回顧録・マルハマの女たち
「セラス!こら――おまえな、いい加減にしろ!」
豪快な水しぶきを受け、ライラは呆れながら説教する。
それでもセラスは浴槽内ではしゃぎ――たぶん、ちょっと魔術も使っていると思う。セラスの攻撃をまた頭からかぶることになって。
我慢の限界に達し、ライラは容赦ない反撃をお見舞いすることにした。ライラの剛腕による水責めに、セラスも頭からぐっしょりだ。長く黒い髪が、面白いことに……。
「あらあら。姫様ったら……」
ライラの髪を洗っていたアマーナが苦笑する。
かたわらで、フェリシィとフェリシィの世話をする侍女もクスクスと笑い、セラスの世話をすることになった侍女は諦めたように大きくため息をついていた――彼女も、はしゃぐセラスの被害を受け、全身ずぶ濡れである。
「ったく、信じられねえぜ。風呂どころか、沐浴すらまともにしたことないとか。綺麗好きってわけじゃないけど、そんなオレでも……頭がかゆくなるし、臭くて嫌だとか思わねえの?」
「私たちの住んでいる地域では、清めの香水を使って清潔を保つんです。身体を洗わずとも、衛生面ではそれで十分でして」
「あー、オレもそれは知ってる。旅してれば風呂に入れない時もあるから、そういうの使って済ませることもあったよ」
でも、気持ち的には、やっぱりお風呂に入ったほうが綺麗になれる気がする。だからライラは、できれば定期的に風呂に入りたいと思っていた。
「わらわは大いに風呂を気に入ったぞ。魔界に戻ったら屋敷にも作らせ、ミカに世話をやらせることにしよう」
「ミカって……おまえにとっちゃ母親代わりみたいなもんなんだろうけど、それでも男だろ?おまえ自身がそれでいいなら、オレが口出しすることじゃないけどさ……」
セラスの提案に困惑するライラに対し、アマーナがクスクス笑う。
「姫様ったら、ご自分のことを棚に上げて――姫様も、お小さい頃は、ジャナフ様、カーラ様と一緒にお風呂に入りたいと言って駄々をこね、私たちを大いに困らせてくださったんですよ」
幼い頃のライラのわがままを、アマーナはフェリシィとセラスに向かって暴露する。
小さい頃の話だし、とライラは唇を尖らせた。
「カーラが親父と一緒に入れるのが羨ましくて堪らなくてさ。カーラに嫉妬したって言うよりは、オレだけ除け者にされたのがヤだったんだろうなー。親父はオレよりカーラのほうが可愛いんだ、って盛大にごねたんだ」
ライラの昔話に、フェリシィたちは微笑ましそうに笑う。
――そんな、風呂場から聞こえてくる声を聞き、ジャナフもまた笑っていた。
「女たちはにぎやかにやっておるようだな」
そう言って、酒の入った杯を一口。姉者が戻ってきたらカンカンだぞ、とカーラが苦言を呈するが、だからいま飲んでおくのではないか、と父は悪びれない。
「友ができて、ライラも楽しいのだろう。おまえも――ライラとカーラは飛びぬけて優秀ゆえ、なかなか同世代で対等に接することができる相手を得られなくてな。おまけに、二人ともワシにべったりだ」
ザカートとフルーフに向かって、ジャナフが語る。
「だからライラが自らフェリシィと共に行くと言い出した時に、よい機会だと思ったのだ。寂しいが、二人に親離れを促す時期だと」
ジャナフの語りに、カーラは照れているというか……少し気まずそうに、目を逸らしている。フルーフは意味ありげにニコニコし、ザカートも笑っていた。
「ワシの期待通り、ライラもカーラも、旅の中で良き友を得ることができた――無論、だからと言ってライラを余所へやることは考えておらんがな。ワシを倒すこともできぬ男に、ライラを嫁になどやれるか!」
酒の入った杯を持ったまま、ジャナフが豪快に大笑いする。カーラが同調するように頷き、それは大変そうですね、とフルーフは相槌を打った。
「ジャナフさんを倒せる男ですか……この世に存在するんですかね?」
同意を求めるようにフルーフはザカートを見るが、ザカートはジャナフをじっと見つめていた。
――これを倒すのか……。
「あーっ!親父、まーた飲んでる!もう杯が身体の一部状態じゃねえか!」
ライラの声に、男たちは思わず笑ってしまった。
カーラが予想した通り、さっそく父の飲酒を見つけて、注意しにきて。彼女が戻って来た途端、にぎやかになる。
「そうかたいことを言うな。おまえとカーラ、それからフェリシィが無事に戻ってきてくれて、ワシも浮かれておるのだ。少しぐらい見逃せ」
「親父の場合、少しじゃねーだろ。いつも何か理由付けて飲んでるくせに」
