01 ―― とりあえず朝食を
柔らかい。
暖かい。
それが、ウィンドが気付いた最初の事だった。
暖かくて柔らかい寝具に包まれているのだと理解する。
だから判った。
これは夢だ、と。
薄くて硬い寝床や、湿って冷たい毛布 ―― 野営でも、或いは宿や情報屋の所(家なんて言いたくない!)でだって、それが寝床だった。
酷い時は馬小屋に放り込まれて、「鳥っ子は藁の巣が一番だろ」なんて言われた事もあった。
だからウィンドは、これが夢だと理解した。
夢ならもっと見ていたい。
大きな蜘蛛に捕まった所までは覚えていた。
真っ暗い、どこまでも暗く閉ざされていたのを覚えていた。
だから納得したのだ。
夢を見ているのだ、と。
死んで生きるまでの時間にまどろんでいるのだろうと。
いっそこのまま永劫に囚われていたい。
そんな願いを愚かというのは簡単だろう。
だが、日常のみを過ごしてきたウィンドの様な乙女にとって、この世界に来てからの日々は過酷過ぎるものだったのだ。
であれば、絶望に囚われ安息を望むのも仕方の無い話ではあった。
だが、である。
実体の伴わない絶望などというものは簡単に破られることがあるもの事実である。
例えば寝起き空腹の下で芳醇な香りを嗅いだ場合などで。
「・・・・・?」
鼻腔をくすぐる匂いが、無意識のままに体を起していく。
肉を焼く匂い。
野菜を焼く匂い。
何かを煮込む匂い。
香辛料が大量に使われているのは、その匂いからも判る。
パンが焼ける匂いも混じっている。
嗅ぐ者に、豪勢とは言わぬまでも立派な食事が作られているのを教える匂い。
クンクンと鼻が自然と匂いを集めだす。
肉体の欲求は、主の感情を容易に裏切るのだ。
そして、クゥっという可愛らしい音が鳴った。
「 ―― お腹が空きました」
何とも散文的な言葉を漏らして、乙女は目を開いた。
見えたのは、見た事の無い柔らかそうな寝床、うつ伏せに眠っていた自分。
ゆっくりと周りを見る。
腕の中に居るビスノスカ。
ビスノスカだ。
寝癖が付いた金糸の様な髪と、柔らかそうなほっぺた。
緊張も無く緩んだ口元。
あどけない、天使の様な寝顔をしている。
素直に、可愛いなぁと思うウィンド。
だがその瞬間、一気に意識が覚醒する。
「ビスノスカ!」
叫びは、飛び起きる勢いだ。
蜘蛛に襲われた時の様がフラッシュバックしたのだ。
ビスノスカをぎゅっと抱きしめるウィンド。
この小さな少女は、ウィンドがこの世界で見つけた唯一の大切だったのだ。
家族のように、妹のように思っていた。
であればこその反応も、至極当然だろう。
状況が判らぬままに警戒心は一気に高まり、その気分に突き動かされる様に翼は周りを威嚇する様に大きく動く ―― 動かない。
居る部屋、テントは一辺が2mも無く狭すぎたのだ。
カッツンカッツンとポールやらシートやらにぶつかっている。
「え?」
大人2人でも入れば一杯一杯になりそうな狭い空間、それはウィンドが今まで見たことの無いモノだった。
否。
テントというモノはウィンドとて見たことはあった。
だがそれは、翼人と呼ばれる人で言う背中の肩甲骨から1m近い羽を生やした人向けの巨大なものであるのだ。
こんな小さな場所、牢獄かっ! 捕らえられたのかっ!! と脳味噌が暴走したのも、仕方の無い話であった。
よく見れば出入り口も簡素なシートだし、天井にはベンチレーターもあるしと全然もって牢獄風では無いのだが、盛り上がってしまえば仕方が無い。
乙女の気持ちが暴走しては仕方が無い。
だから、騒いだ声に誘われて、入り口のシートからヒョイとサムライが顔を出したのも仕方が無い話だ。
「おっ、起きたのか?」
突然顔を出したヒゲ面に、思わず凍りつくウィンド。
ヒゲ面、胡散臭い、私達は美女美少女、貞操の危機 ―― 殆ど刹那の時間でそこまで連想するのは、年頃の乙女故にだろうか。
最後が裸に首輪で地下室に行く辺り、想像力が豊かなのだろう。
斜め上方向に。
「きっ!?」
「き?」
「キャァァァァァアァァァァァァァァ!!! 変質者ぁぁぁぁぁぁ!!!!」
思わず、金切り声を上げたのも、乙女故と思えば、仕方が無い話であった。
「すいませんでした」
身を小さくして謝るウィンド。
