ジョブ休み〜ヒーラー休職します〜
プロローグ
僕の名前、そう、名前…。
ある人はマリアと呼び、ある人はマリアンヌと呼んだ。時が経つうちに呼び方が変わるこの世界で、僕はヒーラーだった。
自分があまり好きでは無かった。
自分があまり好きでは無いから、自分が好きな正義のヒーローに憧れた。
誰かを救えるヒーロー。
誰かを幸せに出来る正義の味方。
だから、誰かを助けたくて。
僕は、ヒーラーになった。
けれども僕は、ヒーラーを続ける事が苦しくなってきた。
ごめんなさい、僕ヒーラーを休みます。
「マリアさん、ヒーラー辞めたんだって?」
唐突に話しかけて来たのは、戦士のジョブのセトくんだった。
早朝の家屋の中。
僕が好きな街、ストラトラムに建っている木造の工房。
僕がここを借りて、もうどれくらい経つだろうか?戦線から離れると、いつもここにひっそりと戻って来た。
「セトくん、違うよ。僕はヒーラーを辞めたんじゃなくて、休んでるの」
僕は口をへの字にして、手元の作業を止めた。
「仕事を辞めたんじゃなくて休む?」
セトくんは、お構いなしに突っ込んでくる。
「そう、何にもしたく無い。ヒーラーだって僕の代わりは数多に居るし、とくにこの世界で支障はないはず」
僕はそっぽを向いて、続け様に言う。
「それから、マリアさんと呼ぶのはもうよして欲しい。僕の名前は…」
セトくんがあ、と口を開けた。
「そっか、マリアさん、マリアじゃなくて、今はマルルだっけ?あんまり変わらないような…」
あんまり変わらない、とは余計な。
「あんまり変わらないけど、マルルだからね。これからも、よろしく」
僕は、セトくんを横目に見ながら言う。
「マルルさん、ね。よろしくです」
振り返って見ると、セトくんは後ろに手を組みながら悪戯に微笑んでいた。
「じゃあ僕、これから薬の調合に必要な素材を集めに北森に行くから、またね」
僕はまた彼に背を向けると、調合しかけの薬剤を机に置いて、傍にあった鞄を肩から斜めにかけた。
「小さい身体なのに、これから一人で?」
セトくんはいつも一言余計だ。
「小さい身体だけど、一人でも北森に入って行けるよ」
だいたい小さいのは僕がクララリボンという小柄な種族だからで、小さいからといって子供というわけでは無い。
「クララリボン一人で?」
セトくんは悪戯に言い直す。
「クララリボン一人で何か悪い?ジュラストのセトくん」
僕は身長が93センチしか無いのだが、はるかに背の高いセトくんを見上げながら彼を睨んで見せる。
ちなみに、ジュラストというのはセトくんの種族だ。
セトくんの種族はこの世界のおおよそ6割ほどを占める人口を持ち、大陸のあちこちに街を作り住み着いている種族で、地方によっては民族が異なるそうだ。
「クララリボンは魔法が得意でしょ?しかも、治癒魔法に長けているわけで、ヒーラーを休むんならその治癒魔法を当分使わないで過ごすんじゃ無いの?」
まったくどうして、セトくんは痛いところばかり突っついてくる。
「だから!僕は他人を癒すヒーラーをお休みするんだよ!!魔法をまったく使わないなんて言ってないよ!!」
「ああ、そういう事か」
セトくんは納得したように頷く。
「ごめん、声を荒げて。でも、今はいろいろ投げ出して、全部放り投げて、好きにやってみたいんだ。悪いけど…」
僕は項垂れてしまった。
戦友に、今の自分をうまく説明出来ないのは歯がゆい気持ちだった。
「いいよ、それじゃマルルさん、また遊びに来る」
セトくんは、そう笑って家を出ようとした。
「あ、あの…本当にごめん」
僕は彼を引き止めるように声をかける。
「なんで?謝ることないでしょ。こんな寂れた街からしばらく出てこないから、探しに来ただけさ。何してるのかと思ってね」
セトくんは寂しそうに言う。
「あ、あのさ…、自分が嫌になって…その…」
僕は、ひどく抽象的な事しか今は言えなかった。
「わかったわかった。じゃあ次に来た時は土産話のひとつでも持ってくる」
セトくんは無神経な人かと思いきや、時々こちらを見透かすような事を言ってくる。
そうさ、僕だって名前とともに放ってしまった仲間たちの事が、気にならない訳じゃ無い。
「また…ね」
僕は力なく呟いた。
「また来てもいいの?」
「あんまり、来て欲しくは無いけどね…」
すべて投げ出してきた僕には、後ろめたい気持ちのほうが今は強く言葉に出た。
マルル・フェリース。
種族クララリボン。
治癒魔法が得意でした。
戦場に出て、たくさんの仲間に癒しの魔法をかけていました。
けれど、僕はあの日、治癒魔法をかけなければ良かったと、後悔しています。
僕みたいな、人の気持ちが分からない奴が、そもそもヒーラーなんて向いてないと思いました。それに、空気を読むのも疲れました。
空気は読むものじゃなくて、吸うもの…。
僕、しばらくヒーラーをお休みします。