第六話
彼女は、茫然としていた。
あっれ……?おかしいな……。
疑問に思い、よく見なおしてみるが、どう見ても彼女は呆気にとられている。少なくとも、既に聞いたことのある話を再度聞かされ、つまらなさそうにしている……とか、僕に気を使って黙って聞いている……ようには見えない。
それよりは、よく意味の分からない話をされて、考え込んでしまっていると言われた方が納得できるだろう。
でもそれだとおかしい。僕たちが話していたのはそんなに難しい話ではなかった筈だ。彼女が考え込む要素がない。見いだせない。
……あ。つまらなさ過ぎて他の事を考えていた……と言う線はないだろか?それなら深く考え込んでいても、何もおかしくはない。
むしろ、先程の話で悩んでいる、と考えるより自然だろう。
……然しそうなってくると、僕たちが話しているのが気にならないくらい、集中して考えなければならない事とは一体なんなのか……、気になる。出来ることなら、何なのか直接尋ねたい。けれど、悩み事の内容によっては、聞くという行為自体が、不快な思いをさせてしまうかもしれない。他人には言いにくいこととか、ね……。
それに、せっかくミミズ君が話してくれてるのに、話を逸らすのはミミズ君にも悪いだろう。
でも、僕が聞く事によって解決する問題……かもしれないんだよなぁ……。
聞くことによって、メリット、デメリット、どちらかが発生する可能性がある、と言うことか。
ならば、どちらがより重要か、考慮する必要がある。
まず、ミミズに迷惑をかける点……これはまあ、どうでもいいだろう。すべての中で一番優先度は低い。
次に僕が問題を解決できるかもしれない、という点。これは、メリットとして真っ先に出しておいてなんだけど、そんなに期待できることではないと思う。彼女とは今日会ったばかりだしな……。
せいぜいが、この屋敷に関すること、ぐらいなら完璧に答えられる……し、軽い悩み相談ぐらいなら、出来ないこともないだろう。アドバイスは難しいかもしれないが、聞き役なら難しくもなさそうだし。
問題は彼女に不快な思いをさせてしまうかもしれない、と言うことだ。
これはデメリットとして、かなりでかい。ただ、質問されただけで、不愉快に思うかどうか、まではわからない。
うーん。自分に置き換えて考えてみよう。
今日会った相手に何を考えているか、質問されて、それが聞かれたくない内容だったら……?……不愉快になるような気もするし、ならないような気もする。
いや、不愉快、まではいかないな……。ただ、気まずくはなるかもしれない。その上で、『いえ、なんでもないです』と笑って誤魔化すだろう。
聞いてきた相手にどう思うか?……は、やはり、気まずい気持ちが強くはなるだろう。ただ、それ以上でもそれ以下でもない。聞いてきたからと言って、こいつ絶対許さねえ。やら、二度とこんな奴と関わるものか。やらと思うことはない。うん。ない。
……と、なると、聞くことによって、発生しうる被害は、そこまで大きくないかもしれないな。
……なんて、こんな御託を並べてはいるが、実の所、僕は彼女の事を知りたいだけなのだろう。彼女の悩みを聞きたい。どれだけ言葉で繕っても、その気持ちは変わらない。変わらないなら、こんなふうにごたごた言わずに、素直に生きればいいじゃないか。
そうだ。僕は彼女が好きだ。彼女の悩みを聞きたい。
それ以外の事なんてどうでもいいし、気にする価値もない。
……だから、僕は彼女に質問をした。
「さっきから、難しい顔をしてるけど、何を悩んでるんですか?」
僕が彼女の方を見ると、彼女はこちらに気が付き、恥かしそうにはにかんだ。
「あ、すいません。えっと、さっきの話がよく分からなくて」
「さっきの話……?」
さっきの話、とはどれぐらい前の話の事なんだろう?ミミズと話し始めてから、彼女が黙ってしまったから、それより後のことだとは思うけど……。ミミズとは何の話をしてたんだっけな……。
えっと、確か僕の父が死んだ話になって、それをミミズが推測し、名前の話になり……。名前を連呼させられたこともあったけ……。よく思い返してみると確かにミミズの動きには不可解な点が多い。
それについて思い悩んでいる、というのなら納得出来る。
ただ具体的にどれか?と言われると難しい。意味不明な動きが多すぎるのだ。
僕が考え込んでしまったことに気づいたのか、橘さんは言葉を続ける。
「あ、えっとその、さっきの話の神話?のところがよく分からなくて……」
「神話……?」
神話のどこの話だ?あの辺はミミズもまともに話していたような気がするけど、僕が話に集中していたから、気づかなかっただけなのかもしれない。
「めいふ……と言うのが良くわからなくて……」
うん?そこが分からなかったのか……。まあ冥府なんて言葉、普段使わないし、知ってる人の方が少ないのかもしれないな……。
「冥府も冥界も似たようなものですよ」
「……なるほど!」
と、声を上げたものの、すぐに難しい顔に戻った。
「ところで、めいかい、ってなんです?」
「……」
う、うん。そうだよね。冥府が分からなかったら、冥界も分かんないよね。これは完全に僕が悪かった。……うん。しかし、冥界ってどう説明すればいいんだろう?
