ヒナノちゃんとお兄ちゃん
大学から帰宅すると、年の離れた妹がツインテールの髪を弾ませて駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん、お帰り!」
「ああ、ただいま、ヒナノ」
「あのね、小説できたよ! 私、すんごい頑張ったんだから!」
ヒナノは中学一年生。頭こそあまり良くないが、元気で明るい性格の可愛い妹だ。WEB小説が原作のアニメにはまり、自分も小説を書いて某有名サイトへ投稿してみたいと、先週、俺に相談してきた。
とはいえ、読み専かつ執筆経験の無い俺にできるアドバイスなど限られている。5W1H(いつ・どこで・誰が・何を・何故・どのようにしたのか)を念頭において、まずは短い話を書いてみてはどうかと助言した。
漫画以外の読書は『頭痛が痛くなるの……』などとぬかすベタな妹だが、あれから一週間、自力で一作書き上げたらしい。
「偉いっ、偉いぞ!! ヒナノは天才だな!!」
「えへへ」
兄ちゃんは嬉しいよ、ヒナノ。きっと途中で放り出すか、必殺『お兄ちゃん手伝って』を発動するとばかり思っていた。頼りないように見えて、着実に成長している妹が誇らしくなる。
「ねえ、早くリビング行こう。私の小説読んで、感想聞かせて」
「おいおい、急かすなって」
「早くぅ!」
「そんなに引っ張ったら、兄ちゃんの腕が抜けちゃうよ。ははは」
玄関からリビングへ連行された俺は、ソファーに腰を据える。隣に座ったヒナノから期待の視線を浴びつつ、さっそくスマホで小説を読むことにした。
さて、どんな作品を書いたんだ? 恋愛小説だろうか?
ヒナノはイケメン軍団にちやほやされる少女漫画が大好きだからなあ。まあ、俺だって美少女軍団からサスガデスワーされる少年漫画が大好きだがな。やっぱり、兄妹って似るのかね?
俺は恋愛小説をろくに読まない。女性向けとなると尚更だ。しかし、可愛い妹のためだ。悪役令嬢ものでも逆ハーレムものでも、なんだって読んでやろうじゃないか。
「どれどれ」
────────
徳川家康殺人事件
作者:すーぱー☆ぴなのん
短編
ジャンル:歴史 [文芸]
小説情報
……………………………………
転生した人が戦国時代にいて、家康を暗殺して、そのせいで歴史が変わっちゃうお話です(^з^)-☆
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俺はヒナノの頭を両手で掴んだ。耳ではなく頭頂部から直接、ゆるふわヒナノ脳へ、偽りのない心情を訴える。
「歴史ジャンルだとーっ!! お前、正気かーっ!?」
「きゃあ!」
あそこは読み手も書き手も、歴史好きが集いし聖域。
兄ちゃんのようなふわっふわ脳の輩が『はわわぁ、超武士ってて胸熱だよぅ、感想でご挨拶してみよぉ』などと感想欄を開いた途端、高度な議論が飛び交っててビビる場所なんだぞ!
嗚呼、妹よ。歴史の中間テストで12点を叩き出した我が妹よ。お前が、初執筆かつ初投稿で、いきなり歴史ジャンルへ殴り込みをかけるとは、予想外だったよ。
「やっぱ、ジャンルは『推理』にした方がよかったかなぁ」
「タイトルに『殺人事件』って入れたからか……? あらすじで犯人の正体書いちゃったのにか……?」
やばい。手が震えてきた。触っちゃいけない波動がビンビンに伝わってくる。でも読まないと。兄として、ちゃんと読んでやらないと。大事な妹が、一週間もかけて書いた小説なんだから。
俺は動揺を抑えて、すーぱー☆ぴなのん先生の処女作を開いた。
────────
西暦160年。関ヶ原の戦いに忍者がやって来ました。この忍者は令和時代から、昔の人に転生した人です。豊臣秀吉を勝たせるために、徳川家康を暗殺しようと決めてます。何故かとゆうと、なんか東軍が好きだからです。
カキーン!グワワーン!
たくさんのお侍さんたちが戦ってます。その横を、忍者はいっぱい忍者走りしました。
しゅばば!
