触れて、伝わる
拾われたばかりの頃、カーラは特に人見知りがひどくて、女たちが世話をしようとするのを嫌がることが多かった。
「カーラ様。お薬をちゃんと飲みませんと……ほら、美味しい果物もありますから。お薬を飲んだら食べましょうね」
災厄から救出され、すでに数日経ってはいたが――命に別条はないと言っても、幼いカーラは薬を飲み、まだ安静にしていなければならない。
だが赤ん坊のカーラは、見知らぬ場所、見知らぬ人に囲まれて混乱し、泣いて拒絶することもしばしば。
いまも、薬の入ったスプーンを差し出されギャン泣きしている。
薬が嫌というより、訳の分からない人間から、よく分からないものを食べさせられるのが不快でならないらしい。
ご機嫌どりに果物を差し出してみても、仰け反って食べることを拒否していた。
「あら、ライラ様」
困り果てているところに、姉姫のライラがやって来る。
ジャナフに拾われたばかりの頃のライラは、無表情無口で、何を考えているのか分からない少女であった。
ただ、幼いカーラのことは気になるようで。こうして、泣き声を聞き付けてテントへやって来ることもあった。
「カーラ様。お姉様が心配して見に来てくださいましたよ。ほら、ライラ様ですよ」
ライラの登場に、女たちは内心ホッとしていた。
カーラはライラによく懐いているし――いまも、姉を見つけて自ら抱っこをせがんでいる。
ライラが慣れない手つきで抱き上げれば、大粒の涙を溜めたままではあったがカーラはニコっと笑った。
カーラの笑顔にライラも反応し、ぎこちなく笑う。
「ライラ様。カーラ様に、薬を飲ませてくださいませんか?ライラ様だったら、カーラ様も飲んでくださるかも……」
スプーンと薬湯を渡され、ライラはそれをじっと見つめた後、スプーンをカーラの口元に差し出した。
さきほどまでの抵抗が嘘のように、カーラはあっさりとスプーンを口にし、大人しく薬を飲む。薬が苦かったので、やっぱり嫌そうな顔をしてはいるが。
「ライラ、ここにおったか。相変わらず、カーラをよく見ておるな」
テントが賑やかになり、ジャナフが笑いながら入ってくる。アマーナもすぐに入ってきて、ホッとため息をついていた――どうやら、勝手にいなくなってしまったライラを探し回っていたらしい。もしかしたら、と思ってジャナフと二人、カーラのテントにやって来たようだ。
「お薬を飲むのを嫌がって、カーラ様が泣いておりまして。その泣き声を聞き付けて、ライラ様が来てくださったみたいです。ライラ様からだったら、あっさり薬を飲んでくださいましたわ」
ため息まじりにジャナフに告げ口すれば、ジャナフは大笑いだ。姉の膝にちょこんと座ったまま果物を食べているカーラの頭を、ぽんと撫でる。
「親と突然引き離され、不安でならぬのだろう。恐ろしい目に遭ったのだ……落ち着くまで、あたたかく見守ってやるしかないな」
……それにしても、ずいぶんライラに懐いているような。
ジャナフにも懐いてはいるのだが、ライラには格別だ。ライラのほうは、自分に懐くカーラが気になって仕方がない様子。
「実の姉弟ではないのだろう?」
「はい。治療師によると、二人の纏うオーラは完全に異なっておりますし、恐らく血縁はないだろうと」
「……で、あろうな。実の姉弟にしては、あまりにも似ておらぬ……」
血の繋がりのない男女が、こうもべったりなのはまずいだろうか――ジャナフも、ちらりとそんな考えが浮かぶ時はあった。いまは小さいからいいが。
そう思いつつも、仲の良い二人を引き離すのはあまりにも気の毒で。
カーラがライラに懐いているように、ライラもまた……人間離れした雰囲気を持つライラが、カーラにだけは人間らしい態度を取っている。ジャナフにも心を開いてはいるが、カーラには敵わない。
幼いカーラを気にかけ、心配するその姿は……悪くないことだと思うのだ。
ライラとカーラは、互いに互いが、かけがえのない存在であった――出会ったその時から。
夜も深まり、静かな自室で。窓から空を眺め、カーラは思わずため息をついた。
結局今日は、姉に会えないまま。
姉がいるのに、こんなに長い時間、顔も見ないのは初めてだ。
……自分がいかに姉にべったりか、改めて思い知らされて苦笑してしまう。
リラの気配が、部屋に近づく。カーラは出入り口に急ぎ、姉を出迎えた。
声をかける前にカーラが自分を出迎えてきたので、リラはちょっと目を丸くしている。
