砂漠の夜
宴はまだ続いていたが、明日からグリモワール王国へ出発することが決まったリラ、カーラ、竜の王――セイブルは、先に休むことになった。
「名前が分かってよかった。これからは、ちゃんとセイブルって呼んでやれるな」
セイブルのために用意されたテントまで一緒に行って、リラはそう話す。
竜の王は返事をしなかったが、それが呪いによるものだということはなんとなく分かった。名を呼ばれ、竜はどこか嬉しそうだ。
「グリモワールに行けば、きっともっと色んなことが分かるよ。ザカートにもすぐ会えるだろうし……もう少しの辛抱だ」
『はい。皆様がいらっしゃれば、きっとすべて良い方向へ行くことでしょう』
リラの励ましに、セイブルは素直な気持ちで頷いた。
まだ問題は山積みで、いくつもの壁が立ちはだかっている。けれど力強い彼女の言葉は、不思議とセイブルの心を明るくし、長く険しい道のりも、希望を失うことなく歩いていける――そんな気分にさせた。
きっと何もかもうまくいく。セイブルも、そう信じられた。
「うん。じゃあ、お休み。また明日」
『お休みなさい。良い夢を』
マルハマ王ジャナフも、楽しい宴の途中で立ち上がり、自分のテントに戻ることにした。
おまえたちはもう少し楽しんでいけ――そう言って、ヘルムが自分に同行しようとするのを断る。ヘルムは頭を下げ、王を見送った。
今宵のジャナフは非常に機嫌がよく、楽しく酔って……一人で、その幸せに浸っていたいのだろう。
改めて着席したヘルムは静かに酒を飲み、心の中でそう考えた。
生き甲斐でもあったライラ姫を喪って。
ジャナフが昔のように、死に場所を求めて無茶をするのではないか、心配でならなかった。
当時はマルハマも荒れ果て、新たなマルハマの王として国を支える使命があったから、早まった真似はしなかったが……。
復興を支援していたアリデバランも再建し、平和になって……その後、またもや世界で異変が起こり始めた。
おかげでジャナフに王として国を守る務めが残り、ヘルムが内心ものすごく安堵していたのは秘密だ。いまもその困難は続いているが、ライラが帰ってきてくれたのなら。
マルハマを何よりも悩ます問題は、王家を継ぐ後継者のこと。
ジャナフは……女好きに見えて、深い関係になることを避けている。
娘のライラは気付いていなかったが、美人を口説いてちょっかいをかけるのも、ライラの気を引きたかったから。彼の特別は、後にも先にもライラだけであった。
だから、ライラが亡くなっても……寂しさを埋めるために呼ぶことはあっても、結局彼女の代わりにはなれなかった。
カーラに至っては筋金入りだ。ライラ以外の女性を、果たして女として見たことがあるのかすら疑わしい。
しかも、ライラはマルハマの若い女たちの憧れであったため、彼女に成り代わって女の頂点に立とうという野心的な女性も存在せず……。
この十年間。ジャナフとカーラのどちらかに、どうしたら后を宛がうことができるか――臣下は悩みに悩みまくっていた。
……久しぶりにジャナフ、ライラ、カーラの三人が並んだ姿は、非常に美しい画であった。やはり、彼らの隣に並び立てる女はライラしかいない。
十年前なら、当たり前であった光景。
願わくば……あの姿が、これからも続くことを。
ほろ酔い気分で、ジャナフは自分のテントに戻った。
こんなにも楽しく、満たされた思いで酒を飲んだのは久しぶりである。おかげさまで、さすがのジャナフもちょっと酔ってしまった。
ライラとカーラと揃って……三人で、思う存分大暴れできて、とても楽しかった。
今夜は良い夢が見られそうだ。
そう思い、天幕をくぐったジャナフは、自分の寝台にちょこんと座るリラを見つけてひっくり返りそうになった。
宝石や重い装飾品は外し、ドレス一枚だけの身軽な恰好で……襲ってくださいと言わんばかりの状態だった。
「お、おまえは……!ワシがおまえをどんな目で見ているか、思い知っているはずであろう!夜、無防備に部屋を訪ねるなと、昨夜説教したばかりではないか!」
「だって。親父との約束がまだだったじゃん」
唇を尖らせるリラに、約束、とジャナフは目を瞬かせる。
「仕事をちゃんと頑張ったら、オレの胸を堪能させてやるって約束だっただろ?」
ゴン、とテントの支柱に頭を強打してしまう。危ない、とリラが顔色を変えて非難がましく叫んだが、ジャナフも混乱し、馬鹿か、と怒鳴ることしかできなかった。
「おまえ……ワシが他の女に同じようなことを言えば、容赦なく制裁してきただろうが!なぜ今回はやたらと聞き分けがいいのだ!?なぜあっさり受け入れておる!?」
