04 ―― 玻璃の涙
自分がモノではなく人である事を、そしてロシア人である事を認められた ―― そう感じたビスノスカは、それから機関銃の様に様々な事を口にした。
好きなものは母親の手作りであるババだという事。
だけどフィギュア・スケートをしているのでたくさん食べれないとか。
犬のビエーチは真っ白な犬で、可愛くてたまらないという事。
でも父親の車でドライブする時は、興奮して動き回るから大変だとか。
色々な事を口にし、そして口にした事で故郷への思いが溢れてしまったのだろうか。
両手で両足を抱きこむ様に身を丸め、さめざめと泣き出した。
「父様、母様、ビエーチ」
父と母、そして犬の名を小さく呼ぶその姿は、正に家路に迷った幼子だった。
川のせせらぎに混じる小さな小さな泣き声に、サムライは困っていた。
心の底から困っていた。
泣いている女の子を慰める経験なんて、トンとした事がなかったのだ。
サムライは平和な日本の極普通の家に生まれ育った若者であり、この世界に拉致された時点でまだ高校生でしかなかった。
そこから、帰るために戦いぬいてきた。
殺し殺され、生き返り、そして塔を登ってきた。
最初は1人で、仲間を得てからは、皆で。
只々、戦ってきた。
それ故に切り込む者と呼ばれ、それを名乗ってきた。
積み上げられた戦闘経験は、サムライにどんな相手であれ戦って対処していけるだけの度胸と技量とを与えていたが、その代わりに他の部分は、泣いている女の子を慰める様な事すら出来ない子供のままだった。
故に、泣きやませてやりたいとは思ってもその手段を思いつかない。
言葉を思いつかない。
自分がどうであったか? などと考えてはみても、そんな古い話なんて覚えていない。
思い返せば、絶望と恐怖とヤケクソと、ただ我武者羅だったとしか覚えていないのだ。
これでは気の利いた言葉が出てくる筈も無い。
悲嘆にくれて泣く乙女にどう言葉を掛けて良いか悩んだサムライは、1つ頭を掻くと言葉より行動だとばかりに動いた。
「あっ」
そっと、その小さい体を抱きしめたのだ。
胸に引きこみ、髪を撫でる。
ぎこちない手つきではあったが、そこには紛れも無い優しさがあった。
どれ程に泣いた後だろうか。
「大丈夫です」
ビスノスカは枯れかけた、だが湿気の篭らぬ声で謝意を口にした。
サムライが手を離すと、涙の滲んだ眦の端をそっと撫で拭き笑顔を浮かべる。
「ありがとう御座いました」
躁から鬱へと入り、そして立ち直ったビスノスカはそれ故に思い出した。
自分の大切な相方を。
慌ててサムライに尋ねる。
自分と一緒にもう1人居なかったか、と。
「一緒だったんです」
深呼吸をして、アラクネに襲われた時を思い出す。
悲鳴と怒声。
男達が次々と殺されていく中、ウィンドと自分は蜘蛛糸によって梱包された。
逃げようとしても暴れても糸は切れず、そして何時しか気絶していた。
「Cか?」
「翼あって、優しくて、綺麗な、ウィンドなんです」
必死にすがり付いてくるビスノスカに、サムライは唸る。
覚えていなかった。
気付いていなかった。
翼持ち、即ち翼人は特徴的であり、最初の死体時には居なかった。
「んー」
魔力の残滓を追って突入した地下迷宮は蜘蛛の巣。
速度優先で捜索していたお陰で、ある小部屋で要救助者を生きたまま発見できたが、その時点でアラクネに襲われているのを発見。
この為、緊急時故にと周囲を確認する事なく戦闘行動へ移行したのだ。
無謀乱暴短慮と言われかねない戦闘の経緯。
更には、戦闘の最中で更なる地下へと落ちているのだ。
歴戦とよべるサムライだが、こんな状況でウィングに気付いている筈も無かった。
傍らの川、その流れの源をサムライは見た。
暗闇から湧き出るが如き流れ。
ビスノスカと共に落ち、アラクネや蜘蛛の追跡を巻く為もあってワザと流されはしたが、脱出の事もあるので落ちた穴からそうそうは離れていない様にしