回顧録・静かな夜に
聖獣ハミューを追いかけ回しながら日々を過ごし、城へ突入するための兵器の完成を待っていたある夜。
夜更けにも関わらず、ライラの部屋の扉を忙しなくノックする者がいた。
「はいはい、いま出るって――あれ、王太后様」
てっきり、フェリシィとセラスが訪ねてきたと思っていたライラは、グリモワール王太后の姿に目を丸くする。
何か用か、とライラが問いかけるが、王太后はライラの言葉を聞いているのかいないのか、部屋を覗き込み、フルーフを見ていませんか、とたたみ掛けてきた。
「フルーフ?いや、来てないぜ。今日は……そうだな。言われてみれば、朝食の時にも食堂に姿を現さなかったし、オレ、会えてないや」
「……そうですか。そうですよね……こんな時間に、女性の部屋を訪ねるわけがない……」
王太后の言葉は、ほとんど独り言のようなものだった。どうかしたのか、とライラがもう一度尋ねてみても、彼女は何かに気を取られ、ライラの質問には答えなかった。
「フルーフに何かあったのか?」
フェリシィを連れ、セラスがやって来て声をかける。やっぱり、今夜も二人はライラの部屋を訪ねてきたか。二人はよく、夜になるとライラの部屋にやって来て、お泊り会なるものをやっていた。
自分の客室もあるのに、お泊り会ってなんだそれ、というライラのつっこみは却下されている。
「いえ――あの子がまだ部屋に戻ってきていないと、女官たちが話しておりまして……」
「研究室とかじゃねーの?」
夜もどっぷり更けてはいるが、旅をしていたらこれぐらいの時間からキャンプの用意を始めることもあったし、不審がるほど遅い時間でもない。しかもここは、フルーフが生まれ育った城の中なのだし……。
「何か気になることがあったのじゃな。フルーフの言動に……引っかかるものがあった」
セラスが言い、王太后は黙り込む。
普段はクールな態度を崩さない彼女だが、いまは動揺がはっきり表れている。それぐらいフルーフのことが心配で……それぐらい心配してしまう何かが、フルーフにあったのだろうか。
「……例えば、フルーフから、突然感謝の言葉を述べられた。愛していると、愛情を伝えられた」
なんだそれ、とライラは思ったが、王太后の態度から、セラスの言葉がずばり図星を突いていたことを察した。
「わらわも昔、同じことを言われたのじゃ――父から。ある日、父はそのような言葉をわらわに伝え……ミカに討たれた。いまにして思えば、父は察していたのではないかと思うのじゃ。己の死期を」
「そうか……なんか聞いたことあるシチュエーションだなと思ったら、でかい戦の前に、そういうことする奴が多かったんだ」
ライラが父に連れられ、傭兵団で生活していた頃の話だ。
大きな戦があると、仲間の中には、戦に赴く前に家族や親しい人たちに感謝の言葉と愛情を伝える者もいた。万一の時のことを考え、心残りなどないように……。
「それはつまり……ご自分の死を悟って、いわゆる遺言を……?」
「そうなるな」
フェリシィが青ざめているが、ライラもまた、血の気が引く思いだった。
死を覚悟した者の行動――問題は、フルーフも同じ行動を取ったということ。
「実は……前から、あやつの言動にわらわも疑問を感じておったのじゃ。あの兵器の開発途中、あやつは何度もわらわを呼び、その機能や動かし方を詳細に説明してきてのう。魔力で動かすから、わらわの力を借りねばならぬともっともらしいことを言っておったが……あやつ、自分はクルクスのもとへ行くつもりがないのでは、と。少々疑っておった」
セラスの話を聞くと、王太后が何を心配しているのかも理解できて、ライラは眉をひそめた。
「オレも、フルーフのことが心配になってきた。オレたちも、一緒にフルーフを探そうぜ。ザカートたちにも声をかけて――」
王太后の姿はすでになく、ライラは言葉を切った。話をしている間に、彼女はもうどこかへ行ってしまっていた。
王太后のことも気になるが、いまはフルーフが優先だ――ライラたちは、ザカートたち男性陣にも声を掛けに行った。
ザカート、カーラ、ジャナフにも声をかけ、フルーフの兄リュミエールにも会えたので、彼にも事情を話して、一緒に城の中を探し始めたが……やはり、フルーフは見つからない。
「おまえでもフルーフを追えぬのか」
ジャナフが、カーラを見て問いかける。ああ、とカーラは頷いた。
フルーフの身体には、有事に備え、カーラが呪印を施してある。ライラやジャナフに施してあるものほどの精度はないが、この城の中ぐらいの距離ならば、気配が追えるはずだ――本来なら。
「フルーフが呪印を消してしまったか、オレの力を遮断するような特別な場所にいるのか……どちらにしろ、転移術は機能しないものと思ってくれ」
「いったいどこにいるんだ……。城が広いと言っても、これだけ探して見つからないだなんて」
リュミエールも、弟を心配している。
ライラたちは、引き続きフルーフを探すことにした。今度は手分けして。
王太后の姿も、ライラの部屋の前で会ったきり……彼女のほうが、フルーフの行き先に心当たりがありそうなのに。
フルーフが行きそうな場所――ライラは、ふとあることを思いついた。
それは本当に、根拠があるわけではなく、ふとした思い付きだった。なんとなく……突然思いついたことで。
ライラはフルーフの研究室に向かった。研究室の一角に、彼らはいた。
