知らない顔
父に手を引かれながら、リラは祝宴の場に着く。
マルハマでは、王――ジャナフが最上位の上座。口型に並んで座り、王に近いほど、王との距離や地位の高さを示すこととなる。
王から見て左手前に座る男が、王に次ぐ権力者の位置。カーラがいる時は、当然、カーラがそこに座る。いまはカーラが不在なので、ジャナフの昔からの忠臣ヘルムが座っている。
リラは……ライラの頃から、父の隣に座っていた。ジャナフと並んで座る――本来、座る者のいないはずの場所に、いつも当たり前のように座っていた。
リラが、ジャナフの隣に並んで座っても、誰も異議を唱えない。普段は。
……今回は、ヘルムを始め宴に出ている男たちが目を丸くしてリラを凝視していた。
「スケベ」
自分の足を見ているのだと気づき、リラはジト目でヘルムたちを睨む。
ドレスには大きくスリットが入っているから、座るとリラの足がかなり丸出しだ。呆れたように言えば、ヘルムは慌て、違います!と必死に弁解した。
「その、いつもと座り方が違ったので、驚いてしまって!」
「ああ……さすがに、このドレスで普段の座り方はできないだろ」
父の仕草を覚えて真似るようになったライラは、座り方も男と同じ――あぐらを組んで座っていた。いまでも癖でそれをやりそうになるけれど、リラにも、その姿勢をしてはいけない状況は理解している。
ドレスを着ているいまは、大人しく正座だ。
「あ、こら。親父!もう出来上がってんのかよ」
正座したリラの膝を枕に、ジャナフがごろんと横になってくる。しかも、その体勢なのに器用に杯だけは手放さず、酒を煽っているのだから……。
「昼間も飲んでたくせに。飲み過ぎだぞ」
「めでたい祝いの席だ。大目に見ろ」
「なんやかんや理由をつけて、いつも飲んでるじゃねーか、親父の場合。まったく……飲むなとは言わないが、明日はカーラの応援に行くんだろう?ほどほどにしておけよ」
娘の説教を聞いているのか、いないのか。ジャナフはご機嫌で酒を飲むばかり。
リラは溜め息をつき……ふっと笑った。
――こんなやり取りも懐かしい。たまにはいいか……。
父の白い髪に手を伸ばし、気まぐれに撫でる。ライラも髪の色は白かったのだが、少し癖っ毛で柔らかい髪質だったのに対し、ジャナフは剛毛だ。
ジャナフの髪を撫でてクスクス笑っている自分を、周囲が意味ありげな目で見ていることに、リラは気付かなかった。
「そう言えば。王様……オレと一緒に来た竜は?姿が見えないけど」
ライラの時に好きだった料理が運ばれてきて、それを食べながら、リラは尋ねた。
マルハマ料理を紹介したかったし、せっかくだから、この楽しい雰囲気を味わってほしかったのに。
周囲を見回すリラに、ヘルムが答える。
「広めの空き部屋へ案内した後、お食事をご用意しましたら、それを食べてほどなく眠ったそうです。疲れ果てているのでしょう。起きる様子もないので、そのまま休ませておりますが……」
「そっか。じゃあ、起こすのも気の毒だな。ずっと飛び続けてたし、なかなかぐっすり眠れないでいたって言うし」
リラが久しぶりのマルハマ料理を楽しんでいる間にも、ジャナフは酒を飲み尽くしていた。
王の酒が空になったことを察し、ヘルムが次を持って来させようとするのをリラが止める。
「ダメだ。もう終わり。ほら、親父――あーあ。すっかり酔っ払ってるじゃん。もう部屋に帰って寝ろ」
ふらふらとした足取りで起き上がる父の身体を支え、リラも立ち上がった。ヘルムたちが手を貸そうとするのを断る。
「オレ一人で大丈夫。おまえたちは、もう少し宴を楽しんでろよ」
そう言って、リラは父を部屋へ送っていく――ヘルムたちは、その光景を満足げに見送った。
大きな身体を支え、リラは父の部屋へと移動していた。
ライラだった頃より身長が低くなってしまったから、ジャナフとより差ができてしまって、前よりもふらついているような。
なんとかジャナフをベッドまで連れて行くと、ベッドに倒れ込む大きな身体に引きずられ、リラもベッドに倒れ込んでしまった。
「うわっ!親父、やっぱ飲みすぎ――」
父を諫めようと顔を上げれば、覆いかぶさるようにジャナフが自分を見下ろしていて。
彼の眼差しに、リラは言葉を失ってしまった。
――ウソだろ、と目を瞬かせてしまう。
「……鈍いおまえも、カーラたちから立て続けに告白されていては気付くか」
からかうようにジャナフが笑う。
たしかに、カーラたちとのことがあったから、目の前の男の変化に気付いたのだと思う。それまでだったら、こんな表情を見てもジャナフの真意には気付かなかった……はず。
……いや、記憶にある限り、父からこんな目で見られたことはない。ジャナフは、いつも父親の顔をしていた。
ライラのことを、女として見ていたことなんてなかったはず。
「隠しておったからな。カーラですら気付かなかったほどに。ワシ自身、そんなものをおまえに打ち明けるつもりはなかった」
ごろんと、ジャナフはリラの横に寝転がる。リラは身体を起こし、寝転がっているジャナフの横顔を見つめた。
