グリモワールへ向かう直前
食欲をそそる匂いが、周囲にただよい始める。食事を待つ竜も、そわそわとカーラのほうを見ていた。
「頃合いだな。姉者も戻ってくるだろうか」
カーラが言い、木の食器を荷物の中から取り出す。
水浴びに行った姉も、この匂いを嗅ぎつけてこちらへ戻ってくることだろう。姉の分を先に取り分けて、それから竜の分を……。
「姉者……?」
姉の身体には、呪印が施してある。そのおかげで、カーラは姉の気配を追うことができたし、多少の異変にも気付くことができた。
……呪印越しに、姉の動揺が伝わってくる。
「先に食べていろ」
竜に食事を押し付け、カーラは姉のもとへ飛んだ。
リラはいま水浴びをしている――武器であり防具でもある靴を脱ぎ、恐らくは無防備な状態。姉がそう簡単に負けるはずはないが、万一のことは十分あり得る状況だ。
離れた場所の湖へと飛んで……飛び込んできた光景に、ぎくりとなった。
「すまん!覗くつもりはなかった!」
急いで姉に背を向け、いまのリラの姿を視界に入れないようにする。
姉は、ちょうど着替えようとして湖から出ていたところで……一瞬とはいえ、リラの裸をもろに見てしまった……。
「分かってるよ。おまえがそんなことするわけないじゃん――オレが変な声あげちゃったからだろ?ごめん、リーフが突然飛びついてきて……びっくりしてさ」
リラの言葉に、カーラは少しだけ振り返って視線を動かす。
バサバサと羽音がして、鷹のリーフがカーラの肩にとまった。
「……飯ができた。着替えが終わったら戻って来てくれ」
「すぐ行く」
姉が着替えをする音を背に、カーラはリーフを連れて立ち去る。
肩にとまる鷹を、カーラはちょっと恨みがましく見た。
「リーフ。親父殿に言われてやったのだろうが……変に気を遣うのはやめてくれ。オレが困る……」
鷹は首を傾げ、不思議そうにカーラを見上げる。
マルハマ王の素質を持つ者にだけ懐く、マルハマの神獣。
南方地域を出てしまう前に、リラとカーラを見送りたくて二人を追いかけて飛んできた。
二人を追う前に、ジャナフからこんなことを言われていた。
――よいか。カーラに任せておくと、いつまでもあやつらの仲は進展せぬ。おまえが、あいつの背中を押してやれ!
よく分からないが、とりあえずカーラを呼び寄せられればいいか、とリーフはリラに飛びついてみた。
リーフが予想した通り、カーラを呼び寄せることに成功したが……。
『あ、カーラ殿。ライラ殿は大丈夫でしたか?』
戻ってきたカーラに、竜のセイブルが声をかける。何を言っているのか、伝わらないことは承知しているが。
カーラはじっと竜を見つめ、気まずげに目を逸らした。
「……すまぬ」
カーラの謝罪に、竜は首を傾げた。
セイブルのことを疑っておきながら、自分は――さすがのカーラも、ちょっと気まずい。
服を着て、靴は脱いだままリラが戻ってきた。
さっきのことなど、何もなかったふりでカーラも平常通りに接したが、しっとりと水気を含んだ髪も、無防備にさらけ出した足も……いちいち意識してしまうから始末が悪い。
「リーフ。見送りに来てくれたんだな。それはいいけど……急に飛びつくのはやめてくれよ。しかもオレ、裸だったんだから……おまえのツメ、ちょっと痛いんだぞ」
自分の腕にとまるリーフに、リラは困ったように言った。
……さっきのことを思い出すようなことを話すのは止めてほしい。
何はともあれ食事となり、食べ始めたら姉は完全にさっきの出来事を忘れてしまったようなので、カーラも、リラの単純さに盛大に安堵した。
「カーラの料理は美味いなー」
「別に大した料理ではないぞ。それぐらいなら、姉者も余裕だろう」
姉の褒め言葉に対し、謙遜ではなく本心からカーラはそう答えた。
事実、旅のために持ってきた食材と調理器具を使っての料理だから、そんなに大したものは作れていない。それでも、リラはにこにことしている。
「んー……確かにオレも作れるけどさ。作ってもらうって格別だよな。カーラはオレの好みばっちり知ってるから、ちゃんとオレに合う味付けしてくれるし」
