ライラとの別れ
「あ……セイブル、おまえ……」
散っていく光を見ていたリラは、ふと見慣れぬ顔が増えていることに気付いて声をかけた。
セイブルも、ようやく自分の姿が変化していることに気付いたようだ。自分の手や身体を見下ろして、目を丸くしている。
見慣れないけれど、見たことはある。リラとしてこの世界に初めて来たときに、自分たちを出迎えた男。
やはり、魔王ネメシスが化けていたのか……。
「その顔だったんだな。でも……ネメシスが化けてた時より、おまえのほうがずっと男前だ」
リラが笑ってそう言えば、セイブルも照れたように笑った。
魔王ネメシスが化けたセイブル王子もハンサムな容姿ではあったが、目が笑っていなくて、愛想笑いはどこか歪で。
本物のセイブルは優しい眼差しに、あたたかい笑顔の、偽者よりもずっとハンサムな男だった。
「セイブルが元の姿に戻ったってことは、本当にネメシスは……」
「白咲!俺たちも――!」
大和の声に、リラは振り返る。大和も自分の姿を見ていて……よく見たら、大和の身体もほのかに光っている。周囲に光が満ちているから気付かなかった――自分自身の身体も、淡い光を放っていて……足元から、少しずつ透けていっている……。
「……そっか。魔王を倒したら、魔王に召喚されたオレたちは強制送還ってわけか」
帰るかどうかなんて悩む猶予もなく、自分たちは日本に連れ戻されるらしい。勝手に召喚して、勝手に送り返すなんて、なんとも迷惑なやり方だ。
「デルフィーヌが言ってたのは、こういうことか。じゃあ、他のみんなも日本に帰ることになるのかな?」
「そうかもな――これで……お別れか。今度こそ……」
涙を堪えるようなザカートの声に顔を上げ、リラは彼を見た。泣き出すのを必死に我慢しているけれど、そのせいで強張った顔がなんだか面白いことになっていて、リラは思わず吹き出してしまう。
「泣き虫」
からかうように笑って言えば、ザカートも笑った。
笑った弾みに、ザカートの頬を涙が伝う。それを急いで拭うザカートが愛しくて、リラは微笑んだ。
「勝利の涙だ。今日だけは大目に見てやるよ――オレたち、また新しい伝説を作ったんだな。今度は、みんなで笑って語り合えるような結末になった。大勝利だな!」
「……ああ。新しい伝説は、笑顔で語り継ごう……。やっぱり、物語はハッピーエンドで終わる方がいいからな」
涙を流しながらも、ザカートは笑って言った。リラも笑顔で頷く。
それから、ゆっくり仲間たちを見回した。
「フルーフ。グリモーワルの王様、頑張れよ。グラース様と協力し合って……おまえの国、まだ完全に解決したわけじゃないから、色々大変だろうけど、きっとおまえたちなら解決できるって、そう信じてる」
「ありがとうございます。ライラさんに話したこと――誓ったことを忘れずに、僕も努力を続けます」
微笑むフルーフは、いつもと変わらず落ち着いていて。でも、瞳が揺れている。悲しみを封印し、笑顔でリラを見送ろうと……。
「セラス、ミカと仲良くな――あ、そう言えば、ミカにも挨拶したかったのに、会えずじまいだな。よろしく伝えておいてくれ」
「分かった。どうせあやつのことじゃ、ネメシスの部屋でも探し回って、ネメシスが使っていた術を研究しようとしておるのじゃろう。まったく、このような時にまで……」
ぶつぶつと文句を呟くセラスに、リラは笑った。
「セイブル。オラクルはまだまだ大変だろうけど……おまえなら大丈夫だよな。結局、国のことではあんまり助けになってやれなくて、ごめんな」
「いいえ。ライラ様には、すでにたくさんのことを助けて頂きました。ライラ様、ヤマト様……二人の英雄のことを、私たちオラクルの民は永遠に語り継いで行きます」
セイブルは、リラと大和を真っ直ぐに見つめて言った。大和はちょっと照れくさそうだ。
「フェリシィ。小さいほうのライラに、紙芝居の続き、できなくなってごめんって謝っておいてくれるか?勇者ザカートの新しい物語……聞かせてやりたかったのに」
「ライラ様の分まで、私が娘にしっかり伝えますわ。勇者ザカート様のこと、新しい勇者ヤマト様のこと……お二人の相棒を務めたライラ様のことを」
「オレは脇役でいいんだよ」
リラはそう言ったが、フェリシィはくすくすと笑う。あまり、主役という柄ではないのだが……。
「親父。カーラ。マルハマを頼んだぞ。オレも、ずっとあの国の平和を祈ってる。みんなが幸せに暮らせるように……幸せでいてくれるように、祈ってるから。今度は夢だなんて思わない。オレの大事な故郷だ」
