回顧録・ザカートとの前夜
「呼び出してすまない。おまえも、もう休むべきだと言うのに」
「いいよ。明日は最終決戦だもんな。大きな戦いの前には、無性に誰かとお喋りしたくなるもんさ」
ライラの言葉に、ザカートはぎこちなく笑って頷く。
――緊張しているのだろうか。
無理もない。
明日は、ついに魔王クルクスとの決戦だ。どんな結果になろうとも、ひとつの大きな終わりを迎えるのは間違いない。
二人でバルコニーに出て、静かな夜空を並んで見上げ……ライラが言った。
「……勝つよ。絶対。おまえが勝つ。魔王がどんなに強くったって……苦しい旅が続いたって、最後には勇者が勝つんだ。そんなこと、子どもだって知ってる」
ちょっとだけおどけて言えば、ザカートがまた笑った。
今度は、ライラの好きな優しい微笑みだった。
「ああ。必ず俺たちが勝つ……俺も、それを信じている。だからかな……勝った後のことを、つい考えてしまうんだ」
「気が早いな。でも良いことだ」
ライラも笑った。
魔王を倒すことしか考えていなかったザカートが、魔王を倒した後のこと――未来のことを考えられるようになったのは喜ばしい。
出会ったばかりの頃からは考えられないほど、彼も前向きになった。明るい未来を信じられるようになった……。
「……ライラは、やはりマルハマに戻るのか?」
「そうだなぁ……。タルティーラはえらいことになっちまったし、親父も王位を継ぐことになったし……オレも、クルクス倒したら、マルハマの建て直しを手伝うべきなんだろうな」
そう言いながらも、果たして自分にできることがあるだろうか、と少し悩んでしまう。
マルハマは、女は政に関われない。女は男たちを影から支え、出しゃばらないのがあの地域の風習だ。ライラはかなり特別扱いされている。
でも、本格的にジャナフが王になって、政を取り仕切るようになったら……。
父の後継者として教育を受けてきたカーラはともかく、自分の出番はなくなるかも……勉強を面倒くさがって、逃げてたところもあるし。
「アリデバランに来ないか。俺と一緒に」
そう話すザカートの雰囲気が、なんだかいつもと違っているように感じて。
即答しがちなライラも、その時だけは返事に詰まり、隣に立つザカートを見つめてしまった。
ライラの視線から目を逸らすことなく、ザカートもまた、自分を真っ直ぐに見つめる。
「おまえのことが好きなんだ。離れたくない……これからも、そばにいてほしい」
恋愛経験などまったくないライラでも、それが軽はずみに答えていい「好き」ではないことはすぐに分かった。
だって、自分を見つめるザカートは、怖いぐらいに真剣で。後ずさりしてしまいそうなほどに……。
そんなライラを見つめ、ザカートがくすっと笑う。
「か、からかったのか!?」
ザカートの笑みの意味が分からず、狼狽して詰め寄るライラに、ザカートはクスクス笑いを続ける。
いや、と笑いを抑えながら首を振った。
「おまえにそんな顔をさせたのが、嬉しくて堪らなくて。いつも俺が振り回されてばかりだったからな」
「根に持ってたのかよ……」
「根に持つと言うか――まったく動揺してもらえないのが一番辛い。おまえを動揺させるぐらいには、俺の存在が小さくなくて安心した」
ザカートの存在――ライラの中で、決して小さくはない。
出会って……共に旅をして……一緒に過ごした時間は、実はそんなに長くないけれど。でも、いまはもう、こうして一緒にいるのが当たり前のように感じてしまうぐらいに、隣に並ぶのが自然な関係で。
旅が終わったら、自分たちはどうなるのか――考えてもみなかった。
一緒にいるのが当たり前だから……なんとなく、これからも一緒にいられるような気でいた。
「返事は、明日――クルクスを倒してから……いや。別に、お互い国に戻って、マルハマが落ち着いた頃でもいいさ。考える余裕ができてからでも。本当は、急いで返事がほしいわけでもなかったんだ。ただ、きちんと伝えておきたかった。俺は、これからもおまえと一緒にいたいし、おまえが同じ気持ちになってくれたら……そんな未来を、おまえも考えてくれるようになったらいいと……」
そこまで言って、ザカートも黙り込んでしまった。
