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回顧録・マルハマを襲う災厄


「おまえが魔人ナールの子であったなら……私はためらうことなく、胎にいたおまえもろとも、全てを終わらせていたことだろう。でも……ガラド様の子を手にかけることは、どうしてもできなかった……」


悲しみに満ちた声で、ティカが言った。


彼女がジャナフを敵視していた理由が、それか。

ジャナフは、間違いなくマルハマ王ガラドの子。だが、その子どもはマルハマの敵の力を受け継ぎ、魔と化していた。

いっそ敵であれば躊躇なく滅ぼすことができただろう。夫の子だから、苦悩し、葛藤し続けていたのだ。


「生まれてきたおまえは、白い髪に、魔人の特徴を引き継ぎ……私の弱さを嘲笑うように……。ガラド様は、私たちの子を信じろとおっしゃってくださったけれど……」


生母ティカは、ずっと悩んでいた。

いずれ、ジャナフが第二のナールとなり、マルハマ王国に破滅をもたらす存在になるのではないか、と。そうなってしまう前に、母親の自分が責任を持って……。


「……おまえがここへ来ると決まった時に、私は賭けに出た。この罠が発動するかどうか……これで決まりだ。やはりおまえは、ここで滅ぼしておかねばならぬ」


ティカの周りに、白金の光を放つ槍が浮かび上がる。その槍は、鎖に囚われたジャナフをまっすぐ狙っていた――それも、ひとつやふたつではない。

あれに攻撃されたら、ジャナフの命はない。ライラはそう直感した。


「ばあちゃん!やめてくれよ!親父を殺さないでくれ!」


叫び、檻をこじ開けようと鎖をつかんだ手に力を込める。

鎖はライラを拒むように強い光を放ち、痛みで指先が痺れた。巫女の霊力で作り出された鎖だから、ライラの回復力をもってしても手の火傷はまったく治療されない。

それでも、ライラは鎖を引きちぎろうと歯を食いしばった。


「ばあちゃん……!ばあちゃんだって、本当は分かってるんだろ!?親父は立派な人間で……魔人の力を受け継いでたって、そんなの関係ないって……!」


ライラの必死の叫びに、生母ティカの瞳が動揺に揺れるのをカーラは見た。

でも……おそらく、ライラの説得は効かない。


彼女も、三十年以上悩み苦しみ続けた末の結論だ。いまさら、誰かの説得でその決意が変わるとは思えない。

ティカはきゅっと唇を噛み締め……手を振った。


槍の一本が、ジャナフの胸を貫く。


「ぐっ……!」

「いやだ――親父……!」


やはり、ティカの霊力は全盛期に比べれば衰えている。肉体の全盛期にあるジャナフは、ティカの攻撃に耐えている――だが、そう何発も耐えられるものではない。


父が危ない。

ライラもそれは察しており、痛みも強引に無視して、鎖を引きちぎろうとしている。


カーラも、大きく息を吐き出し、集中する――呪術の封印を解かなくては。

封印が施されたこの服は、脱いだり破いたりすることもできない。封じられた状態で封印を解くのはかなり体力を消耗してしまうが、このままだと本当にジャナフが殺されてしまう。


だから、カーラも気付かなかった。自分も封印を解いてジャナフを助けようと必死で。


鎖を引きちぎろうともがくライラの異変に。

白い髪が伸び、鮮やかな紫色の瞳に暗い影が落ちる。


鎖が飛び散る音がして、カーラが気付いた時。

檻はこじ開けられ、瞬時に飛び込んで行ったライラは……ティカを容赦なく殴り飛ばしていた。


まさか檻を突破されると思っていなかったティカは吹っ飛び、倒れ込む彼女に、ライラはためらうことなく追い討ちをかける――。


「止めぬか、ライラ!」


鎖は連動していたらしく、檻が崩れると同時にジャナフの戒めも解けていた。ジャナフもすぐに動き、ティカの前に立ち塞がってライラを止める。

母を助けようとした……それ以上に、ライラにティカ殺しをやらせるわけにはいかなくて。


ライラの腕をつかんで抑え込み、ジャナフは娘の異変に気付いた。

伸びた髪に、光を失った瞳。いつも笑顔で周囲を明るくする彼女の顔は、ぞっとするほど冷たい表情をしていて。まるで……出会ったばかりの頃のよう……。


「ライラ……?正気に戻れ!ライラ!」


ジャナフを振り解こうと、ライラが暴れる。

自分が何をしているのか――何がしたいのか、彼女はいま、分かっていないのでは。


荒いやり方になるが、気絶させてライラを止めるしかない。

ジャナフがそう判断した時、石舞台が爆発した。




ライラたちが祭壇へ向かい、石舞台に到着した頃。

フルーフは一人宮殿に残って、マルハマ王シャオクから譲ってもらったマルハマ鉱石に目を輝かせていた。


「素晴らしい石です。本当に、これを譲ってもらっていいんですか?」

「はい。我がマルハマは、グリモワール王国には恩がありますから。グリモワールの研究のおかげで、魔人ナールは封印されました。その鉱石で研究が進み、さらなる封印方法が開発されることを期待しております」


