回顧録・伝説が始まる前に
朝日も高く昇った頃。
偵察も兼ねて薪集めをしていたライラは、茂みに気配を感じ、予定にはない場所まで足を伸ばしていた。
気配の様子から、うさぎの巣でも見つけたのかな、と思ったのだが違った。
茂みをそっと掻き分け、中の様子をうかがう。身を隠すように、少女が眠っていた。
弟のカーラと同い年ぐらいだろうか――弟はいま十五歳。透き通るように美しい金色の髪に、清潔な白い衣……旅で汚れたのか、その姿はボロボロだ。
気絶しているのかと思いきや、すーすーと小さな寝息が聞こえてきて。
「おい、おまえ。大丈夫か?」
身体を揺すっても、すぐに目を覚ますことはなかった。
ゆっくり目を開け、ぼんやりとライラを見つめる――ようやく覚醒した時、少女は後ずさりして、怯える様子を見せた。
「安心しろよ。どうこうするつもりはないから。このへんの人間じゃないよな?」
ライラはここよりはるか南の出身者だが、少女が着ている服が、近隣の国のものでないことはすぐに分かった。
……だって服に、国の紋章っぽいもの描いてあるし。
紋章から察するに……プレジール王国。か弱そうな少女が一人で旅をするには、ちょっと距離があり過ぎるような。
「一人か?あんまり旅に慣れてる感じがしないけど……」
ライラの質問に、少女はうつむいて黙り込むばかり。
警戒されている――無理もないが。
白い肌に、可憐な見た目の少女。そんな少女の目には、褐色の肌に背の高いライラが威圧的に見えることだろう。
ライラの出身国マルハマでは褐色の肌は珍しくないのだが、白い髪と紫色の瞳というのはあまりにも異色すぎる。初めて会った人間から警戒されるのは慣れっこだ。
自分が手を貸すのは少女にとって有難迷惑かな、とは思うのだが……傷ついたような少女を見ていると、どうしても放っておけなくて。
見た目に大きな傷はないが、少女は心に傷を負っているように見えてならない。だから、お節介だと自覚しても少女を放置できなかった。
「……腹、減ってるみたいだな」
どう声をかけるか悩んでいたら、少女のお腹が盛大に鳴り、ライラはくすっと笑う。少女も赤面していた。
「オレたちのキャンプが近くにあるから、とりあえず飯だけでも食って行けよ。口に合わないかもしれないけどさ」
少女はライラをじっと見つめ、やがて小さくコクンと頷く。
ライラが差し出した手を取って立ち上がろうとして、がくっと崩れ落ちた。少女も驚いて自分の足を見、ライラもそちらに視線を落とす。
「くじいたのか?」
長いロープの裾をめくり、少女の足を見る。
特に外傷はないが、確認のために足首に触れてみれば、少女が小さな悲鳴を上げた。骨にヒビが入ったか……もしかしたら、折れてるかも。
その時、ライラたちのそばに一羽の鷹がすーっと飛んでくる。鷹はライラの肩にとまり、続けて声が……。
「姉者!姉者、どこにいる!?」
「カーラ、こっちだ!」
弟が自分を探す声が聞こえ、ライラも声を上げて返事をする。すぐに、弟のカーラが姿を現した。
「姉者、あまり勝手に遠くまで行くな。オレたちは朝飯の準備に来ただけなんだぞ」
「悪い悪い。ちょっと人を見つけて」
弟のカーラも、ライラと同じマルハマ出身。
褐色の肌に、マルハマでは一般的な黒い髪。澄んだ青い瞳が美しく、少年から大人の男に成長途中といった青年であった。
一緒に薪拾いをしに来たはずなのに、一人勝手に遠くまで行ってしまった姉を探し回っていたようだ。
ライラが指差す少女を見て、その服に描かれた紋章に目をやる。プレジール人、と呟いた。
「一人で大変みたいだし、オレたちのキャンプに連れてってやろうぜ」
