あれから、
丸い水槽のような容器の中で、リラのスマホはふわふわと浮いている。しばらくじーっと見ていたが、スマホがブルブルと震え出してリラはパッと顔を上げた。
急いで容器からスマホを取り出し、画面を確認する。
ちゃんと、新着メールの情報が。
「――メールだ!父さんたちから……ちゃんとオレのメール、届いたって!」
よかったですね、と自分たちの研究の成功をフルーフも喜び、笑顔で頷いた。
「オレが子どもを生んだのはびっくりしたけど、すごく可愛い子だって喜んでくれてるみたいだ。それに、オレが元気そうでよかったってさ。父さんや母さんも、元気にしてる――会いに来てくれる日を、楽しみに待ってるって……」
メールを読みながら、リラはぎゅっとスマホを握り締める。
セラスやミカ、フルーフの地道な研究の結果、ついにリラのスマホはメール機能を取り戻した。
と言っても、こちらの世界に電波なんてものはないから、スマホに登録されたメールアドレスを辿ってメールを送り合うことしかできないのだけれど。このスマホには両親と大和のメールアドレスしか登録してなかったから、しばらくは両親専用かな……。
「……いつか、娘と会わせてやりたいな……。あの子だって、じいちゃんやばあちゃんに会えたら、きっと喜ぶ」
「そうですね。いつか必ず、ニホンを行き来する道を開いてみせましょう。グリモワールの研究力を舐めないでください」
ちょっぴりしんみりしてしまうリラを励ますように、フルーフは不敵に笑って言った。
フルーフの心遣いを有難く感じ、リラも笑顔で頷く。
「ああ。研究に関しては、オレは人任せになっちゃうけど……オレでできることがあったら、何でも言ってくれよな!」
「はい――そろそろ、時間ですね」
フルーフが部屋の時計を見上げる。
彼の言う通り、そろそろ出発しないと……。
「じゃあ、オレはこれでマルハマに帰るよ。一週間、世話になったな。また泊まりに来るから!」
次にグリモワールにお泊りしに来るのは来月。来週は一週間ぶりに、マルハマでゆっくり過ごすターンだ。
日本に帰ったリラが異世界に戻ってきて、本格的にこちらで暮らすようになってから、三年の月日が経過した。
世界は平和で、リラはあちこちを移動する日々を送っていた。
主な国は、マルハマ、アリデバラン、グリモワール。時々プレジールやオラクルにも行って、誰かの護衛役に新しい国に行ってみることもある。
相変わらずザカートたち全員との恋人関係は続いており、セイブル王子や……プレジール国王ライジェルからも口説かれているような気もするが……きっと気のせいだ。最近の自分は自意識過剰だな。
まとめていた荷物を持ち、リラはグリモワール城内の巨大な転移魔法陣へ向かう。
あらかじめ描かれた魔法陣同士に転移できる優れもの――こんなものがあるのに、なんでいままで使わなかったんだとリラが尋ねたら、利用者にものすごく負担がかかるから、とフルーフは答えた。
――リラさんぐらいタフで回復力の高い人でないと、転移の圧に負けてへばります。下手をすると、死に至る場合も。
……そんな実用性のないものでは、いままで活用されないのも納得だ。
おかげさまで、自分は何の実害もなく転移の恩恵を受けられているが、この魔法陣はリラ専用で用意されたものである。
一週間ほど滞在したら、次の国へ。それが、この三年間の過ごし方であった。
ただ……やっぱり、マルハマで過ごす期間が一番長い。
「次の逢瀬を楽しみにしています。ティカさんによろしく――僕も、そろそろ休暇を見繕ってマルハマへお邪魔しに行くことにします」
「おう。いつでも遊びに来いよ。せっかくだから、ライラも連れて。ティカも喜ぶからさ」
魔法陣に乗りかけて、魔法陣の描かれた部屋まで自分を見送りに来てくれるフルーフのもとに戻る。少しだけ背伸びして、彼の頬にキスする。
フルーフが、くすりと笑った。
「挨拶の約束を思い出してもらったのは嬉しいですが、場所が違いますよ?」
「だって……照れくさいし」
拗ねたように唇を尖らせるリラに、フルーフはますます笑う。
「僕の寝室にいらしてる時には、あんなに積極的なのに」
「その時は、そういう雰囲気になってるから……。なんでもない時に急にキスするってなったら、照れるのが普通だろ」
そうですね、と棒読み丸出しでフルーフが相槌を打つ。むう、と拗ねるリラに、フルーフが顔を近づけてきて。
リラも拗ねるのをやめ、そっと目を閉じた。
「……いつか、オレからもできるように努力する」
三年かかっても、まだ克服できていないけど。でも、悪くない感覚だとは思うから……自分からできるようになったら、フルーフもきっと喜んでくれるだろうし。
