物語るとき
ここから始めよう。
某月某日
物語るときが来たようだ。
この頑強で鈍い石頭に、私は確かに”何か”を受けとり、ここに筆を執ろうと思い立った。
何故だかわからないが、
今、この時おのれが何を考え、
そこからどんな行動を導き出したかを、
百円均一の雑貨屋で購入したこの手帳に記さなければ! そう、狂気に近い使命感を感じたからだ。
実に、頭のおかしな話である。もう、気が狂いそうだ!
いや、違うな。
これまでの常識が……常識だと信じ続けてきた何物かが、
刷り込まれてきた固有な現実の、
意識させられてきた小規模な社会の、
しがらみに縛られ続けていたのだ。
私は、決しておかしくなったのではない。これだけは言っておきたかった……。
私は、親や教師から教わったそれらを、
同輩から聞いた大多数の人が同意するというそれらを、
優秀な成績を認められている人と比較されて突きつけられるそれらを、
多くの人たちに肯定されて微笑みの絶えない人と自身を比較して突きつけられるそれらを、
ただ信じてきた。
それらを実践していて多くの友や異性に囲まれ、対等に話し合えて沢山の思い出を残しつつ、優秀な成績を築き上げる人と私は何が違うのか。
数少ないが、わかることはある。
私には腕っ節の強さや足の速さなどの体力も、成績を収める向上心もなく、
他者に与えることができるものもなく、
私には価値がなかった。
もしも、自分の力がちっぽけなものならば、
自分の価値が無に等しいならば、
多少乱暴に扱ったところで、この私を止めようとする者がいるだろうか?
いや、いないだろう……これは反語だ。
その考えに辿り着いたとき、
これまで、おのれの才能や経験の欠如、肉体の貧弱さ、学の貧しさ、
その他あらゆる要因を突き付けて自分を拒み続けていると思われていた道に挑んでみたくなったのだ。
つまり、私がこの頁で言いたいことはただひとつ。
世間が私を照らさなくなったとき、私は本当の自由になれたのだ。
周囲からの期待は消え失せ、それと共にしがみついていた安定した環境も、
傷つけられることでしかその存在を思い出せない自尊心も、
真新しい者を見るたびに絶えず湧き出ていた欲望も心からこぼれ落ちていき、
ただ一言だけが、わたしの脳裏に居座り続けた。
爆乳を掴む。
ただし、続けるとは、言ってない。