「大袈裟だ。褒められて悪い気はしないが」
こういうことをあっさりと言えるのが、人たらしの所以だな、とカーラは密かに思いながら言った。
「セイブル。美味いか?こっちの料理って、ちょっと辛すぎるって言われがちだけど」
『とても美味しいです。私も香辛料をふんだんに使った料理を食べるのは初めてですが、私にはむしろ、こういった風味が合うみたいで』
「そっか。セイブルも美味いってさ。良かったよな。フルーフなんかはこれが合わないみたいで、最初の頃はあんまり飯が食えなかったんだよ」
辛味の効いたスープを食べながら、リラは話し続ける。
『フルーフとは、賢者フルーフ殿ですね。当時のグリモワール王弟……グリモワール研究院の院長』
「そうそう。研究熱心な面白いヤツ」
「……あいつを面白いと評するのは姉者ぐらいだ。悪人とは言わんが、研究バカの変人であることに違いはない」
辛辣なカーラの言いようにセイブルは戸惑うが、リラは明るく笑い飛ばした。
「気にすんな。カーラはツンデレだから、素直に仲間を褒められないんだよ」
『つんでれ……?』
カーラは顔をしかめたが、否定する気も起きなかった。だいたい、ツンデレってなんだ。
『グリモワール王国は私も初めてです。学問に秀でた水の都と聞き及んでおりますが……』
「プレジールに劣らず綺麗な国だぜ。そう言えば、グリモワールとプレジールって、あんま仲が良くないんじゃなかったっけ?」
十年前の記憶を掘り起こしながら、リラはカーラに話を振る。
プレジール出身のフェリシィと、グリモワール出身のフルーフが険悪な仲になるなんてことはなかったけれど、歴史を見ると、お互いの国同士はあまりよろしくない関係だったそうだ。
「プレジールとグリモワールが……と言うより、プレジールが一方的に敵視していた関係だな。女神信仰の国プレジールに対し、国を挙げて魔導学を研究するグリモワール……どちらかと言えば、グリモワールは魔族寄りだ――魔族に友好的なグリモワールは、魔族を敵視するプレジールにとって、受け入れがたい思想だったのだろう」
「宗教家と研究家って水と油みたいなところがあるよなー。オレの世界でも、そういう連中が揉めてる歴史はいっぱいあるし、世界が違っても変わらないんだな」
グリモワールの人たちはプレジールの敵視を気にしないし、フェリシィやフェリシィの両親は良い意味でおっとりしている人たちでグリモワールにも寛大だったから、あまり両国の仲の悪さを実感できなかったけれど。
リラの世界での宗教関連のドロドロっぷりを考えると、きっと血なまぐさい歴史もあったのだろう……。
『我がオラクルも、思想はプレジール寄りなのでグリモワールとの仲はさほど……。これを機に、彼らへの理解を深めたいです』
「前向きなのは良いことだ。フルーフは面白いやつだし、オレが知ってる限り、グリモワールの人たちも気の良いやつらばっかりだったぞ。きっと仲良くなれるさ」
言いながら、フルーフに会ったらどんな顔をしたらいいのだろう、という悩みを思い出してみたり。
――ライラさん。戦いが終わっても、僕と一緒にいてくれませんか?
魔王との決戦を控えていたあの日。フルーフからそう言われて。
それに対し、自分は満面の笑顔で。
「なんだよ、急に改まって。そんなこと、いまさら確認する必要もないだろ?これからだって、おまえの研究に協力してやるよ!」
フルーフの笑顔が一瞬凍り付き、謎の間が空いてから……そうですね、と彼は答えた。
ん?と自分も首を傾げつつ、あの時は流してしまった。
……いまなら分かる。
自分は、フルーフからの告白を完璧にスルーしてしまったのだと。
あんな遠回しな告白で、自分に伝わってたまるか!……という逆切れはさておき。
気付いてしまった以上は、フルーフにも改めて返事をしないと。
ということをちらっと考えて、リラは弟におかわりを頼むのだった。
四人目に会いに行くまでに三十話かかりそうな勢い。
全員との再会だけで、まさか五十話超える……?(戦慄)




