エピローグ
エピローグ
香織の快復を待って、篠原は陰州町を離れた。東京都八王子市を選んだ理由は、海から遠く離れていることが大きかった。熱帯魚店の顧客によるツテで、ビルの電気系統をメンテナンスする業者に、難なく就職できた。都内の私立学校で非常勤講師をしている今泉とは、近々、結婚する予定である。
レゲエマンこと小俣勝には捜索願いが出されたが、行方は杳として知れない。
裏野ドリームランドは、相変わらず放置されたまま、朽ちるに任されているという。まだ営業されていた頃、あの水槽は公開されていたわけだが、より複雑なレイアウトがなされ、すっぽりと覆われていたため、目の前に潜む怪物の存在に、誰も気づかなかったと考えられる。ある水族館では、餌用の金魚が浄水装置の中で生き残り、大きく育っていたというが、いまの篠原にはとてもそのエピソードを微笑ましくは感じない。
あれはいったい何だったのか?
ホヤはもちろんパラサイトではない。形態はホヤとよく似ていたが、まったく異なる生態なのだろう。オタマジャクシ型の魚は幼生というより、一種の「幼虫」であり、人間に取りつくことで一体化し、変態する。ゾンビ化した人間を操ってドリームランドの水槽まで運び、群体性のホヤを想わせる母体に吸収する……
ただ、判らないのは幼虫を運んできた男の正体だ。やはりゾンビ化され、操られていたに違いないが、憑かれた後のレゲエマンよりは、はるかに高度なコミュニケーション能力を有していた。もしかすると、アリに様々な役割が分担されているように、幼虫をばらまく役目の怪物が存在するのだろうか。母体に取りこまれぬまま、単体性のホヤに足が生えて、歩き回るかのように。
遊園地から距離のある篠原の店へ出現したのは、ひとつは幼虫をストックできる水槽が目当てであり、また異様に降り続く雨が、遠くまで出歩くことを可能にしたのだろう。そうしてあいつは母体が消滅した今でも、闇と湿度に紛れて、どこかをそぞろ歩いているのかもしれないが、もうそれ以上は考えたくなかった。
篠原には、けれども決して忘れられないだろう。
あのおびただしい悲鳴に混じっていた、裕美子の声を。(終)