それでも結局ジャナフから酒を取り上げることはできず、飲んでる父に、ライラはふくれっ面になっていた。
「カーラたちから事情は聞いておいた。無事に勇者を見つけ出し、聖剣の手がかりらしき情報は得られたものの、あやふやな状況は変わらず。せめて、先代勇者が持っている聖剣と同じマルハマ鉱石を使って武器を作ってみれば……ということで、マルハマへ戻って来た。シャオクに話をしに」
そういうことだな、とライラは頷く。
状況は、正直芳しくはない。勇者と出会い、フルーフやセラスといった、頼りになる仲間を得られたことは喜ばしいが、聖剣については何一つ進展がないまま。
藁にもすがる思いで……苦しまぎれの思い付きと言われてしまうと、否定できない。
「ワシも、そろそろタルティーラへ戻る頃かと考えておった。共に行き、ワシからもシャオクに話をしよう。遠い異国のこととはいえ、国の仇を倒すために奮闘する若者を放ってはおけまい」
「親父も賛同してくれるなら心強い。マルハマ鉱石で作った武器が、本当に聖剣になってくれるといいな」
な、とライラは笑ってザカートを見る。ザカートも笑顔で返し――そんな二人を、複雑そうな表情でカーラは見つめる。
旅に出て、ライラの交友関係が広まったのは喜ばしいが……思いもかけぬ関係も生まれてしまっているらしい。酒を飲みながら、ジャナフは一人、心の中で苦笑いしていた。
関所で借りたヒポグリフたちには帰ってもらい、傭兵団が持っているヒポグリフに乗って、ライラたちは先にタルティーラに向かうことになった。
傭兵団はヘルムに任せ、アマーナたちに見送られて空へと飛び立つ。
飛んで行けば、マルハマの国都へは数時間――傭兵団も、一日遅れぐらいで着くことだろう。
国都に降り立つヒポグリフの群れは、タルティーラの民の関心を引いた。
「お帰りなさい、ジャナフ様、ライラ様、カーラ様!」
ジャナフたちの帰還を、民は喜ぶ。ジャナフに至っては、町の人たちから次々に声を掛けられていた。
……その声かけのほとんどが、酒を飲みに行こうといった誘いなので、ライラがきりきり目を吊り上げていたが。
「姉者」
いますぐにでも飲みに行ってしまいそうな父を睨むライラに、カーラが声をかける。
弟に呼ばれて振り返ったライラは、カーラの視線の先を追った――扉を少し開けて、こちらに熱い視線を送る娘たちが。
ライラが笑顔で手を振れば、女の子たちはきゃあきゃあと黄色い声を上げる。
おまえが目当てなのか、とザカートは苦笑いだ。
「うん。なんかオレ、女の子にモテるんだよ。年上の女性からも可愛がってもらえるほうだけど、年下の女の子からは、なんでかきゃーきゃー騒がれがちで」
「僕は分かる気がしますよ。僕の継母も、ライラさんと似た理由で、若い女性たちの憧れになってますから」
フルーフが言った。
「男尊女卑とまではいいませんが、マルハマも、どちらかと言えば男性優位の国でしょう?女性は影から男たちを支えるもの。ところがライラさんは、男の中でもトップに君臨するジャナフさんと肩を並べる女性――若い女の子たちにとっては憧れの存在なんですよ」
フルーフの説明を聞き、そんなものか、とライラは首を傾げる。
でも、言われてみれば……フルーフの継母――グリモワールの王太后は、グリモワールで最も強い発言力を持ち、男たちを執り仕切っている。凛とした姿はとてもかっこよくて、ライラもちょっと憧れてたり。
……やっぱりそんなものか。
マルハマの宮殿でも、ヒポグリフの到着を受けて人が集まり、ジャナフたちを出迎えた。
美しいドレスをまとった女性に、ジャナフの様子が変わる――付き合いの長いライラやカーラでなくても、彼の変化は全員が感じ取った。
それほど露骨に、陽気なジャナフの雰囲気が一変したのだ。
「ばあちゃん、久しぶり!」
ライラが声を掛ければ、女性の後ろに付き従う侍女たちが苦笑いする。相変わらずこの姫は、と言いたげだ。
女性は何も言わず、黙っている。
「……ご無沙汰しております、母上。シャオクに用がございまして、戻って参りました」
頭を下げ、一つひとつ言葉を選ぶように、ぎこちなくジャナフが挨拶する。
彼女が、とザカートたちは心の内で思った。
ジャナフ、マルハマ王シャオクの生母。ジャナフとは疎遠な仲だと聞いてはいたが……。はたで見ているだけの自分たちもつられて緊張してしまいそうなほど、空気がピリピリしている。
王の母はやはり何も言わず、ふいっと身を翻して立ち去ってしまった。
母の背が見えなくなるとジャナフが大きくため息をつき……ザカートたちも、なぜか、ホッと胸を撫で下ろした。




