水の都のお城
広い森を抜け、山々を越えていく――山の向こう側の海岸地帯に、グリモーワルの国都はあった。
山から海に向かって流れる大きな川に沿って築かれた国都は水の都とも呼ばれ、町中を行き来する際には、水路を船で渡って通ることも珍しくはなかった。
『これが……水の都ターブルロンド』
長い空の旅の果てにたどり着いた国都を見て、竜の王セイブルが呟く。
その声は、ようやく目的地にたどり着いた喜びと、特徴的な町の光景に対する感嘆……ではなく、呆然としたようなものであった。それも当然だ、リラもまた、町の異様な姿に唖然としててしまったのだから。
「水の都というか、水没都市って感じだな。昔はここまで水位が高くはなかったはずだぞ。町がほとんど水に沈んじゃってるじゃん……」
たしかに川と海に挟まれ、あちこちに水の流れた町だったが……いまのターブルロンドは、町全体が水へと飲まれてしまったような有様。
水の中から、建物の屋根部分が頭を出している状態で。驚くべきは、そんな状態にも関わらず、割と平然と人々が生活を営んでいること。
屋根の上を船で行きかい、出店を開いたり、井戸端会議のように集まっておしゃべりを楽しんでいたり……町が水に沈んでいることを除けば、平和な町の光景であった。
「城は高台にあるから無事だけど、みんな動じなさ過ぎだろ」
フルーフたちを乗せた天馬の一団は真っ直ぐ城へと飛んで行く。竜もそれを追って城へと飛び、開けた正面入口へと着地した。
リラは眠ってしまった幼いライラを改めて抱きかかえ、城へ降りた。
天馬から降りてきたフルーフは、二人を見て笑う。
「静かだと思ってたら、眠っていたんですね」
「疲れたんだろうな。ちょっと前からうとうとしてたよ」
リラに抱きかかえられたまま、幼いライラはすやすやと可愛らしい寝息を立てて眠っている。
ライラ姫様、と女官たちが寄ってきて声をかけるが、目を覚ます様子はない。
「オレが部屋まで連れて行こうか?起こすのも可哀想だしさ」
リラが申し出れば、女官たちは頷いて部屋へ案内し始める。
竜のセイブルは、フェリシィから説明を受けていたフルーフが広い部屋を用意していたので、そちらへ移動となった。
フルーフとカーラも、リラの後ろからついて来て互いの近況を話し合っている。
「ターブルロンド、めちゃくちゃ水位が上がってるけど……十年前は、あそこまでじゃなかったよな?」
「はい。この一年で急に水位が増しました。プレジールで大地震が起きたり、マルハマの近隣国で水不足が起きているように、グリモワールも密かな危機が迫ってますね」
「密かか……?それに他人事みたいに……」
「危機感は抱いてますよ。でも色んな国で問題が起きていますし、グリモワールも前向きに頑張っていくしかないな、と」
それもそうか、とリラも同意した。
フルーフも、いまはグリモワールの王。王が焦って、民を動揺させるわけにはいかない。強がりでも、見栄っ張りでも、余裕のある振る舞いをするのも大事だ。
「いまは満潮の時間帯なので、あれ以上水位が上がることはありません。いまのところは。もちろん楽観視はできませんから、調査させています」
「そりゃそうだよな。おまえのことだから、ちゃんと考えてるよな。そんなこと、オレが心配するまでもないか」
「いいえ。心配してくださって嬉しいですよ。町の人たちも慣れた様子で生活していますが、本当は不安に感じていることでしょう。原因が早くはっきりすればいいのですが……」
そのとき、陛下、と呼びかける声が聞こえてきてリラたちは振り返る。陛下って誰が……と思いかけて、フルーフの呼称だということに気付いた。
おじさん、に並んで、しっくりこない呼ばれ方だ。
「陛下。ようやくお戻りですか――あら、あなたは……」
すらりとした、知的な雰囲気を醸し出す年配の女性。髪質はフルーフによく似ている。
彼女はリラを見て反応したが、たしかに、ライラだった時に彼女には会っていた。フルーフの継母――グリモワールの王太后だ。
「お久しぶり、グラース様。もうおばあちゃんになったのに、相変わらずかっこいいよな。オレの理想かも」
王太后相手になれなれしい態度のリラに、お付きの人間は眉をひそめたが、王太后は慣れた様子でため息を吐くだけだった。
「……なるほど。見た目は変わったけれど、中身はそのままというわけですか。なんというか、期待を裏切らない人だこと」
王太后は、リラに抱きかかえられたまますやすやと眠る孫を見た。
「私の孫は、人見知りな子のはずなのだけれど。会ったばかりのあなたに、ずいぶん心を許したのですね」
「可愛い子だよな。フェリシィによく似てる。ここまで来る間に、父さんや母さん、ばあちゃんのことが大好きだって、たくさん話してくれたよ」