カーラは何か言いたげに顔をしかめたが、溜め息をつき、反対しなかった。
というか、反対しても無駄だということを嫌というほど思い知っていた。言い出したら聞かない――反対したところで、一人でさっさと行動に出てしまうし……。
ライラは少女をおぶり、カーラと共に自分たちのキャンプへと戻る。鷹が、ライラたちの周りを飛び回っていた。
ライラたちのキャンプは、彼女たちの父ジャナフ率いる一団で、そのほとんどがマルハマ人である。白い肌の少女は、キャンプではとても目立った。
「なんだ、ライラ。薪の代わりに、ワシの嫁候補でも見つけてきたのか?」
メンバーの中心となってにぎやかにやっている大男が、ライラの背中におぶさる少女を見つけて豪快に笑う。
大男は、褐色の肌に灰色の瞳――ここまではマルハマ人の一般的な容姿なのだが、髪はライラと同じく真っ白。しかもかなり大柄な筋肉質で、少女はさらに委縮しているようだった。
んなわけあるか、とライラは一蹴する。
「こいつはオレたちの親父でジャナフ。飲んだくれの女好きだが、おまえに悪さしないよう見張っとくから安心しろ。そう言えば紹介し忘れてたな。こっちは弟のカーラだ」
ライラが言ったが、カーラはすでに他のメンバーに声をかけ、雑事に取り掛かっていた。
ライラも少女をキャンプの中心に降ろすと、朝餉の手伝いに行ってしまって。縮こまっている少女に、マルハマ人の女性が愛想よく声をかけてくる。
湯浴みの準備ができたので、入ってはどうかと。
「まだ朝飯まで時間あるし、入ってこいよ。さっぱりするぜ」
通りがかったライラにも勧められ、少女は風呂に向かう。少女が風呂へ行ってしまったのを確認すると、ジャナフが笑いながら娘に声をかけた。
「それで。あの娘はどこで拾ってきた?喋れぬ……わけではないようだが」
「いかにも訳ありという感じだ。なのに姉者と来たら、ろくに身元も調べずにここへ連れてきた」
カーラは呆れたようにため息をつき、いいじゃん、とライラは唇を尖らせる。
「見捨てられねーだろ。次に会った時遺体とかだったら、寝覚め悪いじゃん。おまえとそう年の変わらなさそうな女の子なのにさ」
「プレジール人というのは、傲慢で視野の狭い連中が多いと聞く。南方地域への偏見も強いとか」
「それこそ勝手な偏見だろ。悪い子には見えなかったぞ、あいつ」
「……悪人ではないかもしれんが、世の中は、善人と悪人ではっきり分かれているわけではないだろう」
姉と弟がこうして意見を対立させるのは珍しくもない。というか、姉のライラがいささか楽天的過ぎて、弟のカーラはしょっちゅう苦言と説教をしている。
だから周囲も慣れっこで、父ジャナフは豪快に笑った。
「まあ、いい。プレジールと対立しているわけでもなし、回復するまで置いてやっても構わんだろう。カーラ。心配なら、おまえが見張っておけ」
「親父殿も、相変わらず甘い……」
また大きくため息をついたが、カーラはそれ以上反対せず、雑事へと戻った。
ライラも朝餉の支度を手伝い、少女が風呂から戻ってきたのを見て食事を勧める。
マルハマ式の食事スタイル――大きな布を敷き、その上に座って。少女は、ジャナフ、ライラ、カーラと同じ場所で朝食をとることになった。
一人ひとりの前に大皿が置かれ、大皿の上にはサラダやフルーツ、チーズの入った小皿が並ぶ。
ジャナフやカーラは当たり前のように食べ始めたが、少女は自分の前に置かれた皿をじっと見つめるだけ。
「あ。もしかして、においが気になる?こっちの料理は香辛料をふんだんに使うから、外国人が食べるにはキツいってよく言われるんだよな」
ソーセージの入った卵料理の小皿を見ている少女に、ライラが言った。
