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信長公姫  作者: yuzu
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ほんこくじのへんっ!(ほんのうじの間違えじゃないよ)

ほんこくじのへん、ほんこくじのへんっ!


さて、1569年お正月を迎えた岐阜です。


父がいないと静かですね、母とのんびりすごしています。


えーとある記録とかですと1月6日まで岐阜にいたことになっています、で、急いで出発して1月10日に着きます。到着したのは10人ほどだそうです。


 えっ、三好三人衆が攻めてきたの12月28日だよ?

 

 戦争が起きたのだからすぐに連絡するよね?

 騎馬の伝令が走りに走って12月29日~1月5日だとして7日間?騎馬としてはとても遅い、騎馬は一日約50kmが目安、京都→岐阜は150kmほどなので3日で着くはず。

 

 さらに、今の滋賀県は当時滅ぼしたばかりの六角家の領地、そこを10人で通る?死ぬわっ!

 

 あと、松永さんも一緒に出発だし、御年61歳だよ松永さん、無理はさせられないよね~


 となると、三好三人衆が攻めてきた連絡がきたのは1月1日頃、準備・移動で10日(さらにこの時大雪だった)、という計算であれば籠城した人達も計算ができるわけ、1月10日まで耐えれれば援軍が来ると。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 本圀寺ほんこくじです、敵(三好三人衆)が攻めてきたので困っています。


 この時のお寺は今のお寺と違い要塞化されているものが多いです、本圀寺は南北600m、東西200m

程だそうで、江戸城なら本丸~3の丸御殿まで、大阪城なら本丸~2の丸、東京ドームなら3個分、戦艦大和なら20隻分ですの大きさです。堀まであります。



 将軍の義昭さんは我儘で、傲慢で無能ですが将軍というだけで有能な家臣はいっぱいいます。


 特に越前朝倉家の時から士分(朝倉家を代表して接待する係)としていた細川藤孝ふじたかさんとかね、その細川藤孝さんが来るまで三好三人衆の攻撃を支えたので頑張ったのが将軍家直臣、この時の警護部隊の丹波衆(福井県あたりの護衛隊)、細川藤賢ふじかた((ふじたかさんとマギワラシイ)、

あと、この時はまだ身分は低かったけど礼儀と教養がすごかったので頼りにされていた母とも顔見知りの美濃国明智郡出身の明智光秀さんがいます。



父到着!



戦い終わってました。


本圀寺守りきりました。









ひとりごと


 明智さんは母の父(斎藤道三)に仕えていて母と顔見知りなんだよね、明智さん気難しくて固い性格だけど母は誰にたいしても明るいから明智さんちょっと勘違いしている気ぐらいがあるんだよね~


 






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