沈む太陽を眺めながら
舟で町を一周して、それなりに酒も飲んで楽しんだジャナフと一緒にリラは城へ戻ってきた。
お帰りなさい、とフルーフが出迎えた。
「舟に乗ってきた。ぼーっと見てる分には、町も綺麗だったぜ」
「そうでしょうね。観光としてはうってつけの光景なので、ターブルロンドではちょっとした商売になってますよ」
「たくましい連中だな」
リラが感心したように言えば、フルーフもくすくす笑う。
「カーラは?」
「カーラさんなら――ジャナフさんはきっと舟に乗ってターブルロンドの町を楽しんでいるだろうから、カーラさんもとっておきの場所で町を眺めてきてください、と僕がおすすめしまして。せっかくですから、ライラさんも行ってみますか?」
「ワシは仲間外れか」
ジャナフがわざとらしく拗ねたように言えば、まあまあ、とフルーフが仲裁に入った。
「ジャナフさんには、今年できたばかりのワインを飲んでいただこうかと思って。ジャナフさんから感想をもらうつもりで用意させていたのに、町に出たと聞いて焦っていたんですよ」
「グリモワール産のワインか。たしかにそれは、試飲せねばならんな」
目を輝かせるジャナフに呆れつつも、今回は放っておくことにした。
今日ぐらいは好きに飲ませてやるか、というのもあるし、いまはカーラが先だ。
……カーラとも、一緒に過ごしたい。物心ついた時からいつも一緒だった弟。これが、最後の機会になってしまうかもしれないのだから。
フルーフがカーラに勧めた場所は、城の中にあった。
町の高台にあるグリモワール王城。そんな城の最上階――塔になっている場所。その屋根の上にカーラはいた。
自分のお転婆もなかなかのものだが、カーラのアクティブさも、引けを取らないと思う。屋根に登るあたり、やっぱり似た者姉弟だ。
「姉者」
リラがよじ登って来るのを見つけ、カーラが近付いてきて手を差し出す。
カーラの手を取って屋根に登り、二人で並んで座る。
そこからは、水に沈みかけた町を一望できて……舟から見るのとは、また異なった美しさがあった。
特に日が沈み始めているから、オレンジ色に染まった空と、空の色を映してオレンジ色に染め上がった海が、その美しさに拍車をかけている。
「綺麗だな……」
「ああ」
遠くに見える水平線に、夕陽が沈んでいく。夕陽に照らされる、海からちょっと顔を出した建物の陰りがなんとも言えず幻想的で。
「フルーフから教えてもらったのだ――新たな魔物と、新たな誓約を結んだいま、町の水位は徐々に従来のものへと戻っていき、この光景も見えなくなるだろうと。いましか見れないものだから、見てくるといいと」
「そっか――そっか。あの魔物が、新しくグリモワールの守り神になってくれるから、町の問題もこれで解決するんだな。よかった」
すっかり忘れていたが、グリモワールの国都ターブルロンドは、レプティルという魔物のおかげで人間が住める土地になっていたのだ。それをライラたちが退治してしまったから、町は水に沈みかけていた――新しい魔物が水の流れを治めてくれるのなら、グリモワールを悩ます問題も解決するのか。
「まだ前の者ほどの力がないから、すぐに解決とはならないだろうと、フルーフも話していた。だが、フルーフたちの研究もあれば遠くない内に解決するに違いない」
「良かった。大丈夫だとは思ってたけど、解決が見えて……」
自分はそれを見届けられないけれど。どうなったのかも分からないままになるよりは、ずっといい。
心の中でそう思っていたら、カーラにじっと見つめられてしまった。
カーラの視線の意味が理解できるだけに、リラもちょっと気まずい。
「……姉者との別れも辛いが、忘れられるのもきついな」
「オレも忘れたくないよ、みんなのこと。みんなと過ごした日のことも」
