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夜更けの出来事


「姫様……ライラ様……もう、どこへ行ってしまわれたのかしら」


広く、静かな宮殿内を、休んでいる人たちの妨げにならぬ程度にアマーナは探し回っていた。


宴のあと、ちょっと散歩に行ってくる、と言ったリラを見送り……夜もすっかり更けたというのに、まだ彼女は帰ってこない。

カーラたちはもう休んだらしいから、まさか一人で勝手に宮殿の外に――大いに有り得そうな話だから、アマーナも頭を抱えてしまう。


誰かに言いつけて、探しに行かせるべきか。

うろうろと当てもなく探し回るアマーナに、ヘルムが声をかけてきた。


「おお、ここにおったか。アマーナ、王が呼んでおる」

「お断りします」


間髪入れず、アマーナは拒否する。ほとんど、条件反射だった。

ヘルムは苦笑いだ。


この時間に、王の寝室に呼ばれる。その内容、アマーナはよく分かっていた。


閨の相手の、世話をさせるため。王の寵愛を受けた女の世話を命じられるのは、侍女ならば当たり前のこと。しかし、アマーナは以前から断固として拒否し続けていた。

自分は、マルハマの姫の侍女なのだ。


侍女にも、格がある。ジャナフの母が亡くなり、いまマルハマで最上位にある女はリラ――そのリラの筆頭侍女。アマーナにとって、何よりも譲りたくない誇りである。


ライラが亡くなってからも、他の女に仕えることはしたくなかった。

最上位の女の侍女が付くことになれば、その女が、新たな宮殿の女主人と公言されたも同然な気がして。アマーナには、どうしても受け入れがたいことだったのだ。


「……アマーナ。王は、おまえの気持ちを十二分に承知しておる。ライラ様は、王にとって唯一無二の姫なのだぞ。おまえの誇りを、理解できぬはずがない。その王が、分かっていながら命じてきた――おまえも譲歩してくれ」


ヘルムに諭され、アマーナは反論することができなかった。


分かっている。王が、アマーナの信条を理解してくれていることも……自分は、十分に優遇されていることも。

マルハマで、一介の女が王の命令に逆らうなど、許されざること。それを、王はずっと許してくれていた。

王の命令を拒む選択肢が、存在するはずないのに……。


大きくため息をつき、アマーナは王の寝室へ向かった。




「お呼びとうかがい、馳せ参じました」


灯りがほとんど消えた広い部屋に入り、そっと声をかける。


ジャナフ王は、部屋の中心にある大きな寝台に腰かけていた。

隣に横たわる女を見つめていたようだが、アマーナが来たことに気付き、わずかに振り返る。


「これの世話を頼みたい――おまえにしか、頼めぬのでな」


やはり、閨の相手の世話……顔を上げたアマーナは、あっという声が漏れそうになったのを慌てて押さえた。

ジャナフ王の隣に横たわって眠っているのは……。


「おめでとうございます――えっと、合意の上……ですわよね?」

「当たり前であろう。ワシをなんだと思っておるのだ」


とてもめでたい、と喜びかけて、つい、余計なことを考えてしまう。ジャナフ王が相手だと、そういうことができる可能性があるし。


アマーナの疑いに、ジャナフ王は大変遺憾そうだ。


「ん……」


眠りが浅かったこともあって、リラがもぞもぞと起き上がる。目が覚めたか、とジャナフ王は優しくリラの頭を撫でた。


「身体の具合はどうだ。アマーナを呼んだ――身を清め、不調などがあれば見てもらうといい」


愛情に満ちた、ジャナフの声。もともと、リラやカーラに対しては愛情深い優しい父であったが、いまは……かたわらで聞いているだけのアマーナでも目を丸くするほど、一段と優しい。

しばらくリラはぼーっとしていたが、やがて頬を染め、シーツを身体に巻き付けて身を縮こませていた。


そんなリラを、ジャナフ王は愛しくて堪らないといった目で見つめている。


「姫様」


そっと寝台に近づき、リラに声をかける。リラはようやくアマーナのことに気付いたみたいで、シーツを巻いたまま寝台から降りてきた。


「すぐにお湯の用意を致しますわ。さ、浴室へ」


小さく頷くリラを、アマーナは浴室へと連れて行く。


今夜は普段使っている後宮の大きな浴室ではなく、王の寝室にある小さな個人浴室だ。いつもなら大勢の召使いを呼んで共に世話をさせるが、いまはアマーナ一人がいいだろうと――女と言えど、他の人間にいま、自分の身体を触られるのには抵抗があるだろう。