何って聞かれたら、代用するものとしてあの世とか、地獄とかって言葉が出てくるけど、あってるかどうか……と問い詰められたら、自信をもって、あっている、とは言えない。
どの単語もそうなんだけど、曖昧にしか覚えてないから、実は違う意味です、と言われても納得しかねない。
この沈黙を違う意味にとらえたのかミミズは体を大きくうねらせた。
「その子はずっとそんな感じだから、気にしなくてもいいよ」
「は、はあ……」
なんなんだこの男は。まるで橘さんを自分の方が知っている……とでも言いたげな態度である。いや、実際そうなんだけど。
それでも、腹が立つ。
ただ、それを怒る訳にもいかず、どう怒りを収めようか思案する。
この曖昧な返事にまた何か思うところがあったのか、ミミズは目を細めた。
「この子を助手にしたのは彼女の希望……も勿論そうだけど、そういうところが、気に入ったのもあるんだ」
「……気に入ったってどういう事ですか?」
そういうところ、ってどういうこと、なんですか?とは聞けなかった。もしも、直接的な表現が返ってきたら、彼女を傷つけてしまう。
変な人だけれど、そういう常識はあると思ってたのに。
いや、まだそうと決まったわけじゃない。そのための確認だ。
「推理をするときに彼女が質問してくれれば、大概の人には理解できるだろう?」
ミミズはとても綺麗な微笑みを見せた。そのキャラクターじみた笑みが逆に嫌悪感を増幅させる。
……これ、橘さんの事を暗にバカにしてるよな……?顔が分からないから、声だけの印象しかないけど、もっと紳士的な人だと思っていた。幾ら自分の助手だからとはいえ、言っていいことと悪いことがあるだろう。
うん?でも、直接的にお前は馬鹿だ。と言ってる訳じゃないから、まだましではあるのか?いやいや、でもこれだけ分かり易かったら、直接言うのとそう変わらないだろう。
そう思い、彼女の方を見ると、僕が彼女を見た理由が分からなかったのか、不思議そうな顔で見返してくる。
……彼女は気付いてない……のか?
表情をよく観察してみても、ショックそうな感情はみつからない。心配をかけないように、とそれを巧妙に隠している可能性はないだろう。そこまで感情を隠すのが上手いタイプにも見えないし、いくら感情を隠すのが上手い人でも、何かを隠そうとしてるなら、少しは違和感が出てくる……筈だ。
だから彼女は気が付いていない……ああ、気付いていてもショックを受けていない、と言う可能性もあるか。なんににせよ、ミミズの言葉は彼女を傷つけてはいない、とそういうことになるのか。
……彼女が傷ついていないのに、僕が怒るのもおかしな話だ。だから、怒りは抑える。僕が今、彼女に出来ることと言えば、彼女が気付いてなかった時の為に、彼女に悟らせないようにする、それだけだろう。
橘さんに何も心配するな……と言う意味を込めて微笑む。それを見た彼女はより一層混乱したのか動揺して見せたが、それでいい。
もしも、ミミズが彼女を傷つけることがあれば、その時は……。
「さて、話を続けてもいいかね?」
「……え?あ、ああ、はい」
いけない、いけない。少しボーっとしていたようだ。殴られ過ぎて顔がボコボコになったミミズ(なお、実物は分からないので、あくまで声から想像した見た目である)を頭から追い出す。
「まあ、とにかく、柘榴を食べたことで、冥界に属することになったペルセポネーだが、これを証言したものがいてね」
「はぁ……」
あ。
ぼーっとしていたから、つい、生返事をしてしまったけれど、彼女はイマイチ理解していない様子だったし、続きを話されても退屈するんじゃないか……?