言葉の続きを待っていたライラは、首を傾げて彼を見る。
ザカートは真っ赤になっていた。自分の言葉で、照れてしまったようだ。
「……あんまり見ないでくれ。やっぱり照れる……」
悪い、と蚊の鳴くような声でライラも言った。
ザカートにつられ、ライラも顔が熱くなってしまう。
しばらく、二人で黙り込んで……気まずい沈黙が続く。
ライラが沈黙に耐えられなくなった頃、ザカートが声をかけてきた。
「その……抱きしめてもいいか?変な意味じゃなく……おまえの返事を急かしてるわけでもなく……変なこともしない――いや、何言ってるんだ、俺……。悪い、俺もかなり混乱してる……」
しどろもどろになっているザカートに、ライラは手を伸ばした。返事の代わりに、ザカートの手をそっと握る。
途端、ザカートに抱きしめられた。
一瞬だけ、何の返事も考えていないのに、こういうことをするのはまずいか、と自分の行動を後悔したが、すぐにどうでもよくなった。
自分を抱きしめるザカートの背に手を回し、ライラも彼を抱きしめ返す。
……どうしようもなく、相手のぬくもりを確かめたくなる時もあるものだ。
いま、ライラもそれを思い知った。
「ちゃんと考えるから……自分の気持ち。今夜は勘弁してくれ……」
「分かってる。そう言ってくれるだけでも、俺にとっては大きな前進だ」
それ以上は何も話すことなく、互いに互いの腕の中、胸の奥から込み上げてくる思いに揺蕩っていた。
恋とか、愛とか、ライラには無縁なものだった。リラに生まれ変わっても、相変わらずそういった感情ははっきりしなくて、いっそ分かりやすい特徴でもあればいいのに、と思っている。
ただ、ザカートと一緒にいるのは当たり前で。ああやって抱きしめ合っても、ザカートの腕の中にいるのがごく自然なことに感じられて。
自分も……もしかしたら。
そんな想いが、素直に浮かび上がっていた。
……立て続けに弟からも告白されて、彼の真剣さも思い知らされて、なんだかそれどころじゃなくなってしまったけれど。
でも間違いなく、ザカートはライラにとって特別だ。
問題は……。
「特別が多い場合って、どうしたらいいんだろうな……」
鍋をかき混ぜながら、リラはぽつりと呟いた。
ぐつぐつと煮え立つ音で、その呟き声は誰にも聞こえなかったようだが。
「姉者、何か言ったか?」
「ん?そろそろできた頃かなって」
皿を持ってきたカーラに、リラが言った。
カレーの良い匂いが、リラの食欲を刺激する。今日の食事当番を任され、リラは日本の名物料理を披露することにした。
カレーはインド料理というツっこみはさておき――リラがみんなに食べさせたいのは、日本独自の発展を遂げたカレーライスだ。だからこれは、日本料理と言ってもいい。
「ら、ライラ!ぐつぐつ言い出して、十分経ったぞ!もう火を消さないと!」
「そう焦るな。大勢の飯を作る時は、多少大雑把でも構わんものだ」
二人で米炊き担当をしているジャナフが、おろおろとするザカートを諫める。
一人旅が長かったせいか、ザカートは他人の食事を作ることにものすごく気を遣うタイプみたいで、料理を任せると何かと緊張しがちだ。
「美味しそうな匂いがしますね」
カーラを手伝って皿を運ぶセイブルは、ライラのそばをソワソワと飛び回っている。
それに対し、フルーフはちょっと不安そうな顔で鍋を覗き込んでいる。
「なんだか辛そうな匂いがするので、僕としては不安です」
「ちゃんと甘口も作ってあるから、おまえらはそっち食え――うん。味付けもばっちりだな。さすがオレ」
日本に生まれ、カレー大好きに育ったリラは、カレールウがなくてもカレーライスを作る方法を身に着けていた。米だって炊飯器なしでもちゃんと炊けるし、スパイスの調合だってできる。
……実は、そんな威張るほどのこともしていないのだけれど。
「スパイスも材料も、全部あるんだよな。カレーライスってメニューが存在しないだけで」
「似たような料理はマルハマにもあるぞ。それも所詮、煮込み料理の一種だろう」
姉の作ったものを見て、弟が冷静に解説する。
そうだけどさ、とリラは反論した。
「オレが求めるカレーはそうじゃないんだよ――米も炊けたし、飯にしようぜ」




