覚悟を決めて
「ステータスに関しては僕の推測の部分が多いけど、ライラちゃんが魔族としての力を取り戻した件についてははっきり分かったよ――ほら、異世界で暮らしてた頃には魔族としての力は使えなかったって話してくれたでしょう?」
そう言えばそんな疑問もあったな、とリラは他人事のように頷いてしまった。
「それで、オラクルで食べたリンゴが原因じゃないかって言ってたけど……そのリンゴって、こんな感じのやつ?」
ミカがリンゴを一つ取り出す。
どこにでもあるような真っ赤なリンゴ……ちょっと黒っぽくて、心なしか禍々しいオーラが見える。
「たぶん、それかな」
「魔界のリンゴではないか」
リラが頷くと、セラスが口を挟む。
魔界のリンゴ。やっぱり、普通のリンゴじゃなかったのか……。
「魔界のリンゴは人間の世界のリンゴと大きく異なってる部分があってね。濃度の高い魔力がたっぷり入ってるんだ。普通の人間がこれを食べると、一時的に魔力が強化される。強力な魔術が使えたり、身体能力が強化されたり……一時的な効果なんだけど、たぶんライラちゃんは、魔界のリンゴを食べたことをきっかけに魔族としての力が目覚めちゃったんだよ」
「オレのいまの力は、そのリンゴで強化されてるってことか?」
いまいち説明が理解しきれない。リラの問いかけに、ミカは首を振った。
「違うよ。ライラちゃんのもともとの能力が目覚めただけ。ライラちゃんが住んでる異世界は、こっちの世界に比べて魔力が少ないんだと思う。だからライラちゃんの身体は、負担を減らすためにその力を抑えるようにしていた――ライラちゃん自身も気付かないうちに」
ミカの説明によると、向こうの世界では、こちらの世界ほどの回復力は見込めないらしい。だから必要以上の力は出さないように、リラの本能が抑え込んでいた。
魔力たっぷりのリンゴを食べて、昔の感覚が戻ってきたものだから……力を抑え込むこともすっかりなくなり、前世並の力が戻ったような気になっていたというわけか。
「うーん……じゃあ、このまま元の世界に戻った場合、オレ、いまの力のまんまなのかな」
「どうかなぁ。それこそ戻ってみないと何とも。でも、魔力が少なくて回復に難が出るのなら、また力を抑えるようになるかもね」
「そっか……」
元の世界でいまの力が使えても面倒なことになるだけだし、日常生活に問題ない程度の能力でいいのは確かだ。
ずっとぐちぐち考えてたリラが言うのもなんだが……大した情報ではなかった……。
「いや。少しばかり、状況が変わったかもしれぬ」
ミカの説明を黙って聞いていたジャナフが、考え込んでいるような表情のまま口を挟む。全員の視線が、ジャナフに集中した。
「魔王ネメシスは、魔族が近付くことに過敏になっている――国都は、特に警戒が厳しい。ということは、ワシらも潜入したが最後、引き返すことはできぬということだ。魔王はすぐに動向を察知する。危険を感じ、勇者ヤマトの始末に動くかもしれぬ。町に足を踏み入れたら、ワシらも迅速に行動せねばならぬ」
「……つまり。次にオラクルに赴くのならば、決戦を覚悟しておかなければならないということか。魔王ネメシスを倒す――それ以外に、もう選択肢はないと」
ジャナフの言葉に、ザカートも考え込みながら言った。
「ならば……このグリモワールで、なるべく未練は残らぬように過ごしたほうがいいな。もしかしたら、これが最後かもしれぬ……」
カーラが呟く。
これが最後――それが何を指しているのか、リラも察した。
オラクルに行って、ついに魔王ネメシスと戦う。負けるとは思っていない。きっと、他のみんなも。
勝って、オラクル王国に平和を取り戻し……もしかしたら、リラはそのまま……。
そろそろフルーフの仕事も一通り片付いたと聞き、リラたちは彼の執務室に行って、ミカから聞いた情報を簡潔に説明した。
