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かぐや姫を愛した末路


――懐かしい夢を見ているな、とカーラは思った。


あれは……いくつの時だったか。

五歳ぐらいだっただろうか。キャンプを抜け出し、一人で森へ探検に行ってしまった姉を必死で追いかけ……まだ幼かったから、転移術も大した距離は飛べなくて。あっという間に力を消耗してしまって。

それでも、姉を追いかけていた……。


木にもたれ、大きく深呼吸する――かなり力を消耗してしまい、立っているのもギリギリの状態だ。でも、とにかくライラを追わないと。

集中して、姉の気配を追う。


……ライラがこちらへ向かっていることに気付き、ハッと顔を上げた。

木の上から、姉が降りてくる。


「やっぱりカーラか。追いかけてきてたんだな」


勘の鋭い彼女は、弟が自分のことを追いかけていることに気付いて、こちらへ来てくれたらしい。自分を見て笑うライラに、カーラは目を吊り上げて説教する。


「――姉者、アマーナが心配していたぞ。一人でキャンプを抜け出して!さすがに遠くへ行き過ぎだ!」

「悪かったって。もう帰るよ――ほら」


自分に背を向けてしゃがむライラに、カーラはぎゅっと唇を結ぶ。

さすがにいまは、大丈夫だ、と強がることもできず……カーラは、大人しくライラの背におぶさった。


カーラを背負うと、ライラはキャンプへ向け、軽く走り始める。人を背負っている重みなど感じさせない足取りで。


「……姉者。なぜオレを置いて行ったんだ?」


ライラの背にぎゅっと抱きつき、カーラは尋ねた。


一人キャンプを抜け出したライラが、なかなか戻ってこない。

心配したアマーナがそう話しているのを聞いた時、カーラはひどくショックを受けた。


いつもなら、自分に声をかけてくれるのに……そんな姉が、今日は一人で行ってしまった。

堪らず、覚えたばかりの転移術を使って追いかけた。

アマーナが心配している、なんて。姉の顔を見て、とっさに思いついた言い訳だった。ただひたすら、衝動的に、姉を追いかけてきてしまった……それだけだ。


カーラの問いかけに、ライラは明るく笑う。


「だから悪かったって。ちょっと散歩のつもりだったんだよ。それで……つい、な。気付いたら、ずいぶん遠くまで来ちまってた。こんな遠出になる予定は、オレにもなかったんだよ」

「そうか……」


置いて行ったわけではなかった。それを知って、カーラはライラの背中でホッとしていた。


「姉者……置いて行かないでくれ」


いつも自分は、姉の背中を見ているばかり。必死で追いかけて、でも追いつけなくて。

転移術を……呪術を学んだのも、なんとかライラを追いかけるためだった。ライラの背中を追うのに、自分にはそれぐらいしか方法がなかったから。


いつか追いつきたいと思っていたけれど。

姉の死で、永遠に叶うことのない願いとなってしまった。




懐かしい夢から意識が浮上し、カーラは目を覚ました。まだ部屋は暗く、夜は明けていない。


隣で眠っていたはずのリラの姿がなく――何度も味わった感覚に、肝が冷えた。

目が覚めて……そばにいると思っていた姉が、どこにもいない。ライラが亡くなってから、数えきれないほど味わってきた絶望感だった。

だが今夜は。


すぐにリラの姿は見つかり、カーラは大いに胸を撫で下ろした。

リラは部屋の窓のそばに座り、夜空を眺めている。寛衣を簡単に羽織っただけの姿で。


脱ぎ捨てられ、床に散乱したままの服を拾って羽織り、カーラはリラに近寄った。


「姉者」

「あ、起こしたか?ごめん」


カーラに気付いて振り返るリラの隣に、自分も座る。

夜空を眺める姉の横顔を見つめ、長い黒髪を撫でる――こうやって、気軽に彼女の髪に触れることができる立場になったのだと、その幸せを噛み締めながら。


「今夜は満月だな。月が出てるから、星は見えないや」

「そうだな。満月が終われば、明日は鎮魂祭だ」

「うん……。前にカーラと一緒に見た時は、新月だったんだよな。なんか、気付いたらずいぶん時間が経ったんだな……」


ぽつりと呟くリラに、カーラは返事ができなかった。


リラは、元の世界のことを考えていたのだろう。こちらへ来て、ずいぶん時間が経ってしまって。いったい、向こうではどれぐらい時間が経っているのか……こちらの世界とリラの世界、流れる時間の早さは異なっているようだが……。


