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回顧録・母の涙


リラが眠ったのを確認し、ベッドから離れた場所のランプだけ残して部屋の灯りを落とす。

もう一度ベッドに近づき、眠っているリラを見た。


すっかり容姿は変わってしまったが、あどけない寝顔は以前のまま。

一目見て、自分が大切に育て上げた姫だと分かった。笑った顔は、マルハマ中の人間に愛されたライラの頃から何も変わっていない。

お転婆で、いつも振り回されて……へとへとになりながら追いかけて、何度もお説教した。そのたびに、ライラは悪びれることなく笑う。でも、その笑顔が可愛らしくて。


ライラが笑うと、それだけで。アマーナは何もかも許したくなってしまうのだった。




「この子らは、オレの子として育てる。姉のほうはライラ、弟のほうはカーラだ。とは言え、オレは子育てなどしたことがない。女のおまえたちに、何かと頼る羽目になるだろう――よろしく頼む」


キャンプに子どもを連れ帰ってきたジャナフはそう宣言し、アマーナが頷く隙も与えずに姉のほうを押し付けてくる。

少女はジャナフと同じく髪が真っ白で、珍しい瞳の色をしていて……奇妙な雰囲気をまとっていた。


笑いもせず、怯えもせず、じっと無表情にアマーナを見つめるばかり。

身体は血だらけだったが、洗い落としてみれば傷はほとんど塞がっている。治療師の話によると、命を落としていても不思議ではないレベルの負傷だったそうだ。


声をかけても返事をしない。

それどころか……もしかしたら、この子はまともな躾けを受けていないのでは、とアマーナは訝しんだ。人間社会の常識や感性を、まったく身に着けていないような気がするのだ。


「こ、これ……!スプーンは食べるものではありません!噛み千切ってはいけません!」


食事をさせてみれば、差し出された料理を見るだけで食べようとしない。スプーンでアマーナが口元まで運んでようやくそれを食べて、スプーンごと噛み千切ろうとする始末。


……とんだ野生児を連れ帰ってきたこと。これは先が長そうだ――と、アマーナは深く溜め息をついた。


それからしばらく後。

アマーナの心労は、当初想定していたよりもずっと増え。斜め上の方向に向かっていた。


「姫様!ライラ様!誰か、姫様のお姿を見ていない?いますぐ探しに行かせなさい!どうせまたキャンプを抜け出して……もう、あの方は……!」


キャンプにライラの姿が見えず、アマーナは必死で探し回っていた。格下の侍女たちにも言いつけて、キャンプの外へ手の空いている男を何人か探しに向かわせる――きっと、一人でキャンプを抜け出して、探検にでも行ってしまったに違いない。


アマーナが世話をし始めてから数日後、ライラは突如会話をするようになった――恐らくは、言語を理解したのだろうと教師が感心していた。

ライラの習得速度はすさまじく、キャンプで暮らし始めて一週間も経った頃には、すっかりジャナフの口調や仕草を完璧に覚えてしまっていた。


それ以上に驚異的なのが、ライラの身体能力。

人並外れた生命力だと聞かされてはいたが、なかなかの暴れん坊……もとい、お転婆っぷりで。男たちと共に外に出て行きたがり、勝手にキャンプを抜け出してしまうこともしばしば。

