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それは、起こった当時の人々に生々しく記憶されるに至る凄まじく血生臭いものだった。後に、王宮血の惨劇と呼ばれたその事件は、王宮全ての内装を変えてしまわなければならないほどの異例の事態となる。錯乱剤など使った第5王子のせいである。
俺がそのときどうしていたかと言えば、妻子を守る為に異母兄弟姉妹を殺害していたのだろうと思われる。何故曖昧なのかというと、俺が実行したのは皆間接的な行動だったからだ。どこどこに毒を届ける、盛る、情報を漏らす、そのような行動を指示されながら実際の結果を俺は知らない。さらに言うと、毒味が死んで変わりに食った料理に大当たりして、気付けば全てが片付いていた。
月日は、流れて、俺は、今、藍の瞳をした姫君に仕えている。自分の娘だ。しかし、名乗るつもりは無い。妻は、俺を、見下げるように見る。苦々しく、その孕んだお腹を撫でる。
彼女は、村を滅し国さえ亡くし、自由と農民の誇りを奪った俺を恨んでいる。それでも、俺は、彼女らを愛していた。孕んだ子は、王子の子で、彼女が求めたのか彼が求めたのかは分からない。
藍色の空、段々その色が薄らいで行く。
王は年老いたが、狂気は益々冴えていく。
王子は、飽くことなく、偶に俺を抱きにこの場所へ来た。後宮奥深い、今思えば、王の母への異常なほどの執着の一部である厳密に囲われた一室。スパイ時は、自分が帰る借り宿でもあったそこ。
あの日、母と共に行くと頷いた俺の寝室。暗く落ち込んだ時偶にこの場に忍び込んだ俺は、待ち伏せしていた王子に抱かれ微睡んでいた。忍ぶと言っても、この部屋は、いや母の居住区は、彼女が逃げたあとも母のものであり、俺のものとされていたようで、まあ、今でも俺の部屋である。
「王の魔の手からずっと守り続けてきた。お前…テツの母は魔性だな。もう既にあれは狂っている」
どうする?問われた。
俺は、どうしたら良い。自分の孫を、王は、妃にしようとしている。
魔法に高々数年の付き合いしかない国には、永久に瞳の色を誤魔化す手段はない。
瞼裏に浮かぶ、娘の笑みが、不意に、車椅子で王を見ている自分の母に重なった。
王は、暗殺された。後継者は、16王子。民は弑逆王子と彼を呼ぶ。そう生き残った不自然な末王子。違う、俺は、知っている。あの日止めに動いた俺の前に立っていたのは、藍の目の母だった。
「最後までめんどうな人」
母は、静かに静かに涙を流した。王の死に顔は、首に指痕を残しながらも微笑を浮かべている。欲しいものが手に入ったような、満足げな顔。
どうして、魔法は禁忌なんだろうね。魔法を使えば、わたしは、あの人と同じように立つ事が出来るのに。
「母上、貴方は、王を愛していたのですね」
自分だけじゃ無いことに疲れたのだ。逃げれない自分の足が嫌だったのだ。
間抜けにも、剣を奪われ呆然と立ち尽くしていた16王子。母は、その見覚えのある面影に、しかし、何も言わず、俺を見た。
「王は時期王に、あなたを望んだ。テツがわたしの子であるそれだけで。王は、実の孫を抱く気だった。瞳が私と同じそれだけで。許されないこと、だけど止まらない」
ならば、殺すしかなかった。
殺すなら私の手が良かった。
「ごめんねテツ、私はどうしても自分の色が好きになれなかった。灰色が好きだった、ねえ、一緒に行く?」
あの日と違うのは、彼女の髪が長くなった事だけだ。答える前に王子が、俺を抱き締めた。16妃に似た小柄な彼が俺をベッド以外で抱き締めると、それはもうしがみついているというに相違ない格好になる。
心情的には、しがみつく勢いであったのかもしれない。
義母上、と彼の唇が戦慄いた。
「兄上を連れて行かないで欲しい」
母は、ひっそりと微笑んだ。藍色が、魔法の炎に照らされて美しい暖色を纏う。啜り泣きが聞こえた。王子が、異母弟が泣く音がする。
魔法が消えると、母は消し炭になっていた。
俺の瞳は、藍に染まっていた。変化の魔法だ。母は、既に俺が生まれた時に魔法を使っていたのだ。だから、彼女の誘いは、自分が死ねば、かけた魔法が解けるので一緒に死ぬか?という誘い。俺は、首を横に振っていた。
「ありがとう」
王子は、涙ながらに囁いた。逝かないでくれてありがとうと途切れ途切れにまた囁いた。
「お前は、王になりたいですか?」
俺は首を振った。王子は、再びありがとうと泣いた。
新しく立った王は、王国の法を変え、これまで良しとされなかった魔法を一部階級、一部許可された者たちに使えるようにした。知識を大々的に吸収した彼に寄ると、藍色は、魔法の源である空間の色である。
「魔を禁止にしながら、魔に魅入られた者だ」
先代王の肖像画に、ポツリと落とした言葉は、何故か深く俺を動揺させた。そして、藍は今は亡き隣国貴族らには、神聖な色だったのだと彼は言う。
その色を纏って生まれた赤子は、幼少期に足を潰され、歩けなくされた。
俺が居た農村は、王国と近しい国境の、隣国にとっては辺境だ。魔法の先進国だった隣国が王国を攻めるに二の足を踏んでいた理由。彼らにとって神聖な母が嫁いだ(奪われた感覚かもしれない)国というただ1つの理由。
「あのときお前の子を見ていた全員を殺す以外になかった」
豪華だが、暗い色遣いの恐ろしい巨大な絵。俺は、はじめて、面と向かって異母弟の顔を視た。俺の驚愕を、彼は、愉しげな、暗い笑みを小さく浮かべて、受け止める。
「母は、捻くれ者で、王と母の関係は、夫婦よりも同盟者だった」
どのような同盟かは、彼の瞳を見れば一目瞭然だ。
「私、この藍色の瞳気に食わないわ」
「姫、その色は、」
「分かってるわよ!第1妃も藍色の瞳をされていたし、お父様も突然この色になられたのでしょう?魔法空間に触れたかどうかで」
「ええ、姫も、昔は、灰色の瞳をされていましたよ」
「らしいわね。貴方の瞳も青いわ」
「私のは」
「知ってる。前の‘王宮血の惨劇’で亡くなられた第2妃王子の影武者だったって言うんでしょう?前にも聞いたわ。魔法で弄って失敗して本人が死んでも、解けなかったって。だけどだけどよ?笑わないでね?」
小作りな唇が尖る。
「わたし、昔、貴方が実は自分の本当の父なんじゃ無いかって考えてたのよ」
だから、八つ当たりなの。少しだけ不実だけどロマンチックなー王妃と従者の恋ーを夢想してたとき、ちょっとあてが外れて、帰ってくればテツを呼んで籠もって仕事ばかりの父上の血を引いていたという事実に。
「わたし、テツが父ならって良く思ってたの」
藍色が、俺が笑うのを期待して瞬く。俺は、しかし、姫君の隣に棒立ちながら、此方に強烈な視線を送ってくる藍に捕らわれていた。訝しげな姫が、俺の視線を辿り、王を発見する。
「お父様!」
長い姫君の髪は残像として尾を引いて、はしたないと叱りながら、笑う王の藍は此方から片時もずれない。
藍は、呪いか。不意に、母の最後の瞳を思い出す。
「めんどうくさい」
口を衝いて出てきた言葉に、俺は、一瞬気付かず……そして何を口走ったか意味を理解するや、失笑した。
〔完〕
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