死闘
午前8時頃、熱田神宮
織田軍の集結箇所である。
これから戦いに行く人、それを見送る人、戦火におびえ戦が遠ざかることを望む人、付近の領民を含めすごい人だかりができています。
この時代、戦に行く前は神社にて戦勝祈願は基本です、縁起担ぎもあたりまえですね。(栗と昆布を食べる(栗は勝栗というもので「勝ってよろこぶ(よろこんぶ))(私が言ったんじゃないからね!))
戦勝祈願が終われば出撃です。
熱田神宮大鳥居の左側を通ります。(*1)
「織田上総介殿 出陣」 (*2)
宮司のよく通る声で父の名前が呼ばれました。
まぁここまでは普通なのですが今回はちょっと宮司さんにお願いしていることがあります。
父を先頭に一列になって鳥居を通ります、一人通るたび
「森可成 殿」
「河尻秀隆 殿」
「佐々政次 殿」
「長谷川橋介 殿」
「林秀貞 殿」
「佐々成政 殿」
「金森長近 殿」
「池田恒興 殿」
「佐脇藤八 殿」
「岩室重休 殿」
「簗田政綱 殿」
「千秋四郎 殿」
「毛利良勝 殿」
「服部一忠 殿」
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2000人全員の名前を呼んでもらいました。
今川軍に勝利するのは私は知っていますが他の人は知りません。
自分の名前が大勢の人の前で呼ばれる、重臣であれ一般兵であれ、普段は農民の人であれ、
その高揚感に涙ぐむ人もいますね。
でもね
私は知っています。
確かに父は勝ちます。
今川義元さんを討取り、今川家を追い返し。ここに来てくれた見送りの人、領民の人を守ります。
でもね
今川軍、戦死者 2753 名 従軍者数約25000名
織田軍 戦死者 990 名 従軍者数 約3000名
1/3の方々が命を落としてしまうことを
それだけの思いをみなさんに背をわせてしまったことを
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さぁて気分をとりなおしていっくよ~
(*1)現代風に「織田信長・織田信長様・信長様」と言ったら即座に首を切られます。
織田信長の正式名称は織田上総介三郎平朝臣信長です
織田(苗字・家名 :一族、家族の名前)
上総介(仮名 :職業のようなもの)
三郎(輩行名 :現在でいう名前、親が子供を呼ぶときに使ったり)
平 (氏 :織田家は平氏(源氏・平氏の平氏)
朝臣(姓 :朝廷の臣ですよという意味)
信長(諱 :実名、(この時代実名を呼ばないことが礼儀、ただし、親・かなり目上な人は諱で呼ぶ)
なので普通なら
織田上総介 様
織田三郎 様
が正解
偉い人でも
織田信長 殿
平朝臣信長
と呼ぶ。
絶対に
織田上総介三郎平朝臣信長
とは呼ばない。
これは中国でも同じで
諸葛亮なら
諸葛亮(親や偉い人が呼ぶ場合)
諸葛孔明(同格、下の立場が呼ぶ場合)
となります。
諸葛亮孔明 ってのは存在しない!
’(*2)鳥居の真ん中は神様が通るところなので人は歩いちゃダメ。
なのです!
たぶん・・・