何度説教しても、アマーナの言うことなんかちっとも聞いてくれなくて……。


「姫様!」


どれぐらいでライラが見つかるだろう、とそわそわしながらキャンプで待機していたアマーナは、泥まみれの姿で帰ってきたライラを見つけ、目を吊り上げて駆け寄った。

ライラは、悪びれることなく笑っている。


「もう!姫様、勝手に出て行ってはいけませんとあれほど――!」


説教しようとするアマーナに構う様子もなく、ライラは花を差し出してくる。

白く、可愛らしいジャスミンの花。幼いライラの片手に収まるほど小さな一束で。


「へへ。オレ、知ってるんだぞ!今日は感謝の日なんだろ?感謝の日には、花を贈るんだって!」

「ええ――ジャスミンは……」

「ジャスミンは、母親に贈る花なんだよな。オレは母さんいないから、オレたちを育ててくれたアマーナにあげるんだ」


アマーナは両手で大切に花を受け取り、白いジャスミンの花を見つめる。泣き出してしまいそう……ライラもアマーナの内心を察したのか眉を寄せ、不安そうに見つめていた。


「アマーナ?こんなちっちゃい花束だから、がっかりしたのか?来年は、もっとたくさん取ってくるから!」


おろおろと話すライラを、堪らずぎゅっと抱きしめる。

不思議そうに自分を見上げるライラに、アマーナは微笑みかけた。


「違います。姫様のお気持ちがとても嬉しくて……。お花は、これで十分ですよ。ありがとうございます」


アマーナが幸福な思いでそう言えば、ライラもニコっと笑った。

その笑顔はジャスミンの花よりも尊く、愛らしかった。




明日の用意をしていたアマーナは、侍女が準備をする服を見て顔をしかめた。


「まあ、ダメよ。そんな動きにくい服。姫様は明日、カーラ様のもとへ行くのよ。戦場に出るのに、そんなヒラヒラしたドレスだなんて」


侍女たちは、これからもリラにドレスを着せたかったのだろう。アマーナも、その気持ちはよく分かる。

でも、戦場にはどう考えても不向きだ。こんなものを着せて……万一にも、リラが命を落としたら。


「姫様は、また戦いに行かれるのですか?このマルハマでは、女は戦う必要などないというのに――あんな目に遭ったのに、それでもまだ……」

「おまえたちの言いたいことは分かるわ。私も……できることなら反対したい」


マルハマは、男は外に出て戦い、女は留守を預かって男たちを後方から支える――男女による役割がはっきり分けられる風潮が強い。女のライラが戦場に出ることを疑問に思う者も少なくはない。

……圧倒的な強さを前にしては、ライラも戦場に出るべきだという意見に納得するしかないけれど。


アマーナたちは彼女が戦うことを止め、美しく着飾って、安全な場所で暮らしてほしいと思っている。昔も、いまも、ずっと。

でも……あのじゃじゃ馬姫は、聞き入れてくれるはずもないから。せめて、彼女が無事に帰って来るように祈るばかり。


「以前に姫様がお召しになっていた服があるでしょう。あれを持っていらっしゃい――いまの姫様は少しお小さくなられたから、サイズを手直ししないと」


侍女に言いつけ、大切に保管してきたライラの戦闘服を持ってこさせる。


戦闘服にしては露出が多く、ズボンなど、太腿が丸出しになるレベルの短さだ。長く頑丈なブーツを履くから、ズボンもこれぐらいの長さのほうが適しているらしい。

頑丈でタフ……そして身軽さを強みとしているライラにとって、身体が重くなる装備はかえって邪魔になるだけなのだ。鎧を身に纏うより、丈夫な布の服のほうがライラには適している。


アマーナは部屋の片隅で点けられたままの火のそばに椅子を持ってきて、そこで服の手直しを始めた。


この服は、生前のライラが着ていたもの。魔王との戦い――その最後の時にも。

この手に戻ってきた時には……血にまみれ、ボロボロの状態で。大切に育てた姫の、凄惨な最期を物語っていた……。




あの日。アマーナは宮殿の出入り口で、そわそわと落ち着きをなくし、ジャナフたちの帰りを待っていた。

世間では、すでに恐ろしい噂が出回っている。なんと悪質で許しがたいデマだとアマーナは怒り狂い、それを聞かないふりをしていた。


やがて、カーラの転移術でジャナフたちが帰ってきて。

帰ってきた人たちの姿に一同は一瞬だけ喜んだが、人影が二人しかないことに気付いて凍り付く。

アマーナは、立ち尽くしてしまった他の者たちを気にも留めず、急いでジャナフに駆け寄った。


「お帰りなさいませ、ジャナフ様、カーラ様!ご無事にお戻りくださって、本当に安心しました!姫様は……勇者様か、聖女様のところへ遊びに行っておられるのですか?もう、あの御方は……。お父様たちと一緒に、私たちのもとへ一番に報告に来てもよいでしょうに――」


