回顧録・魔界への誘い
自分が魔族だと知って以降、ライラはあることが気になるようになっていた。
聖剣の手がかりを求めてグリモワールの大図書館に入り浸る内に、自分たちと同じように大図書館の常連となっている人たちとだんだんと顔見知りになっていき……その中に、気になる少女がいた。
独特の雰囲気を持ち、様々な人間が集まる大図書館の中でも、特に異色な少女。
彼女は図書館の本を読み、ギャラリーに飾られた絵を眺めていた。
不思議な空気をまとう少女はよく目を引き、常連ともなればライラもすっかり顔を覚え――最近、彼女の正体を察した。
「なあ。おまえ、魔族だろ?」
突然そう声を掛けられたにも関わらず、少女は気分を害した様子もなくライラを見て不敵に笑った。
「その問いかけは正確ではない。問うならば、おまえも、であろう?」
見た目はフェリシィやカーラと変わらないのに、話す言葉は年寄りくさい。しかもそれが、妙に様になっている。
カーラも、父親の影響で古めかしい言葉遣いをするが……この少女は、その話し方がよりいっそう似合っているというか。
「やっぱそうか。おまえも、魔族なんだな」
「ふむ。気付いておらぬと思うておったが……それとも、そなたも最近誰かに指摘されたのか」
「ご想像にお任せするよ――否定はしないのか」
ライラの言葉に、少女は面白そうに笑うばかり。
少女の名はセラス――その後、魔導士などと称して勇者一行の旅にちゃっかりついてくる、変わり者の魔族。
彼女との出会いは偶然でもあり……必然でもあった。
「セラスさんからお返事が来ました」
フルーフから言われ、リラは喜んだ。いつ会えるのかと問いかければ、フルーフは意味ありげに笑う。
「いえ、こっちから会いに行くことになりそうです。ほら、これ」
手紙に入っていたのは、魔法陣が描かれた紙。転移術の一種だ、とカーラが説明する。
「その通り。手をかざせば、あっという間に魔界にあるセラスさんのお家です――招待状みたいなものですね」
「はあ、なるほど。てことは、セイブル連れてこないとダメだな」
「そうおっしゃるだろうと思って、すでに声をかけてありますよ」
言われて中庭に行ってみれば、竜のセイブルはすでにリラたちを待っていた。
『魔界というのは、どのような場所なのでしょう。伝え聞くところによると、とても恐ろしい場所だと……』
「オレも実際に行くのはこれが初めてだからなぁ。でもセラスは良い奴だし、不安がることもないだろ」
リラが言えば、姉者は楽天的過ぎる、とカーラがため息をついていた。
果たして魔界とはどのような場所なのか――実を言えば、リラもちょっとだけ緊張していたのだが、セラスはそもそも、自分の家に直接到着するように術を仕掛けてあったらしい。
特に魔界をうろつくこともなく真っ直ぐにセラスの家に到着し、魔界の様子などは、こぢんまりとした家の窓から外を眺める程度でしか分からなかった。
「わー、久しぶりのお客さんだ。いらっしゃーい」
緊張感のない出迎えの言葉に、ドキドキと不安がりながら家の中を見回していた竜がぱちくりと眼を瞬かせる。
おっとりとした雰囲気の優男がリラたちを出迎える。容姿は優れているのだが……身に着けた可愛らしいエプロンのせいで、イケメン感も台無しだ。
「あっ、ライラちゃん!君がライラちゃんだよね?セラスが、いつ自分に会いに来るのかってソワソワしながら待ってたよ――ほら、セラス!お待ちかねのライラちゃんだよー!」
そう言うと、男はセラスを呼びに奥へと引っ込んでしまう。
いまのは?とセイブルが不思議そうに尋ねてきた。
「ミカさんです。元・人間で、魔族に転向し、いまはセラスさんの夫に」
「え!?」
リラが驚くものだから、セイブルはそっちに驚いてしまった。知り合いではないのか、と問われ、顔見知りだけど、とリラは答える。
「前に会った時は、セラスの父親代わり……というか、母親代わりみたいな仲で……。ああ……言われてみれば、そんな雰囲気あったな。あの二人」
「そうか。姉者がいなくなった後だったな。あの二人が夫婦になったのは」
カーラが思い出したように言った。