音速で走る忍者を誰も止めれません。福島さんと井伊さんは「忍者メチャ速い。」と驚きました。
こうして忍者は、家康の基地っぽい場所に着きました。
「お前は誰だ。」
「忍者だ。お前こそ誰だ。」
「家康だ。」
「ばいばい。」
にんにーん(--)/===卍卍卍
ぐさ!
「「「ぎやー。やられたー。」」」
「やったでござる///」
家康は死にました。忍者は逃げました。事件は迷宮入りになりました。
西暦2019年の日本では、首都が大阪です。梅田の地下ダンジョンは地下15階層におよび、脱出できない冒険者を救出する有志ボランティアは『勇者様』『聖女様』と呼ばれてます。おなかがすいて動けないと、三角形のおせんべいをくれるみたい。歴史改変完了です。
おしまい♪
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俺は頭を抱えて身悶えた。
「おおぉぉ……まじかあぁぁ……これ投稿済みかよおぉぉ……!」
「にんにーん!」
ヒナノはご機嫌だ。サムズアップして満面の笑みを浮かべている。完全に褒め待ち顔だ。どうしよう。すでに、インターネッツで公開済みだし、どうすればいいんだこれ。
とりあえず、修正だ。唸れ、俺のふわっふわな脳細胞! ぴなのん大先生の今後のために、乏しい日本史知識を絞り出すんだ。
俺はヒナノへ、思い付くまま指摘する。
「西暦違うよ、1600年だよ。160年じゃ卑弥呼より前に関ヶ原はじまっちゃうから」
「やばっ! ありがとう、お兄ちゃん。すぐなおすね!」
意固地にならず素直に行動できるのは、ヒナノがたくさん持っている長所のひとつだ。
「あと、この時には秀吉もう死んでるよ。『豊臣家』かなんかに修正しとけ」
「え……」
自分のスマホで必死にポチポチ修正していたヒナノが、ふいに手を止め、顔を上げる。
「……もう死んじゃってたの? 秀吉かわいそう……」
家康殺したくせに、何言ってんだ、こいつ。秀吉だと可哀想なのか。ヒナノの基準がよく分からない。
しかし、ぐずぐずしている暇は無いのだ。俺は、しんみりしている妹を一喝する。
「そういうの、後でいいからな」
「ひえっ、ごめんなさい!」
「いいよ、いいよ。キツい言い方しちゃって、兄ちゃんこそ悪かった。さあ、次はここだ。東軍と西軍が逆になってるぞ」
「あー、ほんとだぁ、逆になってるぅ」
東軍が好きだから東軍総大将の家康暗殺しに行くとか、サイコパス忍者かよ。ヤンデレかよ。『東軍で間違ってないよ、お兄ちゃん、うふふ……』とか言われずに済んで、ホッとしたよ。
目立つ歴史の誤りは、このくらいだろうか。真剣な面持ちで修正中のヒナノへ、気になっていた箇所を尋ねてみた。
「なあ、ヒナノ」
「なぁに?」
「手裏剣投げる直前のところなんだけど、『ばいばい。』ってさ、どこから思いついた台詞なんだ?」
「お祖父ちゃんと一緒に観た、時代劇の再放送で上様が言ってたの」
時代劇? 上様? あー、あの時代劇か。
「なんだ、『成敗』のことだったか」
「それそれ。でも同じような意味じゃん。こっちのほうが分かりやすくない?」
「ヒナノの小説なんだから、好きな言葉を使ったらいいさ」
「えへへ。じゃあ、このままにすっるぅ!」
こうしてヒナノは処女作の修正を終えた。ようやく落ち着いた俺は、『徳川家康殺人事件』の感想を妹へ伝えることになる。すーぱー☆ぴなのん大先生は、修正箇所の多さに自信を無くしたのか、珍しく不安そうな表情を浮かべてモジモジしていた。
「小説、面白かったよ。内容が分かりやすかったし、勢いがあった。ヒナノらしくて俺は好きだな」
「!!」
嬉しそうにヒナノが笑う。こっちまで嬉しくなる、そんな底抜けに明るい笑顔だ。
頑張ったご褒美に、プリンでも買ってやろう。
こうして俺は、家康暗殺を決意した転生忍者の如く、速やかにコンビニへ向かうのだった。しゅばば!
にんにーん(--)/===卍