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29 その後の三国

 魏と呉を震撼たらしめていた諸葛亮の死が伝わると、三国はそれぞれ内政の安定を図り始める。


 蜀では諸葛亮の没後、彼の補佐であった楊儀はその後継者たらんと、対立者であった魏延を馬岱の協力と共に討つ。政敵もいなくなりいよいよ己が宰相の地位を持つ尚書令に任命されると思っていたが、諸葛亮の遺言により蒋エンが選ばれる。捨て鉢になり悪態をつきよりにもよって「魏に投降すればよかった」との発言により失脚する。こうして諸葛亮死後、彼に才能と人格を認められた蒋エン、費イが蜀を支えていく。


 劉禅は父帝、劉備玄徳と、相父と慕ってきた諸葛亮亡くし途方に暮れていた。彼は清廉潔白ではあったが争いごとを厭い、できるだけ平穏な日々が続いてくれることを願った。

 しかし皇后である張飛の娘はそんな彼を諫め、君主としての志を強く持たねばならぬと進言する。劉禅は彼女の気迫に押され気味であったが、善良な彼女を愛してもいた。その皇后もまた生来の短気がたたってか早世してしまい、その妹である張氏が皇后にたてられた。

 妹もまた張飛によく似た大きな眼と遠慮のない率直な物言い、そして曲がったことが嫌いな性分であった。


「陛下。漢の血を絶やしてはなりませぬ。もうあなた様しか正当な漢王朝の末裔はいないのです」

「わ、わかった」


 諸葛亮の勧めにより、張飛の娘を妃として迎え、こうして子作りに励む劉禅に、張氏は男としての不甲斐なさを感じないわけではなかったが、それでも彼女に歓びを与える甘美な夜は筆舌に尽くしがたい。彼は父親の趙雲に似て立派な体格と尽きぬ体力、そして従順さと優しさを持っていた。

 ただ政治的な手腕はなく、魏を討ち、先帝の無念を晴らすという気概は見当たらない。張氏は彼が庶民の子であったらどれだけ良かったであろうかと、亡き劉備玄徳と、彼女を支持し、戦い抜いた父、張飛翼徳を偲んだ。



 魏では文帝、曹丕の死後、甄氏との息子である曹叡が二代目皇帝、明帝として即位する。絶世の美女と名高かった母、甄氏によく似て美しい容貌と美しい肌と髪を持っていた。しかし美人薄命。曹丕、甄氏と同様に40に届かず34歳という若さで崩御する。明帝、曹叡には世継ぎがおらず、曹丕の弟であった叔父の曹彰の孫、曹芳を養子とし次期皇帝とした。わずか8歳で即位した曹芳は曹家の宗室、曹爽と司馬懿によって補佐されることとなるが、政には関与できず、お飾りであった。即位してすぐに倭国の女王、卑弥呼の使者が洛陽を訪れ、謁見を申し出た。幼き皇帝は、司馬懿の合図によって「面を上げよ」などと使者に対して威厳を示すが威光は感じられない。


 曹爽は曹芳が幼き故、仕方がないと容認していたが、司馬懿はその才知のなさに肩の力を落とす。今は亡き初代皇帝文帝、曹丕は同じ歳にはすでに文武両道で立派であった。8歳で暴徒である董卓にすら、その聡明さに故に感銘を与え皇帝へと擁立された劉協。また9歳で劉表と対峙し父、孫堅の亡骸を取り返した孫権。そして最も敬愛する曹操孟徳はすでに徒党を組み、そのあたりを大人顔負けの様子で掌握しており治安を守っていた。才覚の片鱗も見えぬ様子にもう曹操の血脈は、意志は途絶えつつあるのだと司馬懿は悲観に暮れる。これがやがて曹家一族を優遇しようとする曹爽との政治的対立につながっていくのであった。



 呉では大都督、周瑜公瑾、魯粛子敬を亡くし、いよいよ孫権は君主制を強固にしようと考えていた。かの二人は呉に甚大な力を持ち、頼りになった人物であるが如何せん強力すぎて孫権の権威が危ぶまれていた。今は孫権の妹、孫尚香を娶り忠誠を尽くす陸遜伯言が大都督となり孫権は安堵している。

 更に忠臣である呂壱は孫権を崇め奉り、逆臣をあぶり出し早々に処分し君主制に必要な人物となる。あまりの処罰の多さと厳しさに他の名士たちの手前、孫権はためらいも見せるが、呂壱は「すべてご主君様のためでございます」との甘美な一言に逆らえなくなっていた。

 孫権は9歳で父、孫堅を亡くし、また18歳で兄の孫策を亡くす。その後、政では周瑜と張昭、身内では母の呉夫人、妹の孫尚香に抑圧されてきた。そのためこの呂壱のように己を無条件に賛美するものがいなかったのである。

 呂壱は薄い眉と長いまつ毛を持ち、たれ目がちで孫権にはとても儚げな優しげな表情に見える。美しい男ではないが、意志の強い者たちに囲まれていた孫権にとって、呂壱は自分だけを信奉する殉教者のように見え、自尊心を大いにくすぐられる。

 やがて呂壱の薄幸そうな表情の裏に隠された、苛烈な野心と私腹を肥やす強欲さに気づき処刑したが、孫権と重臣たちの間に大きな溝ができていた。

 なぜなら呂壱の意見しかきかなかった孫権を今では名君として信用することが出来ないからである。そのことがまた孫権を苛立たせ、重臣を責めさせ、隔たりを大きくしていく。こうした悪循環が呉の主従関係を蝕んでいった。


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