勇者は悩む
雪国のアリデバランは、いまは冬真っ只中。国都ウラガーンは真っ白な雪が降り積もって、一年で最も美しい姿となっていた。
そんな町の姿を背に、皇帝ザカートはせっせと政務に励んでいた。
「お兄様。そろそろお義姉様がマルハマへお帰りになる時間ですわよ」
「えっ――しまった、もうそんな時間か」
妹ローザに声を掛けられたザカートは時計を確認し、慌てて書類を片付け始める。
早めに切り上げて、帰る前に、リラと町へ出かけるつもりだったのに。
「私に任せて、お義姉様とお出かけになればよかったのに」
「いくら俺でも、いまのおまえに仕事を押し付けるなんてできるわけないだろう」
ローザは最近妊娠が判明したところで、大事を取らなければならない身。
書類仕事ぐらい大丈夫だと彼女は笑うが、それで万一のことがあったりしたら、後悔してもしきれない。
いつも妹に仕事を押し付けて旅に出ているザカートも、さすがにいまは自分で政務をこなしていた。
「お義姉様を、お茶に誘ってみてはいかがです?私、ケーキを焼きましたの。それぐらいなら、まだ時間もあるのでは」
「そうしてみる」
妹の気遣いに感謝し、ザカートはリラを探しに行く。いまは、部屋で帰り支度をしているころだろうか。
城にあるリラの部屋へ向かってみると、途中でリラに出くわした。彼女はまだ、アリデバラン風ドレスを着ている。まだ着替えていなかったのか、ということにちょっと驚きつつ、ザカートは言った。
「おまえを探してたんだ。そろそろマルハマへ帰る時間だが、その前に一緒にお茶でも……ローザがケーキを焼いたって」
「んー……」
いつもなら笑顔で頷くリラが、今日は渋い顔をしている。
どうした、と声をかけると、リラはまだ唸り、何度か首を傾げていた。
「あのさ。マルハマに、帰るの先になるかもって手紙送ろうと思って。もうしばらく、ここに厄介になるかも」
「帰らないということか……?俺は、いくらでも居てくれて構わないが」
なんだったら、ずっとこっちで暮らしてくれたっていい。それは、ザカートの本心だった。
ただ、マルハマには娘のティカがいるし、リラがマルハマに帰らない選択をするなんて意外だった。意外どころか、ありえないと思ってたのに。
「ローザを診てる医者……オレも診てもらえないかな」
「何かあったのか」
リラの申し出に、ザカートは思わず詰め寄ってしまう。
どんな大怪我をしても、自分より他人の治療を優先させたがる彼女が、自分から医者を呼びたがるだなんて。
「うーん……たぶん、なんだけど……」
リラはやっぱり浮かない顔だ。
「オレ、妊娠したっぽい」
すぐに侍医が呼ばれ、リラは診察を受けることになった。男のザカートは追い出されてしまったので、部屋の前でうろうろするしかない。
診察が終わって侍医に呼ばれて部屋に入ってみると、侍医は浮かない顔をしていた。
「申し訳ございません。現段階では、私では診察が下せません」
え、とザカートは面食らったが、リラは納得しているようだった。
「だろうと思ったよ。オレが住んでた世界でも、そんなに早く結果は出ないもんだし」
でも、リラは確信があるらしい。自分のお腹に手を当て、ザカートに説明する。
「おまえの子だと思うよ。オレのお腹に、自分のじゃない力を感じるんだ。ティカの時も感じた――ティカの時は、もっと後になってからだったけど。でも、同じ感覚だから間違いない」
とは言っても、やはり侍医にはいまの段階で妊娠を確実に判別する方法がないらしい。
リラの話だと、今日突然その力を感じるようになったから、昨夜あたりの結果じゃねーの……とのこと。心当たりありまくりなので、ザカートもちょっと赤面してしまった。
さすがに妊娠したばかりでは、医者であっても分からない。
セラスを呼んでみてはどうか、とローザに提案された。
「お義姉様は魔族ですから、同じ魔族のセラス様なら、何か気付いてくださるかもしれません」
妹の提案にザカートは頷き、すぐにセラスとマルハマ宛に手紙を送った。
マルハマにはもちろん、リラが妊娠したかもしれないので、帰るのは結果がはっきりしてから……という内容のもの。
