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悪魔の囁き


マルハマの朝は、ゆっくりである。

ご馳走と呼べるほどのたくさんの朝食を、時間をかけて楽しく食べる。それが、マルハマ流の朝食である。


だから、多少の寝坊も珍しくないのだが……。


「姉者たちは寝坊か?親父殿はともかく、姉者は珍しい」


父は時々酔っ払って寝坊をするが、姉は早起きである。回復力が高いから、自然と起床も早まるらしい。


朝食の配膳をする召使いに、カーラは声をかけた。


「いえ。すでにお二人ともお目覚めでございます。今朝は、二人で朝食を召し上がるそうで」


ニコニコと話す召使いに、カーラは凍り付く。

そんな彼の挙動に、朝食を食べていた他のメンバーは目を丸くした。


「カーラ……?」


恐るおそるザカートが声をかけ、カーラは動揺を隠すこともせずに口を開く――動揺を表に出さないように努めるカーラにしては珍しい。


「……マルハマでは、成人した男女が二人だけで朝食を取るというのは……初夜を終えた証とされている。本来、朝食は家族全員で集まって食べるものであるから……」


言葉を詰まらせながらカーラが説明すれば、場が一瞬シーンとなる。

呆然としていたザカートが持っていた杯を落とし、その音で、ようやく時間が動き出す。


「す、すまない……」


零れてしまった茶を、召使いたちが掃除する。そのことに謝罪しつつも、明らかにザカートは他のことに気を取られているようで。


「……すまない。少し、食欲が……俺のことは気にせず、みんなは食事を続けてくれ」


立ち上がり、ザカートは部屋を出て行く。そんな彼を、フェリシィとセイブルはおろおろしながら見送った。


「ザカート様、大丈夫でしょうか……」

「大丈夫かどうかで言えば、大丈夫ではないと思いますよ」


そう言ったフルーフの声は冷たい。

感情を出さないように努めているから、冷淡にも感じられて――その理由を、誰も問う気にはなれなかった。


「僕は自分が一番不利な立場にあることを分かっていましたから、まだ落ち着いていますが……ザカートさんは、やはりショックでしょう。心のどこかで、自分が選ばれるという自信があったから……覚悟していたとは言っても、それを目の当たりにされて平気かと言われれば別な話で……ああ、やっぱり僕もだめかな……」


一人話し続けていたフルーフが、大きくため息をつく。すみません、と立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。


残されたフェリシィたちも、朝食を続ける気が起きないようだ。セラスだけは変わらぬ様子で食べているが……それでも、いつもに比べれば大人しい。


「私、考えなしでした……。みなさんが幸せになれる結果になったなんて……安易に喜んでしまって……」

「おぬしが気にすることではあるまい」


しゅんと落ち込むフェリシィに、セラスはあっけらかんとした口調で言った。


「自ら提案し、決定したことではないか。わらわたちが焚きつけたわけではない。連中の見通しが甘かったのじゃ」

「そうだな。フェリシィが気に病む必要はない。誰に強制されたわけでもなく、自分たちで決めたことだ。覚悟が足りなかったな」


その台詞はザカートたちを嘲笑ったわけではなく、自虐だったと思う。

苦笑いで、カーラは茶を飲む――今朝の茶は、ずいぶん苦い。




朝食のあと、カーラは鎮魂祭の準備に専念することにした。


あれこれ考えたり、気遣われたりするのも嫌で、カーラは率先してその役割を引き受けたのだった。

父は面倒くさがって自分に押し付けてくるだろうと思っていたし……さすがに、いまジャナフを寝室から引っ張り出すのは……。


しかし、今年は簡素に済ませるつもりだったから、さして準備も時間がかからない。

昼過ぎには仕事も終わってしまって、休息を勧められてしまった。


空いてしまった時間をどう使うか。何も思いつかないまま、気付けば中庭でぼーっと立ち尽くす。

そんなカーラのそばに、鷹のリーフがすいーっと近付いてきた。


「リーフ、慰めに来てくれたのか――大丈夫だ。何が大丈夫なのかはオレにも分からんが……これで良かったのだと、安堵する思いもある」


自分の腕にとまった鷹の羽を撫で、カーラは言った。


これで良かった――強がりではなく、本心だ。

リラは、ジャナフを選んだ。それが……たぶん、カーラにとっても一番ベターな結果だ。


姉が自分たちから離れることはなくなったし、ジャナフが彼女を愛しているのなら……。

カーラがリラに遠慮していたのは、ザカートに負けそうだったというだけでなく、父の気持ちを知ってしまったというのもあった。


ジャナフは偉大なるマルハマの王で……自分たちの恩人で……敬愛する父で。父のためなら、自分はすべてを差し出したって構わない――身寄りのないカーラを我が子同然に育ててくれた彼には、返しきれない恩がある。