「父親から、実は女として見ていたなどと言われても迷惑な話だろう。そう思って、ライラのおまえとどうこうなるつもりはなかったのだ――カーラか、連中の誰かといずれ結ばれるのを、父親として祝福するつもりでいた。だが、おまえに死なれ……死ぬほど後悔したというわけだ」
茶化すようにジャナフは言ったが、リラを見る目は相変わらずで――ジャナフの目は、想い慕う相手を見つめる眼差し。
鈍いリラでも、何度もそんな男たちから向けられたものだったから、身に覚えしかなくてすぐに察してしまった。
「……そういうわけだから、二度と、気軽に男の寝室に入ってはならんぞ。ワシが本気を出せば、おまえを力ずくで自分のものにすることができる――おまえも、それは分かっておるだろう」
頬杖をつきながら、ジャナフはひらひらと手を振る。暗に、出て行けと合図しているようにも見えて。
無意識のうちにベッドの上で正座していたリラは、自分の膝の上でぎゅっと手を握り、すぐに返事ができなかった。
困り果てているリラの頭を、ぽん、とジャナフが撫でる。父の手のぬくもりにほっとし、おやすみ、と思わずいつもの挨拶をしてしまった。
「うむ。疲れただろう、ゆっくり休め。おまえの部屋は、そのままにしてある」
うん、と頷き、リラはそそくさと父のベッドから降りて、部屋を出て行る。
出る直前に室内を振り返ると、ジャナフはベッドの上で目を瞑っていた――眠ったふりをしている。なぜか、リラはそう思えてならなかった。
頭についたヴェールに、耳や首、腕に付けられた宝石が重い。こんなもの、普段なら気にもせず歩けるはずなのに、今夜はやけに歩きづらい。
長い廊下を歩きながら、リラは重苦しい溜息をついた。
「まあ、姫様。お戻りになられましたの。もうお休みになられますか?」
かつての自分の部屋に戻るとアマーナがいて、リラを笑顔で出迎える――アマーナの笑顔が、どこかホッとしているように見えるのはなぜだろう。
「うん。なんか……すごく疲れた」
アマーナは手早く、リラが身に着けるヴェールや宝石を外していく。ドレスも余計な装飾は外され、リラはベッドに倒れ込んだ。
ふかふかの枕を抱きしめ、顔を埋める。アマーナが、シーツの上で広がるリラの長い髪を整えていた。
「……親父に口説かれた」
枕に顔を埋めたままリラが言えば、アマーナは意外でもなさそうな反応をする。
知ってたのか、と枕から少しだけ顔を出してアマーナを見た。
「姫様がご存命の間は、私も気づきませんでした。ジャナフ様は、良き父親として振舞っておいででしたから――きっと、誰にも気付かせぬよう、心の奥深く封印しておいたのでしょうね。あくまで、父親として姫様に接するおつもりで。でも姫様が亡くなって……その嘆きようが、娘を亡くした父親のものとは違っていることに気付きました」
アマーナが、少し申し訳なさそうに告白する。
それを知っていてリラがジャナフを部屋へ送り届けるのを見過ごしたこと……ちょっと後ろめたいのかも。
「そう言えば、アマーナたちはオレが親父と結婚して――で、いずれカーラと再婚して……后のオレの夫となることで、カーラの後継問題を解決させたかったんだっけ」
ジャナフとカーラは血が繋がっていない。
マルハマ王家は血縁をさほど重視しないが、やはり建前は欲しい。ライラが正統な血筋のジャナフと結婚し……ジャナフが亡くなった後、未亡人となった后の夫となることで、カーラが王位を継ぐのを正当化させる。
臣下たちは、割と真剣にこれを理想として、ジャナフたちに勧めていた。
ジャナフはいつも笑い飛ばすばかりで、カーラも、親父殿が死ぬことを前提の計画など縁起が悪い、と一蹴していた。
ライラは……王家の結婚とはそういうものなのか、と不思議がりながらも納得していた。
……いま思えば、なかなかとんでもない話だ。
血の繋がりはなくても、親兄弟として育った相手と結婚させられるだなんて。
「……はい。私も、姫様がジャナフ様と結婚し、ゆくゆくはカーラ様と共にマルハマの守護者となって頂ければ……と、望んでおります。でも……アマーナは、姫様の味方ですわ」
適当に横になったせいで乱れたリラのドレスを直しながら、アマーナが呟く。
「ジャナフ様やカーラ様は素晴らしい男です。だから、姫様が心からお二人との結婚を受け入れてくださるのならば祝福します。でも、他に想う方――望む道があるのなら……アマーナは、それを全力で応援しますとも」
「うん……うーん……」
他に想う男。父や弟を差し置いても優先したくなる男……せいぜい、かつての旅の仲間たちぐらい。でも彼らも、ジャナフやカーラより上かと言われると……。
同じぐらい、なんだよなぁ……。
だんだん瞼を開けているのも限界になってきて、リラは考えることを放棄した。
考えていた以上に自分は疲れ果てていたらしい。帰ってきた故郷――懐かしいにおいに、大好きな人たちに囲まれ、リラはいつもよりずっと早く、眠りに落ちた。