いくらリラが丈夫で、そんなリラの子であっても、妊婦があの転移魔法陣を使うなんて言語道断。ヒポグリフに乗って帰るにしても、いまは冬で季節が悪い。
転移魔法陣には手紙を載せて――もともと、あの魔法陣はそういう使い方をするものである。手紙や、破裂する恐れのない荷物を送るためのもの――ジャナフやカーラにそのことを知らせた。
セラスは手紙を送ったその日の内に、アリデバランへやって来た。夫のミカと、息子のグリードを連れて。
グリードは一歳の赤ちゃん。赤ちゃんのお世話をすることに興味津々のローゼは、グリードの抱っこに挑戦していた。
「……うむ。確かに、リラの腹部からザカートの力を感じる」
手紙ですでに事情を把握していたセラスは、さっそくリラの身体を調べる。
勇者であるザカートの力はかなり特殊だから、セラスにもはっきり感じ取れたようだ。妊娠がほぼ確定し、ザカートはぱあっと顔を輝かせた。
「めでたい――と喜んでやりたいが、少し気がかりもある。リラ、おぬし、子の力にかなり体力を削られておるな?」
セラスの指摘に、妊娠に大喜びしかけたザカートが目に見えて真顔になっていく。コントのような落差に吹き出しかけながら、リラは苦笑いした。
「……そんな気はしてた。ティカの時はそんなことなかったんだけど……やっぱ、ザカートの子だからかな?」
「恐らく。勇者の力が我が子を護ろうとしておるのじゃが、魔族のおぬしにはいささかきつい護りじゃな。おぬしは回復力が高いゆえ、けろっとしておるが……子が成長すると、さすがに影響が出るかもしれぬぞ」
セラスの説明に、ザカートはだんだん不安になってくる。
ティカを見て、自分もリラとの間に子供ができたら……と想像することはあった。リラも望んでくれているみたいだから、と安易に考えていたが……。
彼女は魔族で、自分の力は魔族の彼女に害を及ぼすこともあって。
……それを、全然考えていなかった。
「俺のせい……辛い思いをするのはリラなのに、俺は何も考えずに……」
「せっかく子どもできてめでたいのに、いきなり病みモード入るな。大丈夫だって。オレだぞ?オレが、おまえに負けるわけねーじゃん!」
ずーんと落ち込むザカートに、リラは力強く笑いかける。手を伸ばしてザカートの手に触れ、励ますようにぎゅっと握る――ザカートは顔を上げ、リラを見た。
「おまえの力は、悪いものじゃないんだから。子どもと、オレのこと、しっかり守ってくれよな。勇者パワーは無敵だろ?」
リラの手を、ザカートもぎゅっと握り返す。
そうだ……自分が落ち込んでどうする。大変なのは彼女なのに。自分は、それを支えないといけないのに。それぐらいしかできないのだから、せめてリラに励まされるような情けない真似は止めなくては。
セラスの検分が終わった後、リラはローゼと一緒にグリードと遊んでいた。冷たくて真っ白な雪に、幼いグリードは興味津々だ。
リラが雪うさぎを作って見せれば、ローゼもグリードも大喜びしている。
「……ザカート。リラには、あのネックレスは絶対に外すなと伝えておけ」
雪うさぎをつかもうとして壊してしまったグリードを見ながら、セラスが言った。
「ネックレス……あれか」
リラが、ジャナフの生母からもらった形見の品。ピンクダイヤモンドがついていて、リラの魔族としての本性を抑える力を持っている。
セラスが頷く。
「やはり、あの巫女の力はすさまじい。平時ならば問題ないとは思うが……リラの魔族としての本性は、消えたわけではない。おぬしの子を宿して何より心配なのは、力が失われるあまり、生命の危機を感じてリラが抑え込んでおる魔性を発揮してしまうことじゃ。あのネックレスがあれば、その可能性は限りなくゼロになるであろう」
「分かった。リラにも伝えておく」
……でも、もしネックレスを外さなくてはいけないような時が来たら。
リラに万一のことが起きて、ネックレスを外してでも回復を優先しなくてはいけないことが、起こり得るも知れない。
そんなことが起きないよう、自分もリラのそばを離れないようにしなくては。