姉のようにはっきりと態度に出さないだけで、カーラだって父が大好きだ。


だから……父を差し置いてリラと結ばれても、自分はまた新たな葛藤をすることになるだけ……。


「カーラ」


物思いにふけっていたから、声を掛けられるまで父の気配にまったく気付かなかった。


ばさっとリーフが飛び上がり、今度はジャナフの腕にとまる。ジャナフはカーラに近づき、いつもと変わらぬ笑顔を向けた。


「ここにおったか。ヘルムから聞いた――鎮魂祭の準備、任せてすまぬ。やはり、おまえは頼りになる息子だ」

「いや……」

「今日の残りは、さすがに自分でやることにしよう。おまえは休み、夜に備えておけ」


父の笑顔が意味ありげなものに変わり、カーラの肩をぽんと叩いてくる。

カーラは言葉の意味を察しかけて……大いに戸惑い、父に不信の目を向けた。


「……ライラに、今夜はおまえの部屋に行くよう言いつけてある」

「は……」


ぽかん、と。

いまの自分は、どうしようもなく間抜けな表情になっているに違いない。だが、取り繕ってもいられなかった。

父は、本気で……?


「カーラ――ワシが思うに、あやつ、ワシらとの別れを決意しておるぞ」


父を非難しかけて、カーラは言葉を呑み込んだ。


その可能性は、カーラもずっと考えていた。

異世界から突然召喚されてしまったリラ。元の世界に未練はあるはず。両親もいると話していたし、異世界で幸せに暮らしていたようだった。なら……魔王ネメシスとの戦いが終わったら、元いた場所へ帰ることを選ぶのでは。

確かめることすら怖くて、カーラもずっと、口には出さなかったけれど。


「果たして戻れる方法があるのかはさておき――戻るか、残るか。どちらかの選択を迫られた時、おそらく……」


はっきり言葉にするのはジャナフも辛いらしい。不自然に言葉を切り、大きなため息で続きは消えた。

うつむきがちになってしまう男二人を見て、鷹のリーフが首を傾げている。


「ワシは……あやつを帰したくない。ライラと別れたくない。そのために……いささか常軌を逸した振る舞いだと言われようが、どんな手を使ってもあやつを引き留める」


リラの決意を受け、ジャナフも密かに決意したらしい。

でも……ジャナフが、リラに手荒な真似ができるわけがない。結局どこまでもリラに甘くて、彼女の頑固を許してしまうのに……。


「あやつはちょろい。だからな、カーラ。おまえもあやつを抱け。肌を重ねれば、絶対に情が移る――こちらへの未練が強くなれば、ライラの決意を覆せるかもしれぬ」

「……親父殿の言ったとおり、常軌を逸したやり方だな」


苦笑いでたしなめるように言いながらも……それでリラが思い留まってくれるなら、と囁く声は、カーラの内からもはっきり聞こえていた。


「引き留める手は、一人でも多いほうが良い!分かっておるのだ……あやつの頑固さも……帰してやるのが最善だということも……。だがまた別れねばならぬということを想像すると、気が狂いそうなのだ。嫉妬心にすら勝るほどに――いっそ、二度と会えないままでおったほうが良かったのかもしれぬ……」


混乱し、弱音まじりの本心を話す父の姿を、カーラは初めて見たかもしれない。

でも、父の気持ちは痛いほどわかった。


二度と会えぬ恋しい相手。

また会うことができて、とても嬉しい。でもその一方で、再会できた喜びを知ってしまったから、また別れなければならないという悲しみを思い知らされて辛い。

また出会ってしまったからには、もう別れたくない――残念ながら、カーラの心も、悪魔の囁きに傾き始めていた。



……まずいです。長くなりそう。

ライラ、カーラ、ジャナフの三人メイン話なので

たぶんここが一番長くなるだろうとは思ってましたが……。


二十話以内にはおさめます!

おさまるよね……?

(本当は十話程度でおさめるつもりだった)


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