いざ金ヶ崎 2
一方、信長は金ヶ崎城をおさえご機嫌です。
もともと朝倉軍は敦賀の北に防衛陣地を構えており(北陸線のトンネルあたり)金ヶ崎は飛び地なのです。
信長の構想は金ヶ崎を抑えれば、北東の朝倉軍ににらみを効かせているあいだに、北は海、西の若狭の国(福井県西部今の小浜あたり)を朝倉の支配から織田家にしたい、南は織田家配下、南東は同盟中の浅井家。
一応考えてはいるのです、近臣も無能ではないですしね。
だから妻や娘からの書状も「心配性だな~」くらいにしか思っていませんでした。(浅井家離反前)
ここらでいいところを見せなければ、くらいには思っていたのかもしれません。
側近から駅伝による使者の手紙を見るまでは。
織田家では情報は最重要です、替え馬の宿は1里ごとに設置しています(大体4km)
通常の伝令は速足といい1時間で大体10kmほど走り休憩をしつつ一日30~40km走ります。
(通常移動は常歩といい1時間で5kmくらい休憩をはさみつつ一日50kmくらい)
緊急では駆足ですこれは1時間で20kmほど走れますが走り続けられるのは30分といわれていて駅場での乗り換えで情報を伝えます。
でも今回は襲歩でお願いしました。時速60km! ただし全力疾走は5分が限度といわれています(簡単いうと競馬のスピード)、お馬さんには多大な負担がかかりますがすみません。使者の方も各駅場で乗り換えです。
岐阜から敦賀まで大津経由で大体200kmです。
無理には言いませんが一刻も早く父のもとへこの書状を、伝令は3組お願いしました書状を3枚書き書き上げた順に出発してもらいます、なにがあるかわかりませんからね。
信長の元にはいろいろな人からの書状が届きます。
妻(濃姫)からの「ご無理をなさらず早めの帰還を」とか、かわいいの~
娘からの「早く帰ってこい!」 とか心配してくれているのかな?とか
さて今回の娘からの手紙は、
「お仕置き確定!」
あっ、わしやばい?
455年前の今日、金ヶ崎へむけて移動中。