「姉者……」
「よ――久しぶり……ってのは変か。でも、おまえとこんなに長い時間、顔を合わせないのは初めてだよな。気分的には久しぶりって感じだ」
話すリラも、どこか戸惑っているというか……緊張しているというか。そんな姉の態度に、カーラもいっそう緊張してしまう。
「入っていいか?」
頷き、リラを招き入れる。
リラは寛衣一枚……身軽な装いで……カーラでも、簡単に脱がせそう……。
余計なことを考えてしまって、カーラはますます緊張してしまう。どうしてこういう時、余計なことばかり考えてしまうのだ、自分は、
「よく考えてみたら……オレ、おまえの部屋に入るの初めてかも」
「十年前はなかったからな」
十年前までは、父に連れられてしょっちゅう国都を離れていた。
時々帰ってくるカーラには、その都度空き室を与えられていただけ――女のライラは後宮にはっきりと自室を用意されていたが、カーラには決まった自室がなかったのだ。
小さい内は姉のそばの部屋だったが、大きくなって後宮内の部屋は不都合になったから、どこにカーラの部屋を作るか父と叔父が相談し合っていた……それが決まる前に、ライラは……。
「こうやって見てみると、やっぱり男と女の部屋って雰囲気が違うんだな。でもカーラらしくてオレは好きだぜ」
「……姉者」
大きくため息をつき、カーラは呆れながら言った。
「こういう状況で、軽々しくそういうことを口にすることはどうかと思うぞ」
「こういうこと?」
不思議そうに首を傾げる姉に、頭を抱える。ここに何をしに来たのか、分かっているのか……彼女は。
「姉者は……その……親父殿に何と言われて来たのだ?」
「ん?とりあえず、今夜はカーラの部屋に行けって。それだけだけど?」
あっけらかんとしているリラに、もしかして姉は、何も分からないままここへ来たのでは、という疑問がわき上がる。
……あり得る。色々と鈍い彼女だ。例えジャナフとそういう関係になっていても、閨のことなんか分からないままなのでは……。
一人またため息をつくカーラを見つめ、リラはきょととんとしている。
茶を飲みながら世間話でもして過ごすか――それが、自分のためでもあるような。
侍女を呼んで茶と甘味を持って来させようと部屋の出入り口に近付くと、自分の手に、リラがそっと触れてきた。
思わず手を引っ込めてしまう――驚いて振り返ると、リラも驚いてちょっと身を引いている。
「ご、ごめん……」
しゅんと小さくなってしまうリラに、カーラも盛大に慌てた。
姉のしおらしい態度と……女のリラに恥をかかせてしまった申し訳なさから。リラが勇気を出して、一歩を踏み出したのに。自分の情けなさに、カーラも恥ずかしくなる。
「いや……オレのほうこそすまない。どこまでも情けないな……オレは」
改めて自分から手を伸ばし、リラの手に触れる。ぎこちなく握れば、リラもぎゅっと握り返した――物心ついた時から、カーラを慈しみ、守ってきてくれた手。
記憶にあるより小さくなり……自分の手は、彼女の手を包み込めるほど大きくなった。でもまだ……彼女を守ると、胸を張って言うこともできない程度の男にしかなれていない。
「髪に触れても良いか……?」
「うん?あ……うん。いいよ」
一瞬戸惑いながらも、リラが頷く。
もう一方の手で、カーラはリラの黒く長い髪に触れた。
マルハマでは、結婚もしていない異性の髪に触れることはタブーとされている。親兄弟であっても、女が成人している場合は軽々しく触れてはならない。カーラも、小さい頃は姉の髪に触ることもあったが、成人してからは触っていない――マルハマは、十三を超えれば成人扱いだ。
ずっと……触ってみたいと思っていた。
触ることの許される立場に、なってみたいと……。
「……美しいな」
姉の髪を撫でながら言えば、リラはちょっと照れくさそうに笑い、だろ、と自慢げに言った。
「髪だけは、オレも自慢だぜ。頑張って手入れしてきたからな」
「別に、髪だけを褒めたわけではないのだが」
そう言っても、リラには理解してもらえないだろう。
苦笑いで、リラの頬に手を伸ばす――そっと顔を近付ければ、リラは目を瞑る。
軽く触れるだけの口付けだったが、目を開けて間近からリラを見つめた時、目が合った彼女は、顔を真っ赤に染めて。
愛しくて堪らなくて――無我夢中で、昔よりずっと華奢になったリラの身体を抱き寄せた。