だからこそ、さっきこれ以上話すのはやめてくれ、と言うべきだったのに。その為に彼女の様子を確認したのに。
……すっかり忘れてた。
しかし今更、やっぱり話すのをやめろ、と言うのもおかしいよなぁ……。
まあ理解しようとしてるってことは、全く興味が無いわけでもなさそうだし、教えてさえあげれば……。
あ、教えるのすら忘れてたじゃないか。せっかく質問してもらえたのに……。なんてことだ……。
あーでもまあ教えるのは最後でもいいのか。というか、話をいちいち止めて説明するより、まとめて教えた方が話す方も聞く方も楽だろう。
……僕に説明できるかどうかはわからないけれど。
話を聞いてないから最後まで説明できませんでした。よりは話は聞いていたけど、説明できませんでした。の方が努力の跡は見られるし印象は良さそうだ。
うん。とりあえずそのまま話を聞いておこう。僕自身もこの話に興味が無いわけじゃないし。
「ペルセポネーの母はそいつのことを大層恨んだ。彼女は娘を溺愛していたからね。だからそいつのことをミミズクに変えてしまったのさ」
なるほど。そこでミミズクが出てくるのか。いや、でもなぜ探偵がミミズクなのか?の答えにはなっていない。
なかなか説明が長いな……。そこも本の中の名探偵と似通ってる、といえば似通っているけれど。
「しかしよりによってなぜミミズクに?嫌がらせならもっとこう……例えばゴキブリとかにしてやれば良かったのに……ミミズクって結構格好よくないですか?」
ミミズは肩をくすめた。いや、肩はないんだけどね。
「カッコイイかはどうかはともかくとして、確かに今の日本ならそんなにも嫌がらせにはならないだろうね。ただ昔は、というか、その神話が作られた当初、と言った方がいいかな?
その時代のギリシャではきっと、ジンクスや伝承なんかがよく信じられていた時代だったんだろうね。だからこそ……だと私は思っているが……、不幸な鳥と言われているミミズクに変化されることが、そいつの罰とされた」
へえ。ミミズクって不幸な鳥なのか……。知らなかったな。
似たような鳥の梟は知恵の象徴……?とか言われてたような気がするけど、あれって何神話の話だったっけなぁ……。いや、そもそも梟とミミズクの違いってなんだろう?彼に聞いてみたらわかるだろうか?
「ところで、知恵の象徴と梟を表した神話がありましたよね?あれって何神話でしったっけ?」
「ギリシャ神話だね。アテネと言う女神が知恵を司る女神なんだが、彼女の聖鳥……まあ、イメージの鳥みたいなものだ……が梟だった訳だ」
ふうん。同じ神話なのか……。アテネ、と言うとギリシャの首都が思い浮かぶ。どちらが先かは知らないけど、名前が同じなのは偶然とは考えにくい。
都市の名前になるぐらい、信仰されていた……ということなのだろう。
「じゃあ、梟とミミズクの違いってなんなんですか?」
「大まかには、頭の所に耳のような羽……羽角があるか、無いか、の違いだね。まあ例外はあるようだから、厳密に別れている訳ではないようだが」
「つまり、梟もミミズクも殆ど同じもの……と、捉えていいんでしょうか?」
「ふむ?同じ……というのは言いすぎだが、まあ、似たようなものではあるな」
どうも、歯切れが悪い。けれど聞いた限りだと、ミミズクも梟も大差ないように思える。
……ミミズは何に拘っているのだろう?
わざわざ名前が分かれているのだから、違いがある、と思いたいのかもしれない。僕はそうは思わないけれど。
きっと、昔のギリシャ人にも、僕と同じような考えの人もいただろう。
……まてよ、そうなるとおかしなことが、一つある。
いや、古代ギリシャ人はミミズクと梟について異様なほどに詳しかった、というか、謎の拘りがあった……?場合だと別におかしくはならないのか……。そんなことはなさそうだけど……。うーん。聞いてみよう。