心持ち羽も小さく身に寄っている辺り、何と言うか鳥系な翼人というよりも獣人系小動物人という按配である。
「早合点はウィンドの悪い癖よ」
その隣にはプンプンと怒っているビスノスカ。
というか、小柄なビスノスカが大きなウィンド相手に、子供が大人ぶって話しているのだ。
それも真摯に相手を案じながら。
「前もそれで失敗したわよ」
「でも、心配だったんですよ」
「うっ、それは、その、嬉しいけど」
怒り怒られての反省会。
起きてきてかれこれ10分以上も続いている2人の姿に、この場に居る誰もが微笑ましさを感じていた。
それは、被害者といって良いサムライもだった。
2人のに向かい合う場所に座って笑っている。
変質者扱いはタマラナイが誤解が原因であるし、そもそも声がしたからとは云え女性のテントを覗くのは良くなかったと反省してもいた。
なので、延々と怒られていてはウィンドが可愛そうだとサムライは2人の会話が一巡した頃合を見計らって、近くに居た女性に目配せする。
食事の仕度をしていた女性は、委細了解と言わんばかりに微笑んで頷く。
「我が君、食事の仕度が整いました」
「ああ、すまない。」
鈴を転がす様なという形容詞の似つかわしい涼しげな声に、鷹揚と頷くサムライ。
だが、残る2人はびっくりしていた。
何故なら女性は、線が細く小柄な体を大きめの野良着 ―― 灰色を基調とした厚手の上着とズボンという野暮くさいモノを羽織り、その上に白いエプロンを纏った、有体に言えば美少女だった。
銀糸の如き髪をひっつめにしている。
美醜だけで言えばビスノスカもウィンドも中々の美人ではあったが、この女性の場合、整った顔が妖精めいた、人あらざる雰囲気を漂わせているのだ。
2人が驚いたのも当然だった。
名前はツィー。
サムライが連れてきていた3人の支援チームで唯一の女性だった。
「お人形さんみたい」
素直な感想を述べるビスノスカ。
だが彼女とて、それが正鵠を居ていたとは思わないだろう。
ツィーは実際、ヒト ―― Cでも根の民でも無いのだから。
賞賛(?)に、ツィーは素直に頭を下げた。
食事である。
焚き火の周りに椅子が4脚と椅子代わりの箱を並べて集る。
サムライにツィーと2人の男、そしてビスノスカとウィンドの5人が集った。
先ずは改めて、と自己紹介をするサムライ。
「C、サムライ・エッジだ。今は探査組だ。この3人は俺の支援チームだ。女性がツィー。男性はエリックとジャンだ」
サムライの言葉に3人も簡素な自己紹介をする。
「ツィーです。身の回りはお任せください」
そっと頭を下げるツィー。
「エリックだ。宜しく、お嬢さんたち」
豪快に笑うエリック。
「ジャン」
少しだけ神経質そうな感じを見せるジャン。
共に大男という訳ではないが、鍛えられた筋肉質な男たちだ。
年の頃は30を過ぎたばかりかという、働き盛りだろうか。
赤に近い髪をしているエリックと、短く刈り上げて眼鏡を掛けているジャン。
そのジャンの肩をエリックはコツンと裏拳で叩いた。
「ジャンは根は悪い奴じゃないんだが、言葉が少なくてな悪く思わないでやってくれ」
「苦手、なんだ」
「そういう事で、な」
ムードメーカーという訳ではないが、よく笑っているエリック。
ジャンは釣られる様に、小さく笑っている。
良いコンビの様だ。
既に面識のあるビスノスカが、ウィンドを先導するように声を出す。
「ビスノスカです。改めて、宜しくお願いします」
そして視線でウィンドを動かす。
「うぅウィンドです。その、よっ、宜しくお願いします」
朝の騒ぎもあってか、恥ずかしさと緊張で、舌の良く回らないウィンドに、サムライはそこまで緊張する必要は無い、と告げる。
「君たちの状況はビスノスカから聞いている。同じCだ。大誓約もある。何とかしてみせる。だから、先ずは食事にしよう」
空腹は悲観主義に陥るから、空腹でモノを考えるのは良くない、と言って朗らかに笑った。
サムライの言葉を合図にして、ツィーが各々に配る食事。
竈で炙りなおしたパンに焼いた肉と野菜とを挟んだホットサンドのようなモノが主食で、後はカップに注がれたスープがある。
美味しそうな匂いが食欲をそそる。
だが、ウィンドだけは違う。