「お、いたいた。ほら、こっち来い……」
聖獣ハミューが入ったゲージを見つけ、呼びかけてみる。夜でも元気いっぱいに回し車をカラカラやっている聖獣の内の一匹が、ライラのほうへちょろちょろと近寄ってきた。ゲージの隙間に鼻をつっこみ、スンスンと嗅ぎ回っている。
「ハミュ子。フルーフのところ……この間、おまえたちが脱走した場所に案内してくれ。おまえならできるよな」
ライラの言葉を理解しているのか、いないのか……正直、このぼーっとした雰囲気を見ていると、何も考えていないに違いないと言いたくなるのだが、いまはこのグリモワールの聖獣を信じるしかない。
先日の脱走――逃げ出したハミューは、何かに怯えたようにライラのもとへ戻ってきた。
あの時は、自分たちも迷子になってしまったり、その後フルーフに出くわしたりで、それ以上のことを考えなかったけれど。
いまにして思えば、あそこには、何かあったのではないのか……フルーフに出くわしたのも偶然ではなく、何かの理由があって彼もあの場にいたのでは……。
「おっ。そうそう、いい感じだぞ!」
ちょろちょろと走り始めた聖獣ハミューは、ライラが期待した方向へと駆け出していく。
細かい道のりは覚えていないが、だいたいこっちのほうだった、ということはライラも記憶している。
このあたりは人もほとんどいないので、ハミューにとっては脱走しやすいし、フルーフがこっちへ来ていても目撃する人もいないし、誰も気づかないだろう。
快調に走っていたハミュ子がぴたっと止まり、ちょろちょろと引き返してくる。
それをしっかり捕まえ、ここか、とライラは立ち止まり、周囲を見回した。
長い廊下はしーんとしていて、いくつも扉はあるのに、人の気配はない。
……人の気配はないが、かすかに……魔物の気配がする。
「なんで……」
どうしてグリモワールの城の中から魔物の気配が、と思うと同時に、なぜ前回は気付かなかったんだ、と考えた。
前回は……アスールが一緒だったからか。魔獣ブルーパンサーがすぐそばにいたから、かすかな魔物の気配に気付けなかった。
何かあるとは思っていたが、ますます嫌な予感しかしなくて、ライラはかすかな気配を追って慎重に進んだ。
少し廊下を歩いて……扉の前で、足を止める。間違いなく、気配はここから。
扉を開けると、そこは部屋ではなく、地下へと続く長い階段だった。地下への階段は薄暗く、人が歩けるようになっているものの、天然の洞穴のような場所で。
階段を降りるたび、魔物の気配が増していく。
そして、王太后の声が聞こえてきた。
「フルーフ!これを解除しなさい――フルーフ!」
王太后だけでなく、フルーフもここにいる。
慎重に歩みを進めていたライラは、一気に駆け出した。
「フルーフ!」
ライラも叫んだ。
階段の先は、薄暗い水辺――地底湖だ。地下の広さは地上に建つ城と同じぐらいではないだろうか。
湖のほとりに、フルーフは立っていた。
その手前で、王太后が張り付いている。
奇妙な言い方だが、まさにその状態であった。透明な壁に阻まれたかのように、王太后はフルーフは近付けずにいて。
結界だ、とライラはすぐに察した。
「ライラさん……あなたまで来てしまうだなんて」
ライラを見て、フルーフが困ったように笑う。
セラスや王太后の心配は当たった。ライラはそう思った。
何がどうなっているのかは分からないが、フルーフは良くないことを考えている。絶対に。
ライラは自分たちを阻む透明の壁を叩き、なおもフルーフに呼びかけた。
「色々と聞きたいことはあるが、まずはこっちに戻ってこい!この結界を解け!」
「すみません。あなたの頼みでも、それはちょっと。結界を解いてしまうと、お二人にも危険があるかもしれませんし」
何言ってるんだ、と怒鳴ろうとして、ライラは黙った。
……何か、聞こえた。
「……贄ヲ……捧ゲヨ……誓約ヲ……果タセ……」
人間の声じゃない。それだけは分かった。
薄暗い地底湖から、ノイズのように声が聞こえる。水面がぶくぶくと泡立ち、水の中から地響きのようなものも聞こえてくる――ザバッと水が割れ、中から大きな蛇が姿を現した。
いったい何十……何百メートルあるのか分からない。何せ、顔しか出ていなくて、長い胴体は水の中。顔だけでも、規格外の大きさであることだけは分かった。
フルーフは驚く様子もなく、大蛇と向き合っている。
「誓約は果たします――僕の番ですね」
「何を言っているの!待ちなさい――その誓約は無効です!」
王太后は青ざめて叫んでいる。誓約とか、訳の分からないことを色々言っている……が、自分がやるべきことはひとつ。
疑問はすべて頭の片隅に追いやり、ライラは動いた。
自分とフルーフを隔てる壁を、思いきり蹴りつける――空中に、ヒビが入った。
いける。この結界……自分なら破れる程度のものだ。
「王太后様、下がってろ!」
「だめです、ライラさん。その結界、あなたなら破れるかもしれませんが――」
フルーフがライラを止めようと振り返ったが、大蛇が大きな口を開いて迫るのを見て、構わずもう一度蹴りをお見舞いする。
割れた透明な壁は、ガラス窓のように破片を飛び散らし、ライラは隙間に無理やり突っ込んだ。
とにかくフルーフに向かって飛び掛かり……かばう間もなく、フルーフと共に大蛇に飲み込まれてしまった。