中性的な顔立ちではあるが男性に対して母親代わり、という表現が出ることに竜は戸惑っていたが、彼の場合は、そう表現したほうがなぜかしっくり来るのだ。
「ミカさんは我がグリモワールの出身で、家系図的には僕のご先祖様にあたります。人間だった時は独身だったので、直系の子孫というわけではありませんが。三代前の大図書館の館長でもあり……どうやら、ザカートさんの前の勇者だったらしいです」
『勇者』
あれが。
口には出さなかったが、セイブルのそんな内心がリラには聞こえたような気がした。
ザカートが医務室送りになった頃。
熱を出して寝込んでいたフェリシィが回復し、ライラが魔族だったこと、ザカートとちょっとだけ揉めたけど、かえって友情を深めることができたことを報告した。
ライラが魔族だったことには驚いていたが、旅を続け、自分の世界が非常に狭かったことを学んだフェリシィは、割とすぐにその事実を受け入れていた。
「ライラ様が魔族……そうだとしても、ライラ様のお優しさ、愛情深さをおそばで見て参りましたもの。魔族だからと言ってもすべてが私たちの敵となるわけではなく、互いに分かり合うことができるものなのですね――またひとつ、学ぶことができました」
真っ直ぐとライラを見つめ、心からの笑顔でフェリシィが言った。
結局、ザカートが少し迷っただけで、みんなあっさり受け入れるんだな、とライラのほうが拍子抜けてしまった。
その後、フェリシィは自分が寝込んだせいで迷惑をかけてしまったと謝罪し、熱にうかされている時に、夢を見たと話し始めた。
「夢で、ここの大図書館が見えました――いえ、グリモワールの大図書館が出てくるのはこれが初めてではないのですが、今回は人の姿も見えて。見覚えがあるような……と考え、思い出したのです。この大図書館のギャラリーに、あのお人の肖像画が飾られていることに」
フェリシィが指す肖像画。フルーフに確認したところ、それが三代前の大図書館館長であることが判明した。
直系ではないがフルーフたちの先祖にあたるそうで。言われて見れば、フルーフたちとどこか似通った顔立ちをしている。
「熱心な研究者でもあり、いくつか功績を残しているんですが……ある日、突然姿を消したそうです。噂では、魔界に興味を持っていたとかで。研究に没頭するあまり、魔界の穴へと落ち込んでしまったのではないかと」
グリモワールには時々、魔界に繋がる穴のようなものが発生するらしい。穴と言うか、異空間の歪みというか……正確には分かっていない。行って、戻ってきた者がいないから。
でもなぜかそのような逸話は広く語り継がれ、魔界へ行ってしまう人もいるのだとか。
大図書館の三代前の館長は、その逸話に強い興味があり、常々魔界への穴を探していたそうだ。
そしてある時、忽然と完璧に姿を消し……探し求めるあまりに自ら呼び寄せてしまうこととなって、魔界の穴へと落ち込んでしまったのだろう、と結論付けられた。
ライラがセラスのことを気にするようになったのは、彼女が魔族だからだけではない。
そんな逸話を知った後に、彼女が件の肖像画を見ていたから――魔界へと姿を消した男の絵を眺める魔族。
なんとなく、彼女はこの逸話の真実を知っているのではないか、そう思えてならなくて。
「それで、ついにわらわに声をかけたというわけか」
「そういうことだな」
ざっくばらんな説明ではあったが、セラスは納得したようだった。それはやはり、彼女がこの男の逸話を知っているから――大いに心当たりがあるから、ライラの説明だけで十分理解できたのだ。
「……わらわも、あの男の事情を詳しくは知らなかったのだが……なるほどのう。そのような阿呆な経緯があったとは」
「顔見知りなのか?」
「顔見知りどころか……あやつ、図々しくも我が家に居候し、魔族に転向して魔界に残っておるぞ。人間の世界に未練はないのかと尋ねたこともあったが、帰る様子もない」
そう言って、セラスがため息をつく。
……何気なく話しているが、この絵の男が人間の世界で暮らしていたのは五十年前。彼女の口ぶりでは、彼はまだ健在しているかのような……。
「魔族になったのじゃぞ。その寿命は、人間とは文字通り桁離れ。いまも、この絵と変わらぬ姿をしておるぞ」




