3-02 夜の恐怖再び
近くに居た敵も倒して、一時の安全を確保した俺は、早めの食事をとってスタミナを回復し、食人木の残骸(なぜか乾いていた)を利用して火を起こし、仮眠を取ることにした。
焚き火の中でパチパチと木が爆ぜる音を聞きながら、毛布にくるまって目を瞑る。最低でも三時間は眠らないと、睡眠不足状態になってしまうため、結構重要だ。
眠ると言っても、さすがに敵地のど真ん中で熟睡などできないので、仮眠程度の意味しかない。
二か月の準備期間中に、何度か野宿もしている。その際、何度か痛い目にも遭いながら、眠りながらも敵を察知できるようにはなった。そんな状態でも、三時間眠ればペナルティがない事も確認済みだ。
都合のいいことに三時間睡眠を継続しなくても、二十四時間内で最低三時間の睡眠をとっていれば大丈夫という話もある。
そうして、早い時間から眠った俺は、三時間経過のアラームで目覚めた。どうやら敵襲は無かったらしい。さすがに万全とは言わないが、減っていた体力も回復している。
これが現実なら夜間の移動などありえないのだが、腕輪機能のマップがあるため迷う心配は無いし、動かなくとも襲われるときは襲われるので、ここで野営するメリットも少ない。そんなわけで行軍再開である。
辺りはすっかり暗くなり、木々の合間からキラキラと星が瞬いている。女性と二人で歩いていれば、さぞ良いムードになれたのではないかと思える光景だ。
ただ、言うまでも無く俺はひとりである。俺が草を踏みしめて歩く音以外は無い、不気味なほどの静寂。
夜空を見上げて気分を誤魔化してみたが、先ほどから妙に寒気がする。嫌な予感は少し前からほぼ確信に近いものとなっており、一刻も早く林を抜けるべきだと警告してきている。
不安に耐えきれなくなって、今にも走り出したい衝動に駆られる。
そんな時、視界の端でフワリと白っぽい何かが動いたのを捉えた。俺はその場で立ち止まって短剣を構え、警戒に入る。
ゆっくりと周囲を見渡すが、何の姿も見当たらない。虫の音どころか枝葉の擦れる音すらしない。
(気のせいか?)
そんな事を考えた瞬間、背後にゾワリと不気味な気配を感じた。
俺は条件反射のように気配のした方へ、振り向きざまに短剣を振るう。
そして見た。ぼんやりと白く浮かび上がる人の顔のようなものを……。
そこに居たのは、手足どころか体も無い。ただ白い靄に人の顔が浮かび上がったような何か。
俺の振るった右手の短剣はそれを真横に切り裂いたが、まるで手応えが無い。短剣はそのまま通過して、相手は一瞬だけ横一文字に切れたように見えたが、すぐに元通りに戻ってしまった。慌てて腕輪機能で敵を確認すると
『ゴースト Lv42』
そう表示された。
ゴースト。ゲームではおなじみの敵ともいえるソレは、多くの場合、実体を持たないため物理攻撃が効かない事が多い。目の前にいるコイツも、どうやらその例に漏れることは無いらしく、ダメージを受けた様子も無い。
『ぅぉぉぉ……ぉぉ』
俺の動揺を意にも介さず、宙に浮いたままこちらへ近づいてくるゴースト。せめて牽制くらいはできないかと、もう一度剣を振るおうとしたが……、なぜか右腕の肘から先の感覚が無くなっていた。
見た目上は何の問題も無い。だが、動かそうにも剣を握りしめた状態から指一本動かせないのだ。文字通りピクリとも動かない。
短剣を握っている感覚も、力を込めている感覚も、何もない。まるで石にでもなってしまったかのようだった。
「クソッ!!」
そう吐き捨てて、反転、走り出す。
今の攻防で直接攻撃では倒せない可能性が高く、現状全く打開策が思い浮かばない。触れれば、今右腕がそうなってしまったように、動かなくなるのだろう。これがただの状態異常なのか、時間が経てば治るものなのか、それとも永続的なものなのか、それすらわからない。できることは逃走しか選択肢が無く、背後から追ってくる気配を感じながら、全力で走った。
だが、このとき俺は重要な事を忘れていた。
以前、城の外で初めて夜を迎えた時、何が起こったか。そして、それはどういう事態を招いたか。最近はほとんど格下としか戦っていなかったため、警戒心が薄れていた。そのため覚えていなければならない教訓を、あろうことか忘れていたのだ。
俺が脇目も振らず必死に走っていると、急に前方に何かが現れた。
前だけじゃない。右にも左にも斜めも上も、様々な場所から、湧き出すように白っぽい半透明のソレは現れた。ソレはゴーストの群れ。
生者である俺を逃すまいと、恨めし気な表情で包囲してくる顔、顔、顔。男か女か、大人か子供か、いちいち判別する気も起きない程の大群が迫ってくる。
あっという間に取り囲まれそうになった俺は、あまりの不気味さに悲鳴を上げそうになりながらも、なんとか見つけた合間を脚力にブーストをかけながら潜り抜けた。
走っても走っても追ってくる。あらゆる場所から唐突に現れて、俺を捕えようと近寄ってくる。
そこでようやく、俺は夜の恐ろしさを思い出した。異常なほどに湧き出してくるカーニヴォラスモウルの群れ。斬っても斬っても新手が現れ、終わりの見えない恐怖。
もしこのゴーストがソレと同じなら?戦って数を減らすこともできず、ただひたすら逃げる事しかできない現状で、無限沸きなどされればどうなる?
