それももって数時間……魂が肉体から離れてしまう前に、ナールを仕留めなければ」


ティカが何を言っているのかよく分からなくて、困惑しながらカーラに視線をやれば、死霊使いだ、と彼が説明を付け加える。


「ネクロマンサー。王太后殿は、死者の魂を操る術を身に着けていたらしい。死後に自分の魂を操るなどという離れ技はオレも初めて知ったが」

「物心ついた時から巫女として修業し、ようやく習得した術です。当たり前の話ですが、私も実際に使うのはこれが初めて……。以前ナールに襲われた時に、次こそは下手をうつまいとかけておいた呪いですが……正直、うまくいくとは思わなかった」


いちかばちかの大技……いや、ここまで来ると反則技か。

しかし、生き返ったわけではない。ほんの少し、別れを先延ばしにしただけ。


何があったんですか、とフルーフは問いかけた。


「王太后が命を落とし、ライラさんは満身創痍の状態……カーラさんとジャナフさんも、すでにずいぶん消耗していらっしゃるような……。魔人が宮殿に来て――祭壇のほうが先に襲われたのは何となく理解しましたが」

「……ライラが、魔に心を取り込まれた」


答えられないでいるジャナフ、カーラに代わり、ティカが言った。


「――私がジャナフを殺そうとしたから。ジャナフを助けたい一心で限界を越えた力を発揮し……あの子は、人間らしい感情や心で魔族としての本性を抑えていたから……限界を越えた力を使おうとしたことで、魔に負けてしまった」


そんな、とアマーナが嘆く。


「で、でも……姫様は、私やシャオク様を助けてくださいましたわ!あれは偶然なんかじゃない――姫様は、私を助けようと……自らの身を盾にして……」

「魔に心を取り込まれたと言っても、人間としての心を失ったわけではないのでしょう」


ティカが冷静に話す。


「あの子も、ぎりぎりのところで抗っている。でも……支配者たるナールが近くにいる以上、自力で正気を取り戻すのは難しい……」

「魔人が支配者?どういうことですか?」


フルーフがさらに問えば、カーラは首を振った。


「先にここから離れるぞ」


カーラの転移術で移動し、それから、祭壇で起きたことをフルーフは教えられた。




祭壇で爆発が起き、全員が気絶していた――最初に気が付いたのは、カーラであった。

爆発の中心は石舞台。石舞台に上がっていなかったカーラが、もっともダメージは少なかったのだ。


ライラも、ジャナフも、まだ気を失って倒れている。ティカも、ライラに殴り飛ばされて倒れ込んでいたはずだ。

なのに……誰かが立っている。


大柄なジャナフよりも大きい――人間の大きさではない。歩くたびに、みしりと地面が軋む音が。

大男はティカのそばに立っており、何かを嚥下して……ぞっとする笑い声をあげた。


「愚かな巫女め――自ら結界を弱めるとはな。貴様のおかげで、わしは積年の恨みを果たすことができそうだ」


姿かたちは伝聞でしか知らなかったが、こいつが、とカーラはすぐに察した。

こいつが……マルハマに巣食う炎の災厄。魔人ナール。


動かなくなった巫女への関心は失われ、ナールは倒れたままのジャナフに近づく。ジャナフはかすかに動いた――でも、まだ魔人の存在に気付いていない。


魔人は、ジャナフを殺すつもりだ。

カーラも、まだ爆発のダメージで身体がまともに動かず、起き上がることすらできないでいた。


転移術が使えたら……。

集中して、封印を解かないと。呪術が使えれば、身体が動かせなくても父を逃がすことができるのに。


その時、鷹の鋭い鳴き声が聞こえてきた。


「神獣か……」


マルハマの神獣リーフが、こちらに向かって真っすぐ飛んでくる。ためらうことなく魔人に突撃し、魔人の薙ぎ払いによって、神獣の身体は炎に包まれた――それでもリーフは怯むことなく、魔人を攻撃していた。

さしたるダメージは与えられないが、ジャナフが反撃に出るには十分な時間を稼いだ。


「ほう。わしに傷を負わせたあの男の息子だけはある」


ジャナフの不意打ちの拳も難なく受け止め、魔人は不敵に笑う。

父のスピードもパワーも完全に上回っている――ジャナフが、すでにかなりのダメージを負っているせいもあるだろうが。


「そのような状態で、わしと戦うつもりか?ずいぶんと酷い有様だが」


ジャナフに最もダメージを与えたのは、巫女であるティカの攻撃だ。もろに食らっていたし……。


皮肉なことに、魔人ナールの戦い方はジャナフと同じだった。

拳による殴り合い。となれば、身体能力でジャナフを上回り……ジャナフのほうが体力を消耗している分、圧倒的に不利だ。魔人は片手がないが、そのハンデを感じさせることもなくジャナフを追い詰める。


その時、魔人に飛び掛かるもうひとつの人影が。

ライラも目を覚まし、ジャナフと攻防を続ける魔人に殴り掛かった。

相変わらず髪は長く、普段と様子が異なっているが……。


「……貴様」


ライラとジャナフ、二人の攻撃を防ぎ、まとめて薙ぎ払いながら。魔人は、ライラを見てわずかに動揺する。

眉をひそめ、なにやら不快そうだ。


「どこを遊び惚けているのかと思えば、こんなところにいたのか」


魔人は、ライラを知っている。

以前、フルーフが指摘していたことをカーラは思い出した。


ライラは魔族で……魔人と共に、カーラの住んでいた町を襲ったのではないか。魔人とライラには、何か繋がりが……。

何の根拠もないと、あの時はカーラも一蹴したが、どうやらフルーフの推測は正しかったらしい。


「なんだ、その顔は。貴様……人間ごっこでもしているつもりか」


魔人の強烈な一撃に、ライラがふらつく。さらに追い討ちを食らい、ライラはまた気を失った。魔人は倒れ込むライラを抱え込み……。


「姉者!」


呪術で姉を呼び寄せようとしたが、魔人の動きのほうが素早かった。まだ術を封じられているカーラでは、あの距離は届かない。


「ライラ!」


ジャナフも追いかけようとしたが、がくりと地面に膝をついてしまった。


「手当てをせねば無理だ……おまえは、もう限界だろう……」


聞こえてきた声に、ジャナフもカーラも驚愕する。


まさか、どうして彼女が。

二人はきっと、同じことを考えていただろう。


すでに命を落としたものと思われていたティカが、起き上がり、よろよろと近付いて来る。


「は、母上……」

「他でもない、私が与えた傷を治療することになるとは……なんとも皮肉な展開だ……」


戸惑うジャナフに治療術を使い、ティカは自嘲の笑みを浮かべた。


「カーラ、宮殿に飛べるか。やつは……マルハマ王に復讐しに来たのだ。マルハマ王ガラド様に深手を負わされた恨みを果たすため……私を殺して、次の獲物を求めて移動した……」

「シャオクか」


次の獲物が誰なのか、ジャナフはすぐに分かった。

マルハマ王ガラドへの復讐――ならば、その相手はもちろん、ガラドの息子たち。


「カーラ」

「分かっている。まだ全快とはいかぬが、宮殿に転移するぐらいなら……」


父の呼びかけに頷き、カーラはジャナフ、ティカを連れて宮殿へと飛んだ。


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