✕✕の味
「ほんとに信じられない」
「何がだよ」
「アンタにおかゆを作ってもらうっていう状況が、よ」
弓坂優愛、一生の不覚。それは、いちおう彼氏の、本田耕輔に風邪の看病をされている、という現在の状況だ。
季節の変わり目は体調を崩しやすいと言うけれど、まさかそれを我が身で実感するときが来ようとは思ってもみなかった。きっと、今年は寒暖の差が激しかったから、そのせいで余計に体調を崩しやすい状態になっていたのだろうけれど。
「いいだろ、たまには。せっかく風邪をひいたんだし」
キッチンから顔だけ覗かせて耕輔がにやりと笑う。
「まるでわたしに風邪をひいてほしかったみたいな言い分ね」
「たまにはいつもと違うシチュエーションってスパイスも重要だろ?」
ああ言えばこう言う。なんでコイツはなんでも自分の都合のいいように言い換えることが出来るんだろう。
「バッカみたい」
布団を頭までかぶって、耕輔の存在を忘れようとするけれど、それは徒労に終わる。アイツが、わたしのために料理をしている音が聞こえてくる。それだけでなんだか胸が苦しくなる。罪悪感なのか、それとももっと別な――いや、これ以上はやめておこう。
「出来たぞー」
「ん……」
素直にお礼を言うのも気恥ずかしくて、わたしは不機嫌そうな表情を作りながら半身を起こす。茶碗を受け取ろうと手を伸ばしたら、ひょい、とそれをかわされた。
「ほら、口開けて」
「え?」
耕輔が、レンゲでおかゆを一口分だけすくうと、わたしの口元に寄せる。
「あーん」
「……え?」
「あーん、って。食べさせてやるから」
なっ……!
思わず絶句してしまう。
そんなこと、恥ずかしくて出来るはずがない!
「いっ、いらないわよ! 自分で食べる!」
「だぁめ。ほら、あーん」
「……っ、!」
なんで病気って人を弱くするんだろうか。押しの強い耕輔に根負けして、わたしは小さく口を開いた。ふーふー、と、おかゆを冷ましてから、口に運ばれる。
「……うまい?」
「おかゆを失敗する人は少ないと思うけど」
精一杯の強がりを言ってみせる。けれど、熱と、照れのせいできっとわたしの顔は真っ赤だ。説得力なんて、微塵もない。
「素直じゃないなぁ」
くすくす、と笑いながら、また耕輔がおかゆを指し出す。
「なんか……小さい頃を思い出す」
「ん?」
「……子供の頃、風邪をひいたらお母さんがおかゆを作ってくれて……食べさせてくれて……」
たまに見せる優しい視線でこちらを見るから、熱で朦朧としてまともに思考回路が働いてないから、だからきっと、こんな昔話をしてしまった。
懐かしい、子供の頃の記憶。自立して、一人暮らしを始めてから、仕事が忙しくてなかなか顔を見に行けない家族の顔を思い出す。
いまは何をしているんだろう。心配かけたらだめだから、体調を崩していることは内緒にしてある。でも、きっと親というものは子供がいくら隠そうとしても、何かを感じ取ることが出来るような、そんな気がする。
「今度、挨拶に行かなきゃな」
「……へっ?」
突然の耕輔の言葉に思考が停止する。
「必要だろ?」
「なっ……えっ、なに、言って……」
挨拶って……両親に?
それってもしかして、遠回しな――
かああああっ、と、顔が熱くなるのを感じる。どうしよう。ごまかさなきゃ。恥ずかしいなんて、ちょっと嬉しいかもしれないなんて、耕輔には知られたくない。
黙ってしまったわたしのおでこを、耕輔の指が軽く弾く。
「ばぁか。マトモに受け止めるんじゃねえよ。お前の両親とは中学の時からの付き合いじゃんか。今更」
「――……!」
今度は怒りで顔が熱くなる。もう! 本気に捉えちゃったから、とんだ肩透かしよ。……肩透かし? 何を考えてるの、わたし。そりゃ、耕輔との付き合いは長いけど……でも……。
「……っ、この、バカ!」
うまく頭が働かなくて、わたしはそんな、子供じみた返事しかすることが出来ない。
「ほらほら、病人は寝とけ。添い寝してやろうか?」
「いらないわよバカ!」
「あんまりバカバカ言うと――」
「え? ……っ」
耕輔の顔が近づいて、ちゅ、と唇を軽く重ねられる。
「はい、おやすみ」
ぽんぽん、と頭を撫でて、耕輔は片付けをするためにキッチンに引っ込んだ。
残されたわたしは、少しの間ぼーっとしたあと、もそもそと布団に潜り込む。
「……ほんと、バカ」
アイツも、わたしも。