回顧録・終わらない悪夢
美しきアリデバランの国都。一年の大半を雪に覆われ、白銀の都とも呼ばれていた。
その日、ザカートは十歳になった。王城にて――夜明け前に目を覚まし、なんだか寝付けなくてベッドから起き上がり、窓に近づいて外を見た。
夜明けは近いはずなのに、空は暗く……ドス黒い闇が、明けの空を覆っていた。
いつもなら町の向こうから日の光が見え始めるはずなのに、見たこともないほど黒い闇がもやとなり、突然爆発した。
気が付いた時、ザカートは見覚えのない場所に倒れていた。
さっきまで、王城にある自分の寝室にいたはずなのに――何も感じない身体を起こし、あたりを見回して……見えた光景の意味を理解して、息を呑む。
がれきの山の上に、自分は倒れていた。城は跡形もなく潰れ、城下町は……ところどころ建物の残骸みたいなものは見えるが、まともな家は一軒も立っていない。
黒い炎のようなものがあちこちで燃え盛り、異常な寒さだった。
「父上……母上……ローザ……!」
両親や妹を探してみるが、姿はない。両親だけでなく、城や国都には大勢の人間が住んでいるはずなのに、誰も見つからない。
裸足のまま、がれきを踏みしめて進み……ようやく人を見つけた。
だが彼はすでに息はなく、近くで燃えていた黒い炎が飛び散って身体に燃え移り、たちまち男は消滅した……。
「そんな……誰か!誰か、いないのか……!?」
自分も身体があちこち痛いし、寝衣のまま、靴も履いていないから歩くたびに足が傷つく。
それでも、何とか希望にすがろうと歩き、自分を呼ぶ声に振り返った。
「ザカート様……皇子殿下……」
「ルーク!」
見覚えのある騎士を見つけ、ザカートはそちらへ駆け寄る。
騎士はすでにボロボロで、片眼はつぶれ、全身が血まみれ……生きて、ふらつきながらでも自分の足で歩いているのも奇跡に近い――もう限界を超えているのは、誰の目にも明らかだ。
間もなく、彼も息絶えてしまう……。
「何が起きたんだ?父上、母上……ローザは?」
「魔族の襲撃です……この町を、一瞬で葬り去ってしまうほど強大な力を持った魔族が……もしかしたら、伝説に聞く魔王かもしれません……」
十年前、誕生と同時にザカートの手に宿った勇者の印――自分に課せられた使命のことを、ザカートも聞かされていた。いつか魔王が地上に現れ、自分はそれを倒さなくてはならないこと……いまこの時まで、旧いおとぎ話だと思っていた……。
「……お逃げください。やつはあなたを探している……これだけの力、いくら魔王でも、すぐにもう一度使うことはできないはず……」
訳も分からず首を振るザカートに、血まみれの騎士は諭すように微笑みかける。懐から自分の剣を取り出し、ザカートに向かってそれを差し出した。
「これを……大した武器ではありませんが、なかなか頑丈です……いまの私よりは、ずっと役に立つでしょう……」
震える手で剣を受け取り――魔獣の息遣いに、ザカートはすくみあがった。
一匹や二匹ではない。ザカートを探して、こちらに近付いてくる。
「私が食い止めます――大丈夫ですよ。私はあなたよりずっと強いですから……もう少しぐらい……あなたの盾になるぐらいはできます」
ザカートは唇を噛み締め、幼い自分には大きすぎる武器を持って走った。
振り返らず、何も聞こえないふりで。愛した故郷から、必死に逃げ出した。
着の身着のままに逃げ出したザカートは、やがて力尽きた。積もった雪の上に倒れ込んだまま、起き上がるどころか、指先を動かすことすらできない。
闇の中へと意識は落ちていき……それに抗うことなく、ザカートは目を閉じた。
これで全て終わり――悪夢も、何もかも。そう思ったが、ザカートは目を覚ましてしまった。
暖かい部屋の、ベッドの上で。
「あんた、目を覚ましたんだね。よかったよ……ボロボロの姿で倒れてて、最初見つけた時は死んでるんだと思ったわ」
「おまえもお人好しだなぁ」
どうやら、近くの村に住んでいた夫婦が行き倒れているザカートを見つけ、介抱してくれたらしい。人の好い妻に、夫はいささか呆れ気味だ。
夫婦にはザカートと同い年ぐらいの息子がいる。それで、どうしてもザカートを見捨てられなかったそうだ。
親切な夫婦はザカートに服と靴も与えてくれて、心配してくれた。
家族のこと、自分のことを話せないでいるザカートに、しばらく家にいればいいと言ってくれて。
彼らの優しさに恐怖で凍り付いた心もわずかに溶けかけて……さらなる絶望を思い知った。
「この疫病神め!」
そう怒鳴る男に、ザカートは反論する言葉も持たなかった。
小さな家は潰れ、黒い炎が辺りを包む。かたわらには、自分を助けてくれた親切な女性の亡骸と、亡骸すら無惨に食い荒らされた少年が……。
「あいつら、おまえを探していたんだろう!そう言っていた……息子は、おまえと間違えられて……」
妻と子の遺体に泣きすがり、男はそれきり、ザカートのことを見ようともしなかった。
……彼も、致命傷を負っている。そう長くはもたない。
