桶狭間 3
はやる心を抑え田楽狭間の桶狭間山の麓に移動を開始する。
私は馬には乗れないので歩きですがなにか?
乗ろうとはしましたよ、でも、考えたり何か行動しようとすると落馬しちゃうのです、紅白戦の騎馬演習で「突撃ー」と言った私を落として馬だけ突撃するとかなんの恥ずかしめですか!まぁこっちの部隊が勝つのがせめてもの救いです。
私は考えるのが役目です、戦場なんて怖くていきたくないです、戦闘開始を確認したら私は後方の私の陣に下がりますよ。
そう、私の部隊の元へです。
「行くぞ~~」
戦奉行たる家臣の掛け声に全部隊の突撃が始まる。
第1陣から第4陣までは騎馬隊であり、第5陣から第8陣は歩兵である、今回は奇襲であるので弓・槍はない、敵本陣での戦いであり部隊編成の戦いではないからだ、この時代、一番の攻撃力は弓であり槍である、それは数を揃えなければならずそれこそ、弓衾・槍衾と呼ばれる統一した動きが必要であるのだから。
(ちなみに弓・槍の次の攻撃力は投石である (諸説あり、部隊編成によっても違うしね))
我軍は強いです、圧倒的にです、騎馬隊は何も言わずとも鋒矢の陣になって突撃します。
先頭は馬まで鎧を着せていますね、偉いですお馬さんも命大事に!
なぜ強いか?
それは全員が武士だからです!(輜重隊を除く)戦うのが職業の人達だからです!
何を言っているのか、ですか?この時代、兵士=武士ではありません、たとえば今川軍ですが今戦っている1000人のうち武士は半分もいないと思います。しかも近衛ですから実践は少ないでしょう。ほとんどが農民の方々です、徴兵されわずかな給金・武具を渡されています、鎧は紙製が多いですね。
なぜ、我軍は全員が武士で、今川軍は農民が多いのか、いえ、ちょっと前までは我軍も今川軍と同じで農民の皆さんがほとんどでした、それがこの時代の普通です、というかそれ以外ありません!それを変えたのが父です!
「武士と農民の人とどっちが強い?」
「普段から武士の人と、普段は農民の人、どっちが陣形とか戦術とか命令内容わかる?」
さらに
「突撃に喜んでいくのはどっち?」
ちょろい!
おっと言葉が悪かったですね、ご検討いただきました。
それができたのは織田家はお金があるからです、尾張地方を治めているため、陸と海の交通路からお金が入ります。お爺さん(信秀)が何年か前に4000貫文(約1億円)をどっかに寄付したそうですがそれに張り合った今川家は1000貫文(2500万円)が精一杯だったそうです(領地は今川家のほうが5倍くらいある)、寄付はこれ以外にも毎年どこかに送っていました。それをちょっとくすね・・・げふんげふん。経理上よこな・・げほげほ、有効活用して!いろいろな部隊を作ったのです!そう、いろいろな。。。。
(ちなみに足軽の年収は2貫文くらい、武士で50貫くらい(武士は足軽を5人くらい雇う)
(1貫=1石=人間一人の1年間の米の消費量(1日3合計算))
*諸説、各地により違いはあります。