回顧録・悪夢から覚めたのは
ライラとザカート――しばらく睨み合ったまま、どちらも動かなかった。互いに、仕掛けるタイミングを見計らって……じりじりと、わずかに近付く。
ザカートの剣は長さがある。うかつに飛び掛かれば、たちまち斬り捨てられてしまうだろう。完全に懐に入ってしまわないと……。
先に仕掛けたのは、ライラのほうだった。
ザカートなら、ライラの攻撃範囲も理解しているから、反撃されないポジションで踏みとどまって攻撃してくることだろう――そうなる前に、自分から仕掛ける必要がある。
スピードはライラのほうが上。攻撃力も。
でもザカートも実戦経験値は劣らず、ライラの速さも怪力っぷりにも対応できた。剣を持ったほうとは別の腕でライラの蹴りを受け流し、ライラに向かって剣を振り下ろしてくる。
上空に跳んでかわすと、すぐにザカートも追撃を――ブーツには、特殊な鉱石が埋め込まれているから、剣を防ぐことはできた。
だが空中にいては、競り合いはライラに分が悪い。ライラに斬撃を防がれても、両手でしっかりと剣を握り、強引に吹っ飛ばして来た。
城の塀に叩きつけられそうになるのを、体勢を直して両足で塀に着地し、反動をつけてザカートに向かって跳ぶ。そのままザカートに突っ込んで……行くように見せかけて、ザカートの剣のリーチぎりぎりに着地し、下から蹴り上げた。
予想通り、ザカートはライラの蹴りを剣で防いてくる。ライラは地面に手をつき、もう一方の足で蹴りを繰り出す――かわし損ねて顎を蹴られ、ザカートはよろめいた。
容赦のない回し蹴りによる踵を食らい、今度はザカートが吹っ飛んでいく……まともにライラの蹴りを食らってしまったザカートには、受け身を取る余裕もない。
豪快に塀へと突っ込んで行き、塀の一部は衝撃で崩れ落ちてしまった……。
「ザカートさん!」
起き上がってこないザカートに、フルーフが駆け寄る。
フルーフの反応から、ザカートが沈んだことを察してライラも大きくため息を吐く。
……自分の回し蹴りを食らって吹っ飛ばされながらも、しっかり反撃してくるのだから恐ろしい。とっさの防衛本能で腕が出たおかげで致命傷は避けられたが……腕には、深い切り傷が……。
「姉者!」
転移術ではなく、城内から走ってカーラがこちらへやって来る。
時々、弟はこうやって転移術を使わずに自分のところへ来ることがあった――下手に飛ぶと、し烈な戦いに巻き込まれてしまうから、使うべきではない時を見定めるようにしているらしい。
下手に巻き込まれると、自分をかばってライラが怪我をしてしまうから……。
「何があったのだ……ザカート……!?こいつ、姉者にいったい何を……!?」
気絶しているザカートと、負傷した姉を見、カーラは顔色を変える。
ライラは笑い、あっけらかんとした口調で言った。
「友情を確かめ合っただけさ。あいつは口下手だし、オレは難しいことを考えるのが苦手だし、殴り合うのが早かったんだよ」
「なんだそれは……」
どういう誤魔化しかただ、と思いつつも、この姉なら本当にやりかねないという思いもあってカーラは呆れてしまう。
派手にやり合ったから、カーラ以外にも次々と人がこちらへ駆けつけてくる――フルーフは城の人間に言いつけ、ザカートを医務室へ運ばせた。
医務室へはライラも一緒に行き……大丈夫だというのに、カーラは治癒術を使って傷の手当てをしてくる。
治りの早い自分には不要なのに。むしろ、術者の体力を消耗するばかりでメリットがないのだ。
「きちんと手当てを受けろ。やはり勇者の力は伊達ではない……いつもならこれぐらいの負傷、すでに傷口が塞がり始めているというのに……」
「なんてことのない剣だったが、ずいぶん深く斬られちまったな。まだ治らないぜ」
包帯を巻かれた腕を、珍しいものでも見るように目を丸くしながらライラは言った。
自分の腕の向こうには、怒ったような……心配しているような弟の顔が見える。
治療を受けている間に、ザカートと戦う羽目になった経緯――ライラが魔族であることを打ち明けた。恐らく、自分はカーラの住んでいた町を襲った側だったのだろうと……。
「ザカートめ。目を覚ましたらオレも一発殴ってやる」
「オレも全力でやり返したし、おあいこだ。恨みっこなしだよ。おまえが怒ってくれるのは嬉しいけどな」
ライラは弟をじっと見つめ、尋ねることにした。姉の正体を知って、どう感じたのか……。