説明を聞いたフルーフは、なるほど、と頷いていた。
「そういうことでしたら、いまからすぐオラクルに出発……はせずに、少しだけ、みなさんで残された時間を楽しみましょうか。うちは大歓迎ですよ。ライラさん、最後にもう一度だけ、紙芝居を披露してあげてくれませんか。子どもたちがとても楽しみにしていたので」
「もちろんいいぜ。ザカートの物語を、ライラに聞かせてやるって約束したもんな。それを描き上げて、読み聞かせてやるまでは出発も先延ばしだな――ごめんな、セイブル。おまえはすぐにでも国に向かいたいだろうに」
竜のセイブルに振り返り、リラが言った。
お気になさらず、とセイブルが答える。
「これが最後――なら、私も覚悟を決める時間ができて、有難いぐらいです。逸る気持ちはありますが、焦りは禁物……。絶対に皆を救うためにも、私も気持ちを落ち着かせなければ」
オラクル王国の人々は、仮死状態になっているだけかもしれない。手当てをして、蘇生を試みる――そのための薬を用意する時間も必要だから、やはりすぐに出発とは行かない。
それを待つことも口実のひとつとし、リラたちは少しだけグリモワールで寛ぐことになった。
勇者ザカートの物語を描く。
と言っても、すべてを詳細に描いていたらとんでもない大長編になってしまうし、公にできない事実もいくつかある。多少の脚色をして……話も端折って。
いままでの紙芝居と違い、自分で話を作らなくてはいけないから大変だ。ざーっとあらすじを書いた後、誰かに評価をもらいに行くことにした。
最初に見つけたのはセラスだった。
執務室にいるフルーフが一番手っ取り早くて確実に見つかるかと思ったのだが、向かう途中でセラスを見つけた。
開けっ放しになった応接間で、ミカと二人でお喋りをしていた。
「……オラクルにも一緒に来るじゃと?おぬし、今回はやけに積極的ではないか」
セラスの声だ。
声を掛けるかどうか悩んでいたリラは、結局開けっ放しになった扉の影に隠れて、二人の話を聞くことにした。
盗み聞きするつもりはないのだが……どうにも声がかけづらくて。なんでそう感じるのかは、リラにも分からない。
「うん。僕もちょっと、思うところがあってさ。魔王クルクスの時……僕も一緒について行けばよかったって。後悔してたんだ」
ミカが明るい口調で言う。でも、真剣な様子だった。
「クルクスの戦いで、セラスはライラちゃんを救えなくて、すごくショックを受けてた。傷ついて……しばらく塞ぎこんでた。あの時、僕がついて行ってれば、少しぐらいは何か助けになったんじゃないかなって思ったんだ――ほら、元だけど、一応勇者だし」
魔王クルクスとの戦いに、もちろんミカは参加していない。
セラスを見送って、魔界で彼女の帰りを待っていた。別にそのことで、ミカを責めたりするはずもないけれど。
彼なりに、責任を感じていたらしい。
「おぬしが責任を感じる必要はない。わらわが未熟だったのじゃ。己の力を過信し……何でもできると、そう思うておった」
セラスが呟く。
「魔術も万能ではなかったことを、すっかり忘れておったわ。父がそのことで思い悩み、悲しんでいた姿も見てきたはずであったのに……」
「そうだね……僕も、すっかり忘れていた。誰かのため……世の中の役に立つために、知識を身に着け、研究に従事してたはずなのに。目的を見失って、自分の知的好奇心を満たすことしか考えなくなってた。僕にも、何かできるだけの力はあったのに」
これ以上は、本当によくないな。
そう思い、リラはそっとその場を離れる。
いまは二人でいたいだろう。自分が声をかけるのは、野暮というもの。
またあとで……機会があったら、セラスにも物語を見てもらうことにしよう。