そんな事を考えた瞬間、ゾクリと右肩の辺りに悪寒が走った。見ればいつの間にか現れたゴーストの一部が右肩に触れていた。
「ヒッ!!?」
思わず怯えの声が漏れ、その場から離れた。そうして、再び林の出口に向かって走り出す。もう景色を楽しむ余裕どころか、打開策を考える余地すらない。あるのは何もできないまま殺されてしまうかもしれないという恐怖のみ。
既に右腕全体の感覚は完全に無くなり、走るたびに、右手に握られた短剣が自分を傷つけそうになるため、途中、左手で右手の短剣を抜き取ってからアイテムインベントリに戻した。
唯一残った理性はマップでのルート確認に費やされ、ただひたすら情けない姿を晒していた。
だが、そんな俺に対して慈悲などあろうはずもなく、逃走劇は強制中断されることになる。
何の前触れも無く、ガシリと足を何かに掴まれ、勢い余った俺はそのまま顔を地面に強かに打ち付けた。
激しい痛みが顔面を襲い、その場で悶える。なんとか痛みを堪えて足を視認すれば、そこには木の枝が巻き付いていた。
『マンイーティングツリー Lv40』
昼間も見かけた食人木だった。コイツらは昼夜を問わず出現するのだと、その時初めて気付いた。
俺を完全に捕えようと追加の枝が襲ってくるが、それを左手一本で薙ぎ払い、足に巻き付いていた枝も切り払う。
そのまま食人木を仕留めようと動きかけるが、次々周囲に出現するゴーストを見て、一気に血の気が引いた。怒りよりも安全を優先した俺は、食人木を無視して脱兎のごとくその場から逃げ出した。
そこからはもうひどい物だ。突発的に現れるゴーストの群れの間をあらん限りの速力で突破し、時折嫌がらせのように出現する植物系モンスターに足止めを食らい、なんとか引き離したと思っても気付けば包囲されている。
体中がバラバラになるんじゃないかと思うほど、恐怖によって増幅された疲労感が俺を襲う。意識は混濁し、体を動かすのは「早くここから逃げなければ」という意志のみ。
体の動きが鈍くなってきたのを感じて、そこでようやく空腹ペナルティがかかっているのに気付いた。慌ててインベントリから適当な食い物を取り出し、口へ放り込み水で流し込む。
その間も走り続けていたため、結構な量の水を無駄にしてしまったが、多めに準備していたのでまだ大丈夫のはずだ。
以前なら疲れる感覚などほとんどなかったのに、今では相応に感じる。気のせいかもしれないが、徐々に体の感覚が現実のものと大差が無くなっているような気がする。
ゲームアバターという事で、現実の体との差異から、極僅かながら感じていた違和感も今ではほとんど感じない。まるで仮想の肉体が、本物の自分の体になりつつあるような、漠然とした不安を感じることもある。
疲労のせいか、ネガティブなことしか浮かんでこない。考える余裕など無いのに、嫌な想像だけは止まってくれない。
もう何度目かもわからなくなるほどにゴーストによる包囲網を突破した時、ついにマップ上に村の存在が確認できた。間違いなく、目指していたヨモ村である。
萎えかけていた気力が一気に甦り、肉体も本来の能力を発揮する。自分でも単純だと思うが、少なくとも今は特に悪い事だとも思わないので放置だ。
ゴーストにもある程度の思考能力があるのか、唐突に動きが変わった。
何がどう変わったかと言えば、先ほどまで全方位から襲ってきていたものが、背後に現れなくなったのだ。
わざとらしく後ろへの逃げ道を残して、村から俺を遠ざけようとでもしているのか、それともただの偶然なのか。それはわからないが、とりあえず……
「隙間があるなら押し通る!!」
ヤツらは宙に浮いているため、低い場所なら通り抜ける事は可能だ。もちろん相応にリスクはあるが、このまま長時間逃げ続けるより現実的だろう。
そう自分に言い聞かせてゴーストの群れへと突っ込む。体勢を限界まで低くして、ギリギリのタイミングで【怪力】とブーストを発動させる。いい感じに集中力が研ぎ澄まされているため、一発で成功させた。
