堕ちる日・4
それは一瞬であった。
それは永遠であった。
自分を見つめる輝く虹彩の瞳が視界に焼き付く中、優人は奈落を落下していった。
男は言っていた、これから自分は男の言う島とやらに飛ばされるのだろう。
果たしてその島というものがどういった環境なのかは分からないが、到底楽観視出来るものではないだろうと結論づけた。
黒の世界は永遠に感じる闇を内包しており、このまま自分はこの中に溶けて消えゆくのではと錯覚させられたが、終わりは唐突にやってきた。
襲うのは強烈な光、黒の世界に慣れていた両眼は眩い光の熱烈な歓迎に悲鳴をあげた。
「・・・ッ!!!がぁあああああ!!!」
やっと黒の世界から開放された優人であったが、僅か数秒後には、今までの人生でこんなに叫び声を上げたことがないと言う程絶叫してのたうち回る羽目になった。
ーーー
どれ程の時間そうしていたか定かではないが、視力の戻った目に写ったのは鮮やかな緑、帰宅途中の電車の床でもなく、神の一柱と語らいだ白の世界でもなく、死の恐怖を感じた男といた黒の世界でもなく、ただただ自然溢れる緑豊かな大地であった。
「・・・ここが、アイツの言っていた島、なのか・・・?」
スーツに付いた草を手で払い、優人はあたりをぐるりと見渡した。
自分が住んでいた都会では久しく嗅いだことのない濃厚な草木の匂い、自分の立っている所から360度どの角度からも、人工物は確認出来ない。
電車から2度の不可思議空間を経由して、漸く自分が生きていると一息つける空間へと足を踏みしめることとなった。
「・・・っと、そうだ、ステータス!!!」
男神との会話を瞬時に思い出し、優人は自身のステータス画面を起動した。
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久瀬 優人
Lv.1
種族:人間
ジョブ:勇者(仮)
固有スキル:魔改造
スキル:異世界言語理解・極
鑑定・極
身体強化・Lv5
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「よし、取り敢えずステータスは白の世界で見た通りだな・・・問題はどうやってスキルを発動するか・・・身体強化って、これアクティブなのか?パッシブじゃなきゃ色々詰んでるぞ・・・ん?」
そんな考察をしていた最中、優人は自身の右手の甲に見知らぬ痣があることに気づいた。炎にも見えるその痣は、一連の驚くべき出来事の中でも優人が知るものではなかった。
「・・・何だこれ?爺さんの所ではこんなのなかったし、まさかあの虹彩野郎が何かしたのか?」
白の空間を旅立つ前には存在しなかったその痣を見、優人は有り得ない恐怖を植え付けた男を思い出し、アイツならばやりかねないという結論に至った。
「これでアイツに監視されてるとか?・・・有り得るからタチが悪いな。かといって消せるものでもなさそうだし・・・」
しばし考えを巡らすも、解決策が出ない現状、他に優先すべきことがあると思考を切り替えた。
(アイツが言っていたことに従うのは癪だが、現状目的がないならその誘いに乗るしかねぇ・・・目指す先は)
虹に覆われた屋敷、男が言っていた目的地を探す為、優人は異世界の最初の一歩を踏み出した。
ーーーーーー
「・・・しかし、慎重に進んでるとはいえ、心配したほど何も起きないな」
手元の腕時計を確認してみると、先程の開けた場所から移動して10分程度、異世界よろしくモンスターとエンカウントすることもなく、屋敷を探して森をさ迷っていた。
道中も日本の山間部を思わせる作りとなっていることから、先程までの出来事は全て夢で、自分は仕事帰りに酔ってこんな辺鄙な山奥に来てしまったのではないかと現実逃避をしながら足を進めていた。
無論、人生で一度も体に墨を入れたことのないはずの右手に存在する痣については、酔った勢いでぶつけた拍子に出来たものだといったようなバックストーリーまで考えつつある。
「なんとか夜になる前にアイツの言っていた屋敷を見つけたいもんだが・・・これは厳しいかね?」
額から流れる汗を拭いながら、優人は辺りを見渡した。
木の拓けたそこは相変わらず回りは緑に溢れ、人工物のようなものは見当たらなかった。
(そもそも虹ってなんだよ、屋敷が虹色なのか?悪趣味にも程が・・・ッ!!!)
刹那、背後からの強烈な殺気を受け振り返る。
草木を分ける音と共に現れたそれを見た瞬間、身体全体が粟立ったのを感じた。
1つ1つが殺すために生えているだろう鋭利な歯、闇の中でもはっきりとその存在を知らしめるたろう純白の毛並、体高5mはあるであろうそれは、書物等で度々目にする、神殺しの神狼そのものであった。
「・・・うそ、だろ?」
それは咄嗟の行動だった。目の前の存在が現実であると脳が受け付けず、男神からもらったスキルが自然と口から溢れたのだ。
「か、鑑定・・・」
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エンシェント·フェンリル
Lv.1856
種族:神狼
固有スキル:氷雪化
韋駄天
スキル:氷雪魔法・極
魔法耐性・極
物理耐性
熱耐性
状態異常耐性
威圧
自己再生
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「ッ!!!?」
(有り得ない!!?異世界転移したとして、初手で会うやつなんてスライムかゴブリンが相場だろう!!!なんだよコイツ!!!ラスボスって言われても納得するぞ!!!)
目の前に現れたのは文字通り化け物だった。ステータスの値がないこの世界でどれだけ実力差があるかは分からないが、少なくともレベル1と1856では話にならないのは当然だろう。
頭が爆発しそうな状況の中、目を離したら終わると思った優人は件のフェンリルを睨み付けるが、そこで改めて気づいたことがある。
純白と思われた体毛が、よくよく見れば所々赤黒く染まっており、呼吸も荒く身体が震えていたのだ。
(手負い?こんなレベルの化け物が・・・?)
しかし、これはチャンスだと思った。
レベル差は覆しようもないが、相手が手負いならば逃げ切れる可能性もある。そう思った優人はフェンリルを視界から外さず、回りを伺った。
自分から見て左手、撒くには手頃な木の群生だと当たりをつける。
(チャンスは一度、何とかヤツから逃げき・・・え?)
左手の森林に目を向け、フェンリルから視線を外したのは一瞬だった。しかし、その一瞬で先程までとの異変に気づいた。
(傷が塞がって・・・ッ自己再生!!!しまッ!!!)
自己再生のスキルは認知していた。しかし、こんな僅かな合間にこれ程の回復をするとは想定外だった。
優人は慌てて逃走経路に選んだ左手へ身体を傾けた瞬間、
ガリュッ
右手側から聞こえる聞き慣れない音と風圧、それを認識した瞬間、優人は目的地とした木々の中に弾丸のように吹き飛ばされた。
地面を数回バウンドした後、優人は太い樹に身体を打ち付ける。内蔵を傷めたのか、衝撃で口からは鮮やかな血を噴き出した。
「ッ!!!ガハッガハッ・・・いったいな・・に・・・」
樹に横たわった身体を起こそうとし気づいた。
地面に右手が着かない・・・否、右手の感覚がない。
「あ・・・あぁ・・・あああああああああああああ!!!」
漸く訪れた痛み、視界に映る鮮やかな鮮血。
先程までそこにあった右腕は肘から下を失い、視界の先、純白の死神が優人のものであったそれを咀嚼していた。