「……別に何も。驚きはしたが、納得もした。姉者の異常な強さは、魔族だったから――実に説得力のある理由だ」
「それだけか?おまえは怒ってくれたけど、ザカートの反応は普通だと思うぞ。魔族に襲われて故郷や家族を喪った経験があるなら、なおのこと」
「どうでもいい。心の底から。無論、意味なく町を襲い、多くの命を奪う魔人は許せぬ。だが、姉者がその魔人と関係あるのかどうかは、推測の域を出ない」
カーラも姉を真っ直ぐに見つめ返し、はっきりと答える。
「オレは十五年、姉者のことを自分の目で見てきた。親父殿も言っていた――オレが助かったのは、焼けただれるような熱さを帯びたがれきの中、自らの肉体を盾として、姉者がオレをかばっていてくれたからだと……。オレには、それがすべてだ。姉者がどんなやつか……判断するには、それで十分だろう……」
最後はちょっと照れくさくなったのか、カーラは伏し目がちになって姉から視線を逸らしていた。
ライラもはにかみ、すぐに返事ができなかった。
カーラならきっとそう言ってくれるだろうな、と思っていたけれど……嬉しくて。あたたかいものが胸の奥をくすぐり、変な笑みがこぼれてしまう。
ザカートのベッドから物音が聞こえ、ライラたちはそちらを見た。
「目が覚めたか。治療は済んでるけど、オレに思いきりどつかれてダメージ受けてるから、その衝撃でしばらく身体は動かせないってさ。もうちょっと休んでろ」
目を覚まし、痛みに顔をしかめたザカートに向かってライラが言った。
ザカートは横たわったまま、視線だけを動かしてライラを見る。先ほどまでの、取り憑かれたような表情は消え、いつもの落ち着いた様子に戻っていた。
ライラは、そんなザカートに笑いかける。
「フルーフに謝っておけよ。あいつの研究室で暴れたから、ひどい有様でさ――自分が原因みたいなものだから仕方がないって笑ってたけど、あれは結構ショック受けてた顔だぞ」
ザカートは何も言わず、唇を噛み締め、気まずそうに視線を泳がせている。
ライラはカーラに振り返り、目で合図した――カーラは非常に気が進まないといった顔だったが、溜め息をつき、姉の要望に応えて部屋を出た。
静かな医務室には、ライラとザカートだけ。
たぶん、ザカートは自分に言いたいことがあるはずだ。他の人がいては話しにくいだろう。
ザカートはしばらく黙ったまま……やがて、ライラに視線を戻して。
「……怪我は」
「これか?大した傷じゃねえよ……と言いたいとこだけど、やっぱり勇者の力は侮れないんだな。いつもだったらとっくに治ってるはずなのに、まだ痛いや」
おどけて言ったが、ザカートは罪悪感に苛まれているようだ。
「大丈夫だ。傷自体は大したことない。おまえ、刃先がブレブレなんだよ。オレを殺すって決めたはずなのに、迷いまくりやがって。あんな動きで、オレが殺せるかよ」
本来のザカートだったら、最後の反撃――ライラの腕を斬り落とすぐらいはできたはず。もっと深い傷を受けていたはず……結局、ザカートは無慈悲になりきれなかったのだ。
魔族は殲滅すると決意していたのに、ライラが魔族だと知って、その決意よりも情が勝ってしまった。
冷酷に、剣を振り下ろすことができなかった。
ザカートはまた視線を背ける。どこか悔しそうで、苦しそうにしている。
「おまえには無理だよ。オレを殺すなんて。優しい、良い奴だもん。オレはそんなおまえが好きだぜ」
言いながら、横たわるザカートの頭を、ぽんぽんと撫でた。
「だから、オレを殺すことでおまえが本当に満足して、救われるなら、まあ……仕方ないかなって思うけど。オレを殺したら苦悩と悲しみが増すだけだって分かってるから、オレはやられるつもりはないぜ」
ザカートはじっとライラを見つめ、次第に、その目尻に涙が溜まっていく。嗚咽を堪えようとしていたが、瞬きをした拍子に涙が頬を伝い……ついに耐えきれず、ザカートは泣き出してしまった。
「思う存分泣け。オレはお姉ちゃんだから、たまには甘やかしてやるぞ」
そう言って頭を撫でていたら、ザカートはライラの手を取り、それに縋るようにぎゅっと握り締めて泣き続ける。
ライラは微笑んで、もう一方の手でまたザカートの頭を撫でた。
多くのものを奪われ、理不尽な運命を押し付けられて。それでも一人で必死に歩み続けてきた勇者が、初めて流すことができた涙。
ライラたちに出会って、自分は悪夢にうなされることがなくなった――本当はザカートも、そのことにとっくに気付いていたのだ……。