リラが言えば、キリッとした表情を滅多に崩さない王太后も、わずかに頬を緩めた。やはり、孫のライラを見る目は優しく、愛情に溢れている。
だがそれもわずかな間。すぐにいつもの凛とした態度に戻り、鋭い視線をフルーフに向けた。
「――陛下。フィールドワークを楽しまれたのでしたら、今度はしっかり政務に励んでください。あなたがフラフラと出歩いている間に、私が片付けておきましたから、ずいぶん楽になっているはず――三時間も集中すれば、あっという間に終わるはずですね」
一言一言に、力……というか嫌味が込められているような気がするのは、リラの気のせいではないだろう。
遠回しに、自分に政務を押し付けて遊びに行ったフルーフに苦言を呈している。フルーフは、ニコニコ笑顔で受け流している。
「さ、執務室へ参りますよ。カーラ殿、陛下が逃亡しないよう、しっかり見張って連れてきてくださいね」
「なぜオレが」
露骨に不満を顔に出すカーラを、王太后も鼻で笑った。
「あなたのお父上殿が余計なことを教えてくださったおかげで、うちの陛下もすっかり逃亡癖がついてしまいました。少しぐらい、責任を感じてくださってもよろしいのではありませんか」
カーラは不満そうにしていたが、大いに心当たりはあったらしい。リラも、マルハマで自分の仕事を他人に押し付けて逃げ回っていた父の姿を見ていたから、乾いた笑いしか出ない。
結局、カーラも王太后やフルーフと共に執務室へ行ってしまい、リラは幼いライラの部屋へ向かった。
幼いライラの部屋は、女の子好みの可愛らしくも清潔な内装になっていて、壁にはたくさんの絵がかけられている。両親と一緒に描かれた幼いライラ……グリモワール王太后にフルーフ……プレジールの前国王夫妻……それから……。
「ライラ様。姫様をこちらへ」
絵を見ていたリラに、女官が声をかけてくる。
綺麗に整えられたベッドに、幼いライラをそっと横たえる。靴や上着を脱がせて、聖獣が入ったポーチも取って。
「こいつを頼む。オレは聖獣に嫌われやすいから、ゴソゴソうるさくてさ」
相変わらず、リラの気配を感じると落ち着かなくなる聖獣だ。女官に預け、リラは改めて室内を見回す。
見て行っていいか、と尋ねれば、女官たちは快く了承してくれた。
幼いライラの部屋――壁にかけられた絵が、どうしても気になって。
両親や祖父母、叔父たちの絵の中に、母の仲間たちの絵が飾ってある。小さなライラを抱くフェリシィを中心に、仲間たち……。
カーラとフルーフは大人の男へと成長し、ジャナフも、昔に比べれば老けた。それに対して魔族のセラスはまったく変わらず……ザカートは、リラが思っていたより変化している。
出会った時は十七歳の青年で、過酷な経験から年齢よりも大人びていたが、あれから十年。
ザカートも、やっぱり大人になった。
「ライラ様」
幼いライラのことを呼んでいるものと思い、女官の呼びかけにすぐに反応することができなかった。
視線を感じて振り返り、女官が呼んでいるのが自分だということに気付く。
「あ、オレか。ごめん。お姫様のライラのほうかと思ったよ」
女官たちは気を悪くした様子もなく、愛想の良い笑顔だ。
「お風呂をご用意しました。もしよろしければ、湯浴みを」
「風呂?入れるのか?」
入浴が当たり前の南方地域に対し、北方地域は入浴の習慣が乏しい。そんなところもリラが住んでいた世界に似ている。
「はい。昔、ライラ様がいらっしゃった頃にお風呂を広めてくださったので、グリモワールも入浴が当たり前となりましたわ。ライラ様やカーラ様は特に入りたがるだろうから、と陛下から言いつけられておりましたし」
「ぜひとも入らせてもらうよ。いやー、ありがたいなー」
日本でも毎日入浴が当たり前の生活を送ってきたのだ。そろそろ風呂が恋しくなっていた頃だった。
グリモワールの女官たちに感謝しながら浴室に向かい……ここでも入浴の世話はされるのか、ということに苦笑いする。
普段から王太后にライラ姫の世話をしている女官たちは慣れた様子でリラの世話をし、当たり前のような顔でグリモワール衣装を持ってきてくれた。
グリモワールの盛装は、コスプレ感の強い、ヒラヒラ要素多めの軍服である。結構かっこいいし、リラもあの衣装は着てみたいなと思っていた。
だから……グリモワール衣装を着るのはいい。でも、スカートが短すぎるような。
「ライラ様のお靴に合わせた丈なのですが……。これぐらいの長さのほうが、動きの邪魔にならないかと」
女官たちは本気でそう言っているから、リラも反論できない。
ふりふりドレス着せられるよりはいいか、と諦めて女官たちが用意してくれた衣装を着ることにした。