日本で暮らしていた頃も、別に忘れていたわけではない。でも、あくまで不思議な夢の話だと思っていた。カーラたちからすれば、忘れられていたも同然だ。
リラにとっても忘れたくない大事な思い出。みんなが自分を忘れていたらショックだし。
「空を見たら、みんなのことを思い出すようにする。こっちの世界と、オレが住んでた元の世界――どう繋がってるのかよく分かんないけど、空は一緒だろ。きっと」
「そうだといいな」
同意するカーラの顔は、夕陽に照らされていてよく見えない。かすかに笑っているようにも見えるし、泣き出してしまいそうなのを堪えているようにも見えた。
「結局、姉者に勝つことはできなかったな、オレは。いつかは姉者も追い越して、頼られる男になりたかったんだが」
リラの視線から耐えきれなかったのか、目を逸らしながらカーラが言った。
「十分頼もしくなったよ。昔から、オレも親父もおまえには結構頼ってたぞ。おまえに自覚がなかっただけで」
「そうだろうか。そうだといいのだが……」
「そうだったって。おまえ、もうちょっと自分に自信持てよ。おまえのことを一番侮ってるのって、他ならぬおまえ自身だと思うぞ」
「姉者や親父殿が身近にいると、自信をなくす……というか、意欲をなくす」
「なんだそりゃ」
リラは唇を尖らせ、カーラは笑った。短い笑い声のあと、またじっとリラを見つめてくる。
「もう少し、成長した姿を見せたかった」
「かっこよくなったし、男らしく育ったと思うのになぁ。カーラ、おまえ、理想が高すぎるんじゃないか?」
それはあるかもな、とカーラが言った。
「うーん……まあ、親父みたいな手本がそばにいれば無理もないか。親父を超えるのは至難の業だぜ」
「分かっている。気が遠くなるほど長い道のりだが、これからも努力しよう」
「見習うのはいいけど、ダメなところはビシッと言ってやれよ」
ああ、とカーラが頷く。
調子に乗らせると、王様としての仕事も全部カーラに押し付けてきそうだ。あの男は。
「あと、自分のことも大事にしてやれ。おまえ、冷淡そうに見えて面倒見の良い奴だから、自分のこと二の次にしがちだろ」
「それは……姉者には言われたくないような。姉者こそ、自分の身も大事にしてくれ。父上殿、母上殿に会えなくなるような真似はやめるんだぞ」
的確過ぎるカーラの反論に、リラも言葉に詰まった。
たしかに……ライラだった時は、無茶をし過ぎて大切な人を悲しませてしまった。あの時の選択に後悔はないけれど……また同じことが起きた時、迷うことなく自分は同じ選択をするだろうけれど……あんまりよろしくないことなのは事実だ。
両親のためにも元の世界に戻ることを決めたのに、ライラと同じ結末になってしまうのはまずい。
「……今度こそ、オレが守る。ザカートは、すでに色々なものを背負っていたからな。姉者のことまで守らせるのは、あまりにも重荷だ……オレが守り抜くべきだった。えらそうなことを言ってきたのに、オレは肝心なところをいつもザカート任せで、あいつの重荷を増やすばかりだ。二度と、同じ過ちは繰り返さない」
そう言って、カーラは手を伸ばし、リラの手をぎゅっと握る。
リラは何も言わず、じっとカーラを見つめ返した後、そっと彼に寄り掛かった。
同じ結末を繰り返さない。
それは、リラも同じ気持ちだ。
こうして生まれ変わってもライラとしての記憶を失うことなく、かつての仲間たちと再会できたのだから、前世の心残りにしっかり決着をつけたい。同じことを繰り返して、後悔を増やすことだけはごめんだ。
「絶対に勝とう。全員生きて……今度こそ、みんな笑って……自分たちの英雄の詩を聞くんだ」
実物よりもずっと美化されて語り継がれる物語。
それを、面白おかしく笑い合っていけるように。