いつもは元気いっぱい、アマーナが世話を焼くことに抵抗を見せるのに、いまは借りてきた猫のように大人しい。

湯に浸かり、アマーナのされるがままに身を清めてもらい。

ぽたりと、リラの頬を涙が伝っていた。


「あれ……」


涙が落ちて、湯に波紋が起きる――自分の涙に、リラが不思議そうな顔をする。


「なんでだろう……湯が温かかったからかな……?」


なぜ自分が泣いているのか、リラには分からないようだ。

ゴシゴシと目元を拭うリラを、アマーナは優しく見つめた。


「親父たちには言うなよ」


小さく鼻をすするリラに、もちろんです、とアマーナは答える。


「アマーナは、姫様の味方です。誰にも喋ったりしませんわ」


そっと肩に手を置けば、リラも手を伸ばし、アマーナの手をぎゅっと握った。


アマーナには、リラの涙の理由が分かるような気がした。


自分たちは、他ならぬリラがジャナフ王の后となってくれることを渇望していたが……それは、ライラにとって父親を失うことを意味する。

ジャナフへの感情が、明確に父親に対するものから変わってしまった――もう、親子ではなくなってしまったわけで。

それが辛いというか……複雑なのだ。十五年も親子だったのだから、戸惑うなというのが酷な話だろう。


……姫様の複雑な心境を察して、ジャナフ王がきちんとフォローしてくれればいいのだけれど。

大丈夫だと思うけれど、ちょっとだけ、アマーナも心配だった。




浴室から部屋に戻ると、寝台のそばの机に酒が並び、ジャナフ王が杯を手に取っているところだった。

また飲んでる、とリラは顔をしかめていた。


「薬酒だ。見逃せ。ワシからすればこんなもの、酒のうちに入らん」


ジャナフ王の言い訳にリラは憮然としていたが、王の手招きに、大人しく応じていた。


「これ……ちょっと恥ずかしいんだけど」

「たまには良いだろう。ようやく、思う存分いちゃいちゃできるようになったのだぞ。ワシの楽しみを奪うな」


恥ずかしそうにしながらも、リラはジャナフ王の膝に座る。ジャナフ王は見たこともないほど上機嫌だ。

もう一つ杯を取り、リラに手渡してくる。


「オレ、酒は飲まないぞ」

「分かっておる。酒ではない」


ちょびっと口をつけ、中身が酒でないことを確認して、リラも飲み始める――無意識だろうが、ジャナフ王に甘えるようにすり寄って、身を任せた状態で。


そんなリラを愛しそうに見つめ……結局、ジャナフ王は杯を取り上げてしまった。


「まだ飲んでる――」


そう抗議して顔を上げ、ジャナフ王を見たリラは黙り込んだ。熱っぽく見つめられ、さすがのリラも、軽口を叩く状況ではないことを察したらしい。

寝台に押し倒され、自分に覆いかぶさってくる男に、少しだけ非難がましい目を向ける。


「せっかく綺麗にしたのに」

「許せ」


身を清め、新しい寛衣に着替えたのに、ジャナフ王はそれに手をかけてくる。仕方ねーな、とリラが呟く声が聞こえたような気がした。


アマーナは音を立てず、静かに部屋を出た。

またあとで、自分はリラの世話をしに来たほうがいいだろう――しばらくは、部屋の外で待機だ。


父を失ってぽっかり空いてしまった穴を埋めるに、ジャナフ王が別の愛情で満たしてやる必要がある。

気付いているかどうかは分からないが、ジャナフ王はだだ漏れなぐらいにリラを寵愛しているようだし、自分があれこれ考えるのは余計なお節介だろう……。


アマーナは苦笑いで、大切な姫が巣立っていった寂しさを抱えながら、一人夜を過ごした。


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