地面スレスレを短時間跳躍し、第一陣を突破した。その後、同じことをされないように地面に張り付いたゴーストたちを嘲笑うように、筋力に任せて高々と大ジャンプで飛び越え、狙い澄ましたように襲ってきた食人木の枝を逆に利用して、さらに距離を稼ぐ。
一時的とはいえ、背の高い林の木々を飛び越えて見る風景はなかなかに良いものだ。目を凝らせば遠くに淡い光が見える。おそらくあれがヨモ村だろう。ただ真下の地面を覆い尽くさんばかりの白い靄の群れが見えたのは余計だったが……。
どうやら木よりも高い位置には来られないらしく、悔しそうに立ち往生しているゴーストを後目に、なんとか合間を縫って大ジャンプを繰り返しつつ、【怪力】の効果が切れる30秒ギリギリで、ついにヨモ村に到達した。
ヨモ村は申し訳程度に動物除けの木製壁が作られた場所だった。
村と言うより集落と言った方がしっくり来そうなほど小規模で、村を覆うように等間隔に点々と木製の灯篭が設置されており、村の周囲を温かく照らしている。
ゴーストたちはその光が苦手らしく、こちら側に入ってこない。さっきジャンプしたときに追ってこられなかったのも月明かりがあったせいか?
……あれ?もしかして、あのまま野営で焚き火してれば、襲われなかったんじゃね?
何かとても萎えそうな情報が脳裏をよぎったが、頭を振ってその考えを振り払う。きっちり時間短縮できたし、いい経験にもなった。ちゃんと生きてるし、何にも問題は無い!
「誰だ!!」
俺だ!
いや違う違う。さっきまでの興奮やら恐怖でおかしくなってるな。いろいろと……。
「私は冒険者リケットと言います!こちらに敵意はありません!」
そう言って、俺は誰何してきた相手に対して両手を上げ……ようとして右腕の感覚が無いのを思い出し、左腕のみ上げて無害をアピールする。もちろん武器は収納済みだ。相手は……少々不格好な槍を持っただけの、見た目村人だ。年齢はおそらく二十代前半くらいだろう。
「こんな夜中に来るなど、正気とは思えん。何の用だ?」
「王都アグリーアからトラディへ向かう旅の途中だ。本当はもう少しゆっくり来るつもりだったのだが、トラブルがあって少々予定が早まった」
「……お前ひとりか?」
「ああ、見ての通りお一人様だよ」
「…………」
無言の圧力とかやめて!不審な物を見るような目で見ないで!
「さっきまでゴーストやら食人木に追い掛け回されて疲れている。できればどこかで休ませて欲しい」
「小さな村だ。宿泊施設なんて上等なものは無いぞ」
「それならそれでいいさ。襲われたりしなければこの際どこでもいい」
「じゃあ悪いがソコの灯篭付近で寝てくれ。ゴーストは光に近寄ってこないからな。さすがにアンタをすぐに村の中へ入れるわけにはいかない。信用するだけの確証が無い」
そう言って村人が指さしたのは村の外壁よりさらに外に設置された灯篭のうちの一本だ。よく見れば、今俺が話している人以外にも、数人が松明の火が消えないように番をしている。
まぁ近寄ってこないとはいえ、村の周囲にあれだけ大量のゴーストが蠢いていれば、見張りも立てず安眠などできないだろう。もしも灯篭に何かあれば、そこからゴーストが侵入してくる可能性もある。
ふと、あの灯篭を俺が壊したらどうするつもりなのだろうかと考えたが、おそらく何らかの対策はあるのだろう。だからこそ、そこで寝てもいいと言っているのだと思う。もし壊したら完全に敵認定されるだけだろうし、やらないから関係ない。
「わかった。世話をかける」
「……」
何とも言えないような微妙な表情をされたが、正直体も心も限界のため、さっさと言われた場所へ移動して毛布を取り出し、それに包まって寝る。
ゴツゴツした地面の上だと言うのに、俺の意識はあっという間に眠りに落ちた。
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