ツィーがウィンドに渡したのは、やや大きめのカップ鍋で、そこに入っているのは真っ白な、お粥だったのだから。
他の面々は、それこそビスノスカにだって大き目のホットサンドがあるのに、自分には匂いの殆どしないお粥なのだ。
素直に、酷いと涙目になりそうになるウィンド。
この世界に来て、初めて普通の食事が食べられると思った矢先なのだから、それはそれはショックが大きいというものである。
「あっ、あの、コレって」
だがその声は抗議というには極めて弱弱しかった。
尤も、ツィーの耳にはしっかりと届いており、返事は、我が君の指示です。というものであった。
慌てて自分を見るウィンドに、サムライは説明をする。
今のウィンドは体調が落ちているから、重い食事は禁物である、と。
「そっ、そうなんですか?」
「ああ。自覚は無いかい?」
問いかけられて、体を動かして見るウィンドだが倦怠感以外の違和感は感じなかった。
だから大丈夫ではないか? と確認すれば、サムライはその倦怠感こそが理由であると教える。
即ち、魔力収奪である、と。
「君が捕まっていた蜘蛛だが、奴らは肉も食うが先ずは魔力を喰う」
そして魔力を吸われたCや根の民は、ヒトとしての根っこの部分が衰弱してしまい、四肢五臓六腑と力が失われ、機能不全の状態となってしまう。
そんな状態で普通の食事をしては、消化しきれずに嘔吐し、或いは苦しむ事になる。
それがサムライの説明だった。
「そっ、そうだったんですか」
元気の無い声で頷くしかないウィンド。
自身としては、寝起きで少し調子が悪いかな? という程度に考えていたのだから仕方が無い。
羽も地に着こうとばかりに元気を失っている。
「元気を出せ。朝食を食べて栄養剤を飲めば昼までには回復するか___」
「そうなんですかっ!!」
大喚起と言わんばかりのウィンドにサムライもエリックも笑い、ビスノスカは恥ずかしそうに顔を隠していた。
食事を食べての一服、砂糖とミルクマシマシの濃い珈琲がふるまわれる。
猫舌で啜るというかぺろぺろと舐める様に飲むビスノスカと、此方も刺激物厳禁という事で薄い緑茶を渡されたウィンド。
サムライは、2人に断ってから細葉巻を取り出す。
銘柄はクラブマスター・ミニバニラ。
鈍い銀色のZIPPOが火を点せば、珈琲に混じって甘い、バニラな香りが漂う。
ゆっくりと吸い、そして吐く。
足を組み、重心を背もたれに預け、リラックスする。
サムライは実に楽しそうに口元を歪めた。
「悪いね、食後一番の楽しみなんでね」
探索中や移動時には吸えないからね、とも。
タバコは匂いがキロ単位で離れた場所まで届くので、探索屋として動く際には何日も吸えないのだ。
そんな3人とは別に、ツィーやエリックは忙しそうに動いている。
具体的には、この拠点の撤収作業だ。
3張りのテントや野外トイレ、諸所の道具を手早く片付けていっている。
自分たちだけノンビリとしていて良いのかとウィンドは肩身を狭くしている辺り、人間の性というものが真っ直ぐなのだろう。
対してビスノスカは泰然としており、この辺り、育ちの良さ ―― 他人にしてもらう事に慣れた人間の様であった。
ともあれ、サムライ一服のひと時。
ゆっくりとした動作で銀色の携帯灰皿に灰と吸殻を入れる。
組んでいた足を解き、背筋を伸ばす。
「さて、じゃぁ今後の事を話そうか」
雰囲気が変わる。
軟から硬へ。
その空気にあてられて、ビスノスカとウィンドも背筋が伸びていた。
表情も心持ち、硬い。
尤も、サムライが話だした事はそんな重くも硬くも無い話ではあったのだが。
「とりあえず広域探査拠点に戻る。あそこは一通りのインフラが揃っているから、2人とも衣服は購入できるから、それまでの辛抱だ」
小柄なビスノスカはツィーから予備服を下着からナニまで借りて着ており、その上にサムライの迷彩服を羽織っている。
全体的にはブカブカで、だがそこがチャームポイントに成っている。
対してウィンドは、情報屋に与えられた粗末な服のままだった。
タンクトップ風のインナーに、割烹着風の構造をした野外服を着ている。
此方はサイズこそ合っていたが粗末過ぎて、悲惨の一言であった。
女性なら先ずは服だろうというのが、サムライの発想。
そこから魔法屋に行って隷属の首輪の主を調べて、お話をするという。