ザカートは唇を噛み、彼らに背を向けて走り出した。自分がここでできることはない。
留まれば、自分を追いかける魔物たちがまたここを襲うだけ。
それから七年。ザカートの悪夢はいつまでも終わらない。
魔王が差し向けた追手は常にザカートを探し続け、巻き添えで命を落とす者は後を絶たない――ザカートに手を差し出したばかりに。それが、何よりも辛かった。
だからザカートは差し出された手を常に振り払い、一人でいることを心掛けるようになった。
自分を助けようとする聖女の申し出も一蹴して。
……はっきり拒絶したはずなのに、なぜか自分はいまも彼女たちと一緒にいる。
「カーラ、見ろよ!」
倒したばかりの魔物の亡骸を指して、ライラは興奮気味に言った。
「こいつが身に着けてるベルト……宝石じゃないかと思ってたけど、やっぱり宝石だぞ!」
「しっかり身ぐるみを剥いでおけ。そいつは人間の武器を持ってたな――次に町や商人に会ったら換金するぞ。オレは格上らしきこいつから情報を聞き出しておく」
魔物を倒すと、てきぱきと戦利品を収集していく姉弟に、フェリシィは尊敬のまなざしを向ける。
「お二人とも、なんと頼もしいのでしょう。カーラ様の呪術はとても便利ですし――意識を失わせた相手なら、情報を自在に引き出せるだなんて。私も、せめておたからを見つけ出す目を養わなくては……!」
さすがにこれを見習うのは、と。口に出さなかったが、ザカートも盛大につっこまずにはいられなかった。
ザカートに同行し、彼女たちも思い知った……はず。自分と一緒だと絶えず魔物に襲われ、気の休まる時がないと。
最初は共に戦おうと意気込んでいても、いつかは……嫌気がさして離れていくか、命を落としてしまうかのどちらか。
なのに彼女たちは、いまだにケロっとしている。
「旅の資金と情報が向こうからやって来てくれるだなんて楽でいいなー」
物心ついた時から傭兵一団で暮らし、自分の強さに自信があるライラはへこたれない。カーラは抜かりなく姉をフォローし、しっかり金品と情報を集める。使命感に燃えながら初めての旅に挑むフェリシィは、これが普通と勘違いし始めて。
……普通ってなんだ、とザカートのほうが自分の常識を疑いたくなってきた。
「姉者。こいつらは魔王とは関係ないらしい。近くにそこそこ知能と強さのある魔族の集団の根城があって、自分たちを退治しに来たと思い込み、刺客を放ってきたようだ。そいつらの根城には、近くの町村から奪った食糧や宝物が――人間を食うタイプの魔族だ」
「売られたケンカは高く買ってやるのがオレの主義だぜ!そいつらぶっ潰して、お宝を横取りして……ついでに、食糧代わりに囚われた人たちを助けてやるか!」
「そうだな。そこそこの規模の被害だ……謝礼も期待できる」
率先して悪い魔族を倒し、人助け。その決定にフェリシィは喜んだが、だまされている、とザカートは口を挟みたくて仕方がない。
――人助けのほうが、ついでなんだぞ。
めちゃくちゃな奴らばかり……追い払っても、ザカートの言葉に耳も傾けてくれない。すっかり諦めてしまって。
……そんな言い訳をしていたけれど、本当は。心の奥にまた灯り始めたぬくもりが、だんだん手離せなくなってきていた。
なのに。
グリモワール王城、王弟フルーフの研究室で鳴り響く轟音。ザカートが振り下ろした剣が部屋の一角を斬り崩し、ライラはその攻撃を防がず、ギリギリでかわし、フルーフを抱えてザカートの攻撃によってできた隙間から部屋を飛び出した。
狭い室内での攻防は、剣を使うザカートのほうが圧倒的に不利なのだが……目の前の魔族を殺すことしか考えられなくなっている状態では、まったくハンデにならなかった。
場所を変えなくては――裏庭に飛び出したライラを追って、ザカートも飛び出てくる。
「ザカートさん!落ち着いて――ライラさんが本当にカーラさんの町を襲ったかどうかなんて……根拠は何もないんです!ただの推測でしかないんですよ!」
ライラの肩から降ろされながら、フルーフは必死で説得する。ライラは隙を見せず、フルーフを背後にかばったまま改めてザカートと向き合った。
「あなただって、ライラさんがどんな人なのかご存知でしょう?僕より付き合いが長いのだから……お人好しで、単純で、難しいことを考えるなんて無理で……!」
「さらっと貶すんじゃねえよ!蹴飛ばされたいのか!」
フルーフの言葉に腹を立てながらも、ライラはザカートから視線を逸らさない。
視線すらも、刃のように鋭くライラを突き刺してくる。
魔王を倒し、魔族はすべて滅ぼす――その決意でザカートが旅をしていたことは知っている。怒りと憎しみで、絶望に抗っていることも。
「ザカート。そっちがその気なら、オレも本気で行くぞ。手加減すると負けるからな――そんな終わり方は御免だぜ」
ライラも、ぎゅっと地面を踏みしめる。ザカートの剣はリーチが長い。下手に懐に飛び込めば、一太刀で斬り捨てられてしまうだろう。
互いに相手の実力を知っているだけに、勝負が長引くことはないことも分かっていた。




