お母さんといっしょ
その日、リラの診察に付き添ったのはジャナフ一人だけであった。
ライラを育て、いまもリラ付きの侍女となっているアマーナですら、部屋の外で診察が終わるのを待っていた。
そこへ、カーラがやって来る。
「アマーナ。そろそろ結果が出る頃――」
「でかした!」
カーラの台詞は、部屋から聞こえてきたジャナフの歓声でかき消されてしまった。
全員が部屋の出入り口に振り返り、目をぱちくりさせながらそちらを見る。
カーラは、ふっと笑った。
「……こっそり聞かせてもらえないかと思ったのだが、その必要はなくなったな」
カーラが言えば、アマーナもくすくす笑う。
静かに出入り口に近づき、室内に向かって声をかけた。
「ジャナフ様。リラ様。入ってもよろしいでしょうか?」
「アマーナか?いいぜ。もう診察、終わったから」
リラが返事をし、アマーナは部屋に入る。カーラも、少し遠慮がちに部屋を覗き込んだ。
診察はもう終わり、侍医も頭を下げて部屋を出て行くところだ。
リラはゆったりと長椅子に腰かけており、すぐそばに立つジャナフは喜びに浸り、ガッツポーズを取っている。カーラを見つけ、ジャナフが満面の笑顔を向けた。
「カーラ!」
「――聞かなくても分かる。部屋の外まで聞こえていた――おめでとう、親父殿、姉者」
心からの祝福を送れば、うむ、とジャナフも力強く頷き、でれっと笑顔が崩れた。
……ここまで相好を崩す父を、初めて見た。本当に、嬉しくて堪らないのだな……。
「ジャナフ様。リラ様。おめでとうございます。姫様――どうぞ、ご出産まで健やかにお過ごしくださいませ」
「そうだな。さすがにオレも、暴れるのは当分禁止にしないと」
まだぺったんこのお腹を見下ろし、リラが言った。
そっと手を伸ばして触れて……リラも、嬉しそうに笑う。その笑顔は、すでに母親らしいものであった。
「へへ……オレも母親になるなら、親父のこと、もう親父って呼ぶの止めるようにしないとな。子どもが混乱しちまう」
「む?うーむ、言われてみればそうか――まあ、どちらでもよい。それはおまえの好きにしろ」
「うん。それにしても、こっちの世界でも、誰が父親かちゃんと分かるようになってるんだな。正直、オレ自身カーラの子なのか、親父……ジャナフの子なのか、よく分かんないのに」
リラがあっけらかんとして言い、心当たりのあるカーラは苦笑いする。
ジャナフは豪快に笑ったが……不意に、真面目な顔でカーラを見た。
「……カーラ。腹の子が男であっても、ワシの後継者はおまえだ。それは覆すつもりはないからな」
え、とカーラが驚くが、当たり前じゃん、とリラも同意する。
「オレたちも国のみんなも、おまえがおや……ジャナフの後継者ってつもりでいたんだから。いまさら替わるほうが迷惑だろ」
「いや、だが……親父殿の血を引く男児がいるのなら、そちらのほうが……」
「王たるワシの決定だぞ。異論はおまえでも認めぬ。どうしてもワシの子を王にせねばならぬと言うのなら、おまえが王になった後、考えればよい」
ジャナフはリラの隣に腰かけ、リラの腹に触れる。
子どもは嬉しいが、それで政治的な決定を変えるほど、ジャナフも甘い男ではない。リラもそれは分かっているし、そんな男だからこそ尊敬もしている。
……生まれてくる子は、女の子だと良いな、とこっそり思ってみたりもしたが。
自分も、ジャナフも、他のみんなも。ジャナフの次の王はカーラでいいとそう思っている。
でもきっと、男の子が生まれてしまったら、他ならぬカーラ自身があれこれ悩みそうだから……女の子が生まれて、悩む必要をばっさり切り捨ててしまいたい。