「楽しみに待っています。それでは――そろそろ、本当にお返ししないとカーラさんに呪われてしまいそうなので」
「うん。じゃあ、またな!」
フルーフに手を振り、転移魔法陣に飛び乗る。魔法陣が輝き始め、部屋中が光に満ちて、視界がホワイトアウトしていった。
真っ白な視界が元に戻ると、フルーフが立っていた場所にはカーラたちが……。
「ママ!」
カーラに抱っこされていた小さな女の子が、リラの姿を見てじたばたともがく。カーラが下ろせば、一目散に抱きついてきた。リラも、ぎゅっと娘を抱きしめる。
「ただいま、ティカ。迎えにきてくれたんだな」
一週間ぶりのマルハマ。リラの故郷で、いまは、世界で一番大切な相手が自分の帰りを待っている国。
娘のティカは、リラを見上げて可愛らしくニコニコしている。
「お帰り、姉者。少し帰りが遅いから、転移に何か不具合でも起きたのか気にしていたところだ」
「ただいま――悪い。父さんと母さんからメールが来て、ついそれを読むのに没頭しちゃってさ。あ、そうだ」
スマホの話をしていて思い出した。ティカを抱っこしたまま、空いた手でフルーフから渡された荷物を漁る。
じゃーん、と手のひらサイズの鏡を取り出した。
「グリモワール印のカメラ。最新モデルだ!」
「ほう。今度はなかなか小型になったな」
リラからカメラを受け取り、カーラが機能を確認する。
不思議そうに鏡を覗き込むティカを写真に撮り、自分の姿にティカが大笑いしていた。
リラが日本から持ち込んだスマホは、当然、フルーフたちの研究対象となった。
長年の研究の結果、ついにはメール機能を取り戻したわけだが……もともとは、カメラとして使いたくて持ち込んだもの。
日本で撮ったものをみんなに見せたかったのと、いつか日本に帰った時に、両親にこちらの世界のこと、仲間のことを撮った写真を見せたかったから。
バッテリーに関してはたぶんどうにかなるだろうと思って持ち込んだが、結果的には大成功だった。
写真というものが存在しないこちらの世界では、カメラは画期的な品物として注目を集めることとなり、こうしてグリモワール製カメラが誕生した。
……リラがスマホで見せてしまったせいか、おおよそカメラらしくないビジュアルのカメラとなってしまったが。
「父さんと母さんにも送れるようになったから、今度はマルハマのこともたくさん撮って送らないとな。カーラとジャナフのことも撮るぞ」
「そうか。ご両親殿に、マルハマの良いところをしっかりアピールしないとな」
部屋に、他にも人がやって来る。
アマーナだ。
リラを見て、お帰りなさいませ、とアマーナも急いで駆け寄ってきた。
「お帰りが遅いので、心配しておりました。ジャナフ様も、そわそわして姫様のお帰りを――」
「戻ったか!約束の時間はとうに過ぎておるぞ。フルーフに引き留められ、ワシらとの約束を反故にするつもりではないかと案じておったところだ」
アマーナのあとから、すぐにジャナフもやって来る。ティカごとリラをぎゅうぎゅうと抱きしめてくるので、リラはジャナフの逞しい腕をぺちぺち叩いた。
「こら!ティカが潰れる!」
「おお――すまぬ。久しぶりの母御で、ワシも浮かれておるのだ。許せ、娘よ」
両親の血を引いて頑丈なティカは、相変わらずニコニコ笑っている。
幼いティカが潰されては大変とばかりに、アマーナがすぐにリラの腕からひったくるようにして奪い取った。
「ジャナフ様!リラ様とティカ様が愛しくて堪らないお気持ちは理解できますが、もっとしっかり力加減を!まったく、ライラ様とカーラ様の時も同じ失敗をして、幼いカーラ様に重傷を負わせたことがございますのに……」
アマーナに説教され、ジャナフが苦い顔をする。ニヤニヤとリラが笑っていたら、ジャナフに担ぎ上げられてしまった。
「ワシが叱られているところを見て、嬉しそうな顔をするでない。久しぶりに、ワシからもおまえに説教だな――約束の時間は守らぬか」
「なんだよ、それ。どういう理屈だよ。だいたい、もう門限なんて年でもないっての!あー、もう!オレはティカとイチャイチャしたいのにー!」
自分を担いだまま歩き出すジャナフにリラも抵抗するが、やはり彼には敵わない。
また後でな、とカーラがのんきに手を振っている。
「ティカ。母上殿は、親父殿に先に独り占めさせてやってくれ。まったく……幼い娘に我慢させるなど、相変わらず親父殿は子どもっぽいところのある男だ」
カーラの言葉の意味を理解しているのか、いないのか、ティカは可愛らしく笑ったまま小首を傾げている。
とりあえず、両親が戻ってくるまで、叔父に遊んでもらっていた。