「そりゃ美人と見れば節操なく口説きまわるからだろ。セクハラだっての。でも、オレが相手だったら……だって、親父、オレに惚れてるんだろう?惚れてる女には、そういうことしたいって思うのが普通じゃん」
「な――な、なんと……馬鹿者!そんなところばかり寛大になるでない!」
「なんだよ」
約束を守ろうとしているのに、なぜかジャナフに説教されてしまい、リラはふくれっ面だ。
「……じゃあ、別にオレは約束守らなくていいってことか?親父はオレに触りたかったわけじゃないのか?」
「ええい……」
頭を抱えて唸り、ジャナフはガバっとリラを抱き寄せる。
突然のことにリラは目を白黒させ、ジャナフの腕の中にすっぽりおさまった。
「触りたくないわけがないだろう!おまえの言う通り、わしはおまえに惚れていて、そういうことがしたくてたまらん!だから無防備に近づくなと説教したというのに!」
「他ならぬオレが良いって言ってるんだから、触ればいいのに」
ジャナフがまた唸り、恨めしそうにリラを睨む。
「なら、このまま押し倒しても構わぬか?おまえを、本気でワシの女にしてもよいと?」
「それは……困るかも。さすがにそこまで心の準備はできてない……」
分かりやすく目を泳がせるリラに、ジャナフはため息をついた。
「ライラ。おまえにとっては突然のことだろうが、ワシは二十五年もの間、おまえへの愛情を募らせ、立派に拗らせておるのだ。父親としての愛情も、一応ある――父親面できなくなるような真似はやめてくれ」
そう言って、ジャナフはしばらくリラを抱きしめ……やがて、解放した。
結局、何もしないまま。
テントを出る直前、リラは父に振り返り、じっと彼を見つめた。
「……親父。親父から見れば、オレの考えなんて浅はかで幼稚なものにしか見えないけど……一応、オレなりに考えてるんだぜ」
例えば、リラを育ててくれた父親に同じことを言われた時。
考える余地もなく父を蹴飛ばし、全力で距離を置く――母というパートナーがいるからというのもあるが、実の父親からそんな目で見られるだなんて、想像しただけでもおぞましい。
だけど……ジャナフが相手だったら、そんな反応にはならなかった。
だからきっと、ジャナフへの気持ちは実父に対するものと違っているはず。でも……それが何かと言われると。
確かめたくて、ここへ来たのもしれない。その台詞は口に出せず、リラがうつむいていると、ジャナフがぽんと頭を撫でた。
「分かっておる。だから、ワシも理性を振り絞っているのではないか。ようやくワシに向き始めた気持ちを、軽はずみな欲望で台無しにしたくはないからな」
リラは頷き、おやすみ、と挨拶をして父のテントを出た。
やっぱり、ジャナフは自分よりはるかに大人なんだな、と感じながら。
すぐに自分のテントに戻る気にはなれなくて、でも、にぎやかな宴に参加する気にもなれず、リラは人のいない場所を選んで歩いた。
次第に兵士たちの声も聞こえなくなり、祝宴の火も遠ざかり……星の光だけが、あたりを照らしていた。
気が付けば、すぐそばに見上げるほど背の高い岩壁――頂上に誰かいる。
姿ははっきりと見えなかったが、美しいその衣装のおかげで誰かは分かった。
「カーラ!」
一人、岩壁のてっぺんに腰かけて星を眺めていた弟を呼ぶ。
カーラは振り返り、リラが岩壁をよじ登ろうとしていることに気付いて顔をしかめた。
「姉者。そのドレスでよじ登るのは止めろ。オレが運んでやるから」
すぐに弟が降りてくる。転移術を使わず……。
「あ、そっか。呪印がないから、いまはオレのほうに飛んでこれないんだったな」
ドレスに着替えた時にマーキング用のタガーも手離してしまったから、カーラは自力でリラのところへ来るしかない。リラの気配も追えないし……。
「明日、出発の前にまた呪印を描いてもらわないとな」
「そうだな。また……」
姉の腕に触れ、カーラが黙り込む。
どうした、と首を傾げて弟の顔を見上げてみれば、カーラは泣き出しそうな表情をしていた。
「姉者……本当に、帰って来たんだな。これは、夢ではないのだな?目を覚ましたら、やはり姉者はいなくて……オレは、宮殿中を……いもしない姉者の姿を探し回って、ただの夢だったとまた思い知らされて……」
リラの腕をつかむカーラの手に、ぎゅっと力が入る。姉のぬくもりを……存在を、確かめるように。
「ちゃんと帰って来たぜ。夢じゃない。足もあるし、ちゃんとあたたかいだろ?」
「ああ……ああ、そうだな……」
カーラの声が震えていることにも気付かないふりで、リラは笑いかける。
弟の頬に光るものが見えたような気がしたが……月のない夜闇の下ではよく分からなかった――そういうことにしておこう。