「オレたちも、姉者の幸せを……姉者の国が幸せであるよう祈ろう。みなが、笑って暮らせるように……」
カーラは穏やかな笑みを浮かべていたが、ジャナフはむすっと唇を結び、険しい表情をしていた。怒っている……というより、泣くのを我慢しているのだろう。
滅多に見ない表情だから、普段ならからかったかもしれないが……いまは、リラもそれをからかう余裕はなかった。
「……達者で過ごせ」
「ああ」
ジャナフからの言葉は、たった一言。でも、それで十分だ。
リラはもう一度、ザカートと向き合う。
「オレは、こっちの世界に戻ってきて、みんなとまた会えてよかった。結局また別れることになって……すごく、辛いけど……でも、あの時みたいな別れとは違う。みんな、ちゃんと幸せになったのを見届けられたから……」
自分を包む光が強まり、視界が霞む。これはきっと、召喚術のせいだ。リラはそう思うことにした。
自分の瞳に溢れるものも、自分の頬を伝う感触も気付かないふりで、リラはぎこちなく笑う。
ザカートは、そんなリラの表情に堪えきれなくなったみたいで、ついに泣き出してしまった。
――みんなの笑った顔が好きだから。
自分が、みんなの笑顔を奪うような存在になってしまうのは御免だ。最後まで互いに笑っていたかった……。
「さよなら――またな……!」
リラたちの身体は消え、声が遠のいていく。ザカートが手を伸ばしたが、光は弾け、少女は完全に消え去ってしまった。
勇者の相棒は……自身が在るべき世界へと、帰っていったのだった――。
――そんな新たな伝説の、結末から半年後。
ザカートは、マルハマにいた。
「もう来ておったのか。今年はおまえが一番乗りだな」
カーラと共にやって来たジャナフが、ザカートの姿を見て豪快に笑う。
マルハマの国都タルティーラ。町はずれのひっそりとした、美しい花に囲まれた場所にライラの墓は建てられていた。
毎年、彼女の命日にはみんなで集まって、彼女を偲ぶ。
今年は、一番最初にザカートが到着してしまったようだ。
「あれから半年か……なにやら、夢を見ていたような感覚だな」
ライラの墓を見下ろし、カーラが呟く。ザカートも、心の中で同意した。
何度も後悔し、会いたいと望んだ相手――彼女が戻ってきて、昔のような時間を過ごして……彼女の特別になって、幸福を得た。そして、彼女と共にその時間も消えてなくなり……まるで、幸せな夢を見ていたような、そんな感覚だけが残った。
「おお。フェリシィたちもやって来たようだぞ」
上空からこちらに向かって飛んでくる竜を見て、ジャナフが言った。
魔王の呪いは解けたのだが、あれからセラスに頼んで、セイブルは竜に変身する術を完全に身に着けたらしい。
空を飛び、身体の大きさを自在に操る便利さに目覚めたセイブルは、ぜひこれからもこの能力を使いたいと頼み込み、セラスの猛特訓を受けてマスターしたのだ。
竜のセイブルの背には、フェリシィとフルーフが。
「ザカートさん、もういらしてたんですね――僕たちが最後……あ、いえ。セラスさんがまだですか」
「まあ。セラス様……お誘いすれば良かったですわ」
魔界暮らしのセラスは、どこからどうやってマルハマに来ているのか謎だ。手紙のやり取りはしているから、フェリシィが誘って、竜に乗って一緒にマルハマへ向かうこともできただろうが……。
――すまぬ。遅れてしもうた……!
突如声が響き渡り、黒い火の玉がボッと燃え上がって、パチンと弾けたと思うとセラスが姿を現した。
……ぐったりとしたミカを連れて。
「ほれ、しっかりせぬか!おぬしがちんたらしておるせいで、遅れてしまったのじゃぞ!」
「い、いや……僕、限界まで働いたよ?ちょっと労わってよぉ……」
ミカは何やらべそべそとしているが、セラスは構わず、働け、と彼を叱咤した。
「みな、驚くがよい!わらわを崇め、褒め称えよ――!」
「えーっ……ネメシスの持ってた本を解読して、術を開発したの僕なのに……」
「雑談は禁止じゃ!喋る力があるのならば集中しろ!」
セラスとミカが手を掲げると、地面に光が走る。光は、螺旋のようにくるくると動き……巨大な魔法陣が地面に描かれた。
「これは……?」
「召喚術じゃ。ネメシスごとき小童に使えたものが、わらわにできぬはずがなかろう」
ふふん、と胸を張り、得意そうにセラスが笑う。
さらりと彼女は言ってのけたが、セラスとミカ以外の全員が驚愕し、どよめいた。
「召喚……」
「そう。これは、ネメシスも使った召喚術――あの小娘を、今度はわらわたちが召喚するぞ!」




