引越
桶狭間は終わりました!
今川の皆さんにはお帰りいただき、緩衝地域として松平(徳川)さんに頑張ってもらいましょう!
義元さんが亡くなっても今川家は強大です、防波堤ですね。
で、東は落ち着きました、次は北なのです、そう斎藤家ですね。
美濃の豪族達はある程度味方についてもらいました、なんせ爺(斎藤道三)が頑張りましたからね、
斎藤義龍さん(斎藤道三の子供 *1)が亡くなり、その子の龍興さんが後を継ぎましたがいろいろと問題が多いみたいです。
さて、織田家の今の本拠地は清州です。那古野城から移ってもう10年か・・・
思えば・・なにもかもみな懐かしい・・・
さぁて織田家の大戦略の講義です。
この時代、兵站線(戦争のない場所から戦争している場所に補給を絶えずすること)という言葉はありません。戦争をするために兵隊と一緒に食料を運ぶのが普通です。
それだとどうなるか、兵隊さんと一緒に輸送部隊の人も一緒にご飯食べますよね。先にも述べましたがこの時代軍隊が進むのは1日16kmほどです。4~5時間移動して陣張り(泊る場所)作って寝て片付けて出発。無駄むだムダMUDA~なのです。で、食料がなくなりそうになると付近住民から略奪するわけです。(上杉謙信の小田原遠征、武田信玄の佐久侵攻など)
それをですね兵站を整えると、馬車や大八車ですと1日だいたい50kmくらいだそうです。
大体3倍くらい早いわけです。(馬車や大八車は赤色じゃないよ!)、まずこの時代100km離れた場所での戦なんてない。
さらに!
兵站線は後方から前線への物資の輸送ですが我が織田家は後方(補給倉庫)が前線である!
圧倒的ではないか我が軍はハハハハハh。
と、思ったのですが本拠地の引っ越しの多いことはまた別の問題がありましてですね。
反対派が多いのですよ、まず、本拠地を変えるということがまず珍しいわけです。ハイ
上杉謙信;越後(新潟) 春日山城
武田信玄:甲斐(山梨) 躑躅ヶ崎館
毛利元就:安芸(広島) 吉田郡山城
北条家:相模(神奈川) 小田原城
今川家:駿河(静岡) 今川館
なのに、その1/5~1/10くらいの領土しかない織田家の引っ越しの多さ珍しいでしょ~
なので困った時の歴史頼りです。
今回は中国のとある王様が実際にやったことをまねてみよーー
父(信長):清州から犬山(20km先)に本拠地を移すぞ。
家臣たち :それは遠すぎます今は清州が政庁でありますれば。
父(信長):では小牧(10km先)ではどうだ
家臣たち :それならば。しぶしぶ・・
最初から小牧が目的地だったけどねー *2
*1 斎藤義龍は道三の子供ではないという説もあります。
*2 小牧山城 安土城の前身と言われた城、この時代めずらしく城までの大通りがあった(普通は入り組んだ道)