「カーラ、知ってるか。月にはうさぎが住んでて、餅を作ってるんだぜ」

「なんだそれは。かぐや姫とやらが住んでいるのではなかったのか」


よく覚えてるな、とリラは笑う。


以前、リラが語ってくれた日本のおとぎ話。

竹から生まれたかぐや姫――様々な男から求愛されたが、それらすべてを拒否し、月へと帰っていった女の物語。色々と謎だらけなストーリー……リラも、日本人から見てもよく分からない物語だ、と話していた。


「かぐや姫かぁ。月に帰って、幸せになれたのかな。帰りたくないって訴えるぐらいには、じいさんとばあさんとの暮らしが好きだったのに。全部忘れて……その後、思い出して悲しくなったりしなかったのかな……」


丸い月を見つめ、リラが言った。

思い出すことがなければ、何事もなかったように、かぐや姫は幸せに暮らすことができるのだろうか。別の世界での暮らしなど忘れ去り、二度と思い出すこともなければ……。

……思い出してしまうことが、かぐや姫にとっては不幸かもしれない。


「姉者。日本で暮らしている間、姉者はこっちの世界での思い出をどう捉えていたのだ?こちらへ召喚されてから思い出したのか?」

「うーん……単なる夢だと思ってたな。小さい頃は、実際に自分の身に起きたことだと思ってたような気もするけど……大きくなっていく内に、どっかでそんな絵本かアニメか漫画でも見て、強く印象に残ってるだけだって思い込むようになったんだろうな。こっちの世界に召喚されてから、あれは前世の記憶だったんだって一気に謎が解けた感じ」

「そうか……なら、元の世界に戻ったら、またただの夢だったと感じるようになってしまうのかもしれないな……」


ん?とリラが不思議そうな表情でこっちを見る。カーラの呟きは、月を見つめる彼女には届かなかったらしい。

カーラはかすかに笑い、いや、と首を振る。


「かぐや姫という物語は、作者等も不明だったのだな」

「そうそう。書いた人とか、物語が作られた時期とかも謎だらけの、不思議な物語らしいぜ。案外、オレみたいな異世界から召喚された人間が広めた話なのかもな。こっちで桃太郎が広まったみたいにさ」


リラが笑う。カーラも相槌を打つように笑って、リラの髪を撫でていた手で、彼女を抱き寄せる。

大人しく自分の腕に収まるリラを、カーラはぎゅっと抱きしめた。


月へと帰っていったかぐや姫。

彼女に置いて行かれた者たちは、その後、どうしたのか。


所詮はただのおとぎ話。だから、本当に悲しんだ者はいない。

……でも、もしかしたら。


この謎だらけの不思議な物語は、実は誰かの実体験だったのかもしれない。愛しい女が、二度と会うことも叶わぬ場所へと去って行った、誰かの……。


「姉者、肌が冷たい。寝台に戻るぞ」

「ん。この季節でも、やっぱり夜はちょっと肌寒いな」


カーラに誘われ、何も疑うことなく素直に寝台に戻って来るリラを、不意を突いて押し倒す。

異世界のことを想って気もそぞろになっていたリラは、あっさりカーラのされるがままとなっていた。


「……これが目的だったのかよ」


罠にハメやがって、とジト目で睨んでくるリラに、カーラは吹き出してしまう。


「鎮魂祭が始まったら、いくらなんでも情事に耽る気にはなれぬからな。その後は旅に出てしまうし――次がいつになるのかも分からぬのだ。大目に見てくれないか」


そっか、とリラは合点がいったように相槌を打つ。


「ザカートとフルーフにも夜這いしようと思ってたんだけど、タイミングがなくなっちゃうかもしれないのか」


馬鹿正直なリラの言葉に、カーラは盛大に眉間に皺を寄せる。


「……姉者。閨の場で他の男の名を出すのは禁止だぞ」

「あ、ごめん」


謝罪も軽い……。カーラはため息をついた。

だがものすごく彼女らしくて――腹を立てる気になれない自分に、腹が立つ。


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