「それはそれとして――うむ、実にめでたい!カーラ、ヘルムを呼び、リラが身ごもったことを国中に知らせろ!町の者たち全員に酒を振る舞って、今日は宴だ!」
「親父殿。妊娠が分かっても、しばらくは内密にすると決めただろう」
浮かれて、自分自身が宣言したことを忘れかけているジャナフを、カーラが苦笑いで止める。
息子に冷静に諫められ、ぐ、とジャナフも言葉に詰まった。
「そうですわ。まだ姫様は安定期に入っておられません。いかに姫様がお強く、御子もご丈夫な両親の血を引いているとは言っても、この時期は何が起きても不思議ではございませんのよ。お二人が心安らかにお過ごしいただくためにも、いましばらく……」
「そ、そうであったな」
気まずさを誤魔化すように、ジャナフが咳払いする。
「……すまん。少し浮かれ過ぎた」
「いいよ。おや……ジャナフも、それだけ嬉しいってことだろ。父親に喜んでもらえて、この子も幸せだ――酒ぐらいは大目に見てやるぞ。飲み過ぎないようにな」
カーラとアマーナに説教されてしゅんとなるジャナフが愛しくて、リラは微笑んだ。
お腹の子も、自分のことで浮かれてしまった父親を、微笑ましく感じていることだろう。
結局、母親も丈夫だし、そんな両親の血を引いた子だし、リラの初めての妊娠、出産は、侍医も驚くほど順調平穏なもので、生まれてきた子どもはマルハマ中の人間を虜にした。
マルハマ王家は新しい王女を迎え、幸せいっぱいである。
アマーナにドレスを着つけてもらい、リラは大きくため息をついた。
「……ったく。ジャナフのせいで、すっかり長湯になっちまったぜ」
「ワシと入りたいと、最初にごねたのはおまえであろう」
「いつの話だよ――別に一緒に風呂はいいけど、エッチなことはちょっとだけっていつも言ってるだろ」
衝立の向こうから、まだ着替えている自分を覗くジャナフをリラは睨む。ジャナフは悪びれることなく笑い、リラはまたため息をつく。
「ほら、ジャナフ。上着がちょっとヨレてるぞ。豪華な衣装も、ちゃんと着なきゃカッコ悪いだろ。よく似合ってるんだからしゃんとしろ」
適当に羽織ったらしいジャナフの上着を、手を伸ばして正す。そんなリラの手にジャナフも手を伸ばし、ぎゅっと握ってきて。
顔を上げれば、熱っぽく見つめるジャナフと目が合った。
屈んで自分に顔を近づけてくるジャナフに、リラも背伸びする。口付けを受け入れつつも、抱き寄せてくるのはさすがに止めた。
これ以上はなしだ、とリラが言った。
「ティカを待たせてるんだから。風呂で充分いちゃついたんだし、続きは今度でいいだろ――そろそろ、オレも二人目は考えてるけどさ……」
ぽつりと付け加えると、ジャナフが目を丸くする。それからまた熱烈に口付けてくるので、今度は腹を蹴飛ばすことにした。
……相変わらず頑丈な腹筋だ。裸足で蹴ると、リラでもちょっと痛い。
「まだ計画中!いまから作るわけないだろ!ほら、さっさと飯行くぞ!」
ジャナフを引っ張り、食堂へ向かう。
ティカたちはすでに夕食を始めており、カーラの膝にちょこんと座って、もぐもぐと果物を食べている。
「ママ、パパ!」
リラたちがやって来たのを見て、ニコニコと笑いながら駆け寄ってくる。果物で手も口もベタベタだが、そんなものも気にならないぐらい娘が可愛くて、リラもデレデレになってティカを抱っこした。
ジャナフと並んで上座に着席し、ティカを膝に乗せて自分も食事を――できたのは、数分だけ。
先に食べ始めていたこともあってティカはそうそうに食事に飽きてしまい、退屈し始めた娘を連れ、リラはすぐに部屋に戻ることになってしまった。
……小さい子がいると、食事もなかなかできない……。