事実を知るのが怖くて、アマーナは何も気づかないふりでわざとらしいぐらいに明るく言い、ジャナフに笑いかける。

だが、ジャナフは顔を強張らせ、カーラは顔をそむけたまま――表情を出さぬように努め、固く手を握り締めている。アマーナは、必死でそれを見ないふりをした。


「……町に流れる噂を、聞いておらぬのか」


ジャナフが言った。存知ております、とアマーナはとぼける。


「まったく。とんでもないウソを吹聴すること!悪質にもほどがありますわ。許しがたい嘘つきを、国を挙げて捕えるべきかと――」

「あの噂は事実だ」


ジャナフが、残酷にもそう宣言する。

アマーナは笑顔を引きつらせ、あなたさままでそのような冗談を、と反論しようとした。だがジャナフは、決定的な証拠をアマーナに差し出した。


真っ赤に染まった、ライラの服。無惨に引き裂かれた跡があり……。


「ライラの肉体は消滅し、亡骸すら連れ帰ることができなかった。ワシらの手元に残ったのは、あやつが着ていた衣服だけ――他のものは、みなで形見分けをした」


しばらくの間、アマーナは呆然とライラの服を見下ろしていた。やがて、ライラの服の上にぽたぽたと涙が落ち始めて。


「ああ……あああぁ……!そんな……そんな――あああぁぁ……!」


ライラの服を抱きしめ、地面に崩れ落ちてアマーナは泣いた。


行ってくる、といつもと変わらない笑顔で旅立った。あれが、最後になるだなんて。

存在した証すら残すことなく……彼女はこの世界から消え去ってしまった。アマーナのもとから――永遠に。


「許せ、アマーナ。すべてはあれを守りきれなかったワシが悪いのだ。許せ……」


泣き崩れるアマーナのそばに膝をつき、ジャナフが呟く。ジャナフの声は震えていた。

だがその時のアマーナは、ただひたすら泣くことしかできず。いつまでも、マルハマの宮殿にその泣き声が響き続けた。




ベッドからリラが身動ぐ音が聞こえ、アマーナは顔を上げた。

直していた服をそっと椅子の上に置き、彼女の様子を確認する。


よく眠っている。寝返りを打ったから長い髪が顔にかかって邪魔くさいらしく、眠ったままもぞもぞと手が動いていた。

起こさないようにそっと髪を整え、アマーナはしばらくリラの寝顔を見つめていた。


このまま、彼女がこちらの世界を選んでくれたら。

そんなことを密かに望みながらも、いまの彼女の両親のことを思い、アマーナも複雑だった。


彼女が優しい両親のもと幸せに育ってくれて、とても嬉しい。本当に安心した。

けれど……何の未練も残らぬほど、元の世界での暮らしが苦しかったらよかったのに、とも思ってしまうのだ。


突然我が子を失い、存在した証すら残すことなく自分のもとから消え去ってしまうことが、どれほど悲しいことか。アマーナは、身を持ってそれを知っている。


いまの彼女の両親に、同じ想いをさせるのは……。しかも、二人はなぜ娘がいなくなったのか分からないままなのだ。

それは……あるいは、死に別れるより辛いことなのかもしれない。


アマーナはため息をつき、椅子に戻って服の手直しを続けた。

……考えるのは、彼女が元の世界に戻る方法が見つかってからでいいはずだ。


そんな言い訳をし、アマーナは大切な姫が帰って来てくれた幸せに浸っていた。


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