「長くても1月程度でケリはつく。そうしたら自由だ」
だからそれまでは辛抱してくれよ、というサムライ。
その言葉に、嬉しくて堪らないという表情を見せるビスノスカだったが、ウィンドは違っていた。
睨むまでの強い意志は無いが、猜疑の目でサムライを見る。
恩を売られて、情報屋の変わりにサムライが自分たちを好き勝手にするんじゃないかと警戒している ―― そんな眼差しだ。
世の中に無条件の善意なんて無い。
或いは、タダほど高いものは無い。
それを理解する顔だった。
食べ物絡みで駄目駄目で、他にもへっぽこな所を見せるウィンドだが、見識は備わっていた。
そっとビスノスカを護る様に動く様子からも、その気持ちは判りやすい。
だからサムライは笑う。
「信用し辛いかもしれないが、俺たちは、それを誓っているのさ、大誓約を、Cの互助を」
「さっきも言ってましたよね、ソレ。ナンなのですか?」
「言葉通りさ。俺たちCはカミサマにオモチャとして呼び出されたか弱い人間の集団だ。だからこそ助け合う事を選んだ。カミサマをぶん殴る為に」
この世界にサムライら最初のCが召喚された時、身を助けるものは何も無かった。
塔を上る為のツール、衣食住、そして武器を揃える事の出来るハイ・エルフ、ハイ・ドワーフ、ハイ・ノームの3群族による根拠地こそ存在していたが後は何も無かった。
群れ成して社会を構成し、集団たる事こそ人の強みであるにも関わらず、その社会基盤は何も存在していなかったのだ。
法も秩序も無い時代。
魔物と戦い、殺し殺される獣の様な日々。
稀に他人に殺され、そして生き返る地獄の様な日々。
それが混沌の第1紀。
だからこそ、生まれたのだ。
公助はあり得ないし、自助じゃ間に合わない。
余力のある者が余力を持って余人を助ける共助、大誓約が。
「とはいえ信じがたい、か?」
ウィンドの微妙な顔を見て、サムライは苦笑いを浮かべた。
それも仕方が無いと思いつつ。
誰だって自分が第一だし、自分が可愛い。
特に法的秩序の無い世界であればなお更に。
「はい、正直に言えば ―― 」
言葉を濁すというか、選ぼうとするウィンドだが、それにビスノスカが笑顔で口を挟んだ。
大丈夫に決まっている、と。
自信満々といった按配である。
だが、それがウィンドには危機に救われて抱いた妄信に見えた。
「駄目ですよ、ビスノスカ。簡単に他人を信じては」
噛んで含める様に言う姿は、実にお姉さんをしていた。
だが、妹は退かない。
何故なら、理由があるから。
証拠があるから。
それは ――
「色仕掛けをして断られた、ってナンですか!?」
「うん。オッパイ見せて何でもしますって言ったら怒られちゃった」
テヘッと笑うビスノスカ。
サムライは格好良かったとも、お父様に怒られたみたいだったとも言う。
ギギギっと、油の切れた機械の様な仕草でサムライを見るウィンド。
サムライは枯れた顔で静かに肯定する。
「まぁ、色々とあった」
その瞬間、ウィンドは切れた。
盛大に切れた。
ブチギレタ。
顔を真っ赤にしてぎゅっとビスノスカを抱きしめて、羽を殻にするように身に纏わせて吼える。
「この変質者ぁぁぁぁぁっ!! 小児性愛者ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「すいませんでしたすいませんでした」
ペコペコと頭を下げるウィンド。
その勢いはまるで土下座の様である。
2度も変質者扱いされたサムライだが余り怒っては居ない。
それどころか、ビスノスカを護ろうと思う余りの暴走であると思えば微笑ましさ、或いはアカの他人の為にそこまで思えるウィンドの優しい心根に感心する気持ちがあった。
尤も、その余りの暴走と反省っぷりに、稚気をもよおしてはいたが。
「ま、誰しも誤解はあるよ。誤解は。だけど色仕掛けを拒否して変質者扱いとか、実に新しいと思わない?」
「本当にすいませんでした」
更に頭の下がる角度の深くなるウィンド。
そしてその隣には怒れる人が約1名。
ビスノスカだ。
プンプンプリプリっと怒っている。
「早合点は禁止!」
腕を組んでの仁王立ちである。
似合っているが、実に微笑ましい。
というか実際、サムライは小さく微笑んでいた。