いま、フェリシィたちは宮殿にいない。

前夜の儀は数時間かかると知り、大人しく帰りを待つことを嫌がったセラスは町へと出かけてしまった――フェリシィを連れて。女だけで町へ行かせるわけにもいかず、護衛役はザカートに押し付け……否、任せて、フルーフは宮殿に残った。


待っている間に、マルハマ王シャオクからマルハマ鉱石を譲ってもらい、フルーフはご機嫌だ。


「ミカさんにもらった資料があるので、よりいっそう、強力な封印装置を開発できると思いますよ。とりあえずいまは……僕の銃の弾をマルハマ鉱石に……」


会話は、そこで途切れた。


突然の爆発――何が起きたのか。その時は、誰も理解できなかった。

フルーフも、気付いたら自分は床に倒れ、炎が部屋を包み……柱や天井の一部が崩れて、あたりは一変していた。


自分も吹っ飛ばされた際に身体を強く打ち付けたらしく、起き上がろうと動くだけで節々が痛い。

炎が燃え盛る音と、建物が崩れ落ちる音しか聞こえてこなくて……部屋にはシャオクの他に召使いたちもいたはずなのに……生きている人の気配がまったく感じられなかった。


「シャオクさん……!」


爆発で倒れた柱の下で、シャオクは倒れていた。かろうじて息はあるが……。


余計な考えは振り払い、フルーフは柱を押す。とにかく、シャオクを助け出さないと。

炎に包まれているのに、煙はほとんどなかった。煙で命を落とす心配はないかもしれないが……このままでは、生きたまま火あぶりだ。


炎はじりじりとフルーフたちを取り囲む――脱出手段はある。シャオクさえ助け出せれば……。


「これが、いまのマルハマ王……。なんと軟弱な男だ」


聞こえてきた声に、フルーフは周囲を見回した。

炎で出入り口も失い始めているこの部屋に、いったい誰が。


部屋に入ってきたのは、真っ黒な肌をした大男。

南方地域に住む人々は褐色色の肌をしているが……男の肌の色は、明らかに人間の色ではなかった。異質なほどに白い肌をしたセラスと、真逆の黒さ。

髪は白く、無造作に長く伸ばされている。片手に何かを抱えているが、フルーフにはそれを確認している余裕がなかった。


この大男は、きっと。マルハマに巣食う災厄――。


「シャオク様!」


部屋に、今度はアマーナが飛び込んできた。彼女はきっと、マルハマ王を心配して駆けつけてきたのだろう。

まずいと思ったフルーフが銃を構える時間もなく、魔人が動いた。


常人では、魔人の動きを目で追うことすらできない。アマーナはもちろん、フルーフが魔人の行動に気付いた時……アマーナを突き飛ばしたライラが魔人の攻撃を食らい、豪快に壁に叩きつけられていた。


魔人が片手に抱えていたのはライラだった。よく見てみれば、ライラを抱えていたほうの腕の先には手がない。塞がった傷口から察するに、ずいぶん昔にこの魔人は片手を失っていたようだ。


突き飛ばされて床に倒れ込むアマーナに駆け寄り、フルーフは魔人に向かって銃を撃つ。

魔人は拳で容易く銃弾を叩き落としていたが……弾の正体に気付き、わずかに顔を歪めた。


「……マルハマ鉱石か」


簡単に作った銃弾だったが、それでも効果はありそうだ。

……次が撃てれば、の話だが。


ライラが直撃した壁が豪快な音を立てて崩れ、粉塵を切り裂いてライラが飛び出してきた。


魔人ではなく、柱の下敷きとなったシャオクのもとに向かい、一撃で柱を破壊した――ライラが拳を振るう姿を、フルーフは初めて見た。

彼女の戦闘スタイルと言えば、蹴り技で……。拳で戦うのはジャナフのほう……比較してみると、戦い方がよく似ている。


「ライラさん……?」


フルーフの呼びかけにライラは答えることなく、彼女は魔人と向き合う。

すでに彼女はボロボロで……なぜか、髪が長い。なんだか様子もおかしい……。


「姫様――!」

「だめです!僕たちは、彼女に任せて逃げないと!」


ライラに駆け寄ろうとするアマーナを引き留め、フルーフが言った。


「僕たちがいると、かえって足を引っ張ってしまいます。ライラさんがやつを引きつけてくれている間に――早く!」


倒れたまま動かないシャオクをつかみ、フルーフは転移用の短剣を取り出す。

短剣を地面に刺すと、半径一メートル程度の魔法陣が地面に描かれ、淡い光を放った――カーラみたいに一瞬で発動するものではないし、距離もずっと短い。彼の転移術はやはり規格外だ。


魔法陣の中に入ったフルーフ、シャオク、アマーナだけで、宮殿の外へと移動する。

――転移する直前、ドレスで動きにくそうなライラが、魔人とまともに戦うことができないでいる姿が見えた。


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