「果物は蜂蜜で漬けてるだけだから、おまえでも食べやすいと思うぞ。オレの分も食べるか?」
オリーブの入った小皿を差し出せば、少女はそれ手に取り、一粒口にする。
静かに咀嚼していたが……不意に、少女の瞳から涙がこぼれた。
「それも食べにくかったか?やっぱ、プレジール風の食事作ったほうが良かったかな」
「……いいえ」
少女が首を振る。涙を拭い、ライラに向かって微笑んだ。
「とても美味しいです。ごめんなさい――悲しくて、泣いたわけではないんです。食べたら、なんだかホッとして……勝手に涙がこぼれてしまって」
少女は頭を下げる。
「助けてくださって、ありがとうございます。私、フェリシィと申します。プレジールより……勇者を探して、旅に出ておりました」
酒に手を伸ばしながら、勇者、とジャナフが呟いた。
朝っぱらから飲んでんじゃねえ!とライラに取り上げられていたが。
「北のほうで勇者が生まれたとか、そのような話があったな、たしか」
「おとぎ話じゃないのか」
カーラは言い、一口茶を飲む。
「いや。実際、北の大国アリデバランは魔王によって滅ぼされている。魔王が現れれば勇者が誕生する――魔王と戦う使命を背負って。勇者伝説というのは、そうやって何度も繰り返されて来ているのだ」
「へえ。勇者様って、一人じゃないのか」
ジャムを手に、ライラが言った。
「魔王というのは一人ではないからな。魔族が存在する限り、その時代ごとに魔王が現れる。いまの時代に魔王が登場したということは、それに合わせて勇者も出てくるというわけだ」
「はい。そして勇者が現れれば、勇者を支える使命を持った者も必ず現れるのです」
フェリシィの言葉に、それがおまえということか、とカーラが口を挟んだ。
「勇者を助け、聖剣へと導く役目を負った聖女――プレジールの教会より、私が選ばれました」
「それで、一人で旅を?」
ライラは何気なく聞いたのだが、フェリシィはまた黙り込んでしまった。
この様子から察するに、仲間はいたようだ。だが……何らかの事情があって、一人になってしまった。そしてその事情は、ちょっと話しづらい内容らしい。
「聖女も大変だなぁ。アリデバランまで行くのか?」
「いいえ……アリデバランは、すでに魔王の巣窟。アリデバランで生まれた勇者も、いまは永い放浪の旅に出ているそうです。なんとか勇者様を見つけ出し、彼を聖剣まで導かねば……」
「はあー、本当に大変そうだな。なあ、フェリシィ。その旅ってさ、オレがついて行っても大丈夫?」
ライラの提案にフェリシィが驚き、カーラも姉を諫めるように睨んでくる。いいじゃん、とライラは唇を尖らせた。
「女の子が一人で頑張ってるんだぜ。手伝ってやろう」
「だがオレたちは、仕事で国を離れているだけだ。いつ終わるのかも分からない勇者探しに付き合うなど」
姉と弟が言い争い、フェリシィがおろおろと二人を交互に見る。
ジャナフは、豪快に笑った。
「言い出したら聞かぬ性格なのは、おまえもよく知っているだろう、カーラ。おまえが目付け役として、ライラたちに同行しろ。ワシらは一旦マルハマへ戻る――王から許可をもらったら、おまえたちを追いかけることにしよう」
さすが親父、とライラは喜び、カーラはため息をつく。
……カーラも、こうなるだろうと分かってはいた。
「じゃあ、フェリシィ。おまえの怪我が回復したら出発しようぜ。それまでは、キャンプでゆっくり休んでけよ」
ライラ
褐色肌に、ショートカットの白い髪
身長は男性の平均と比較しても高い
マルハマ王国
イスラム文化とか、アラビアンな世界とか
そういうのがモデル(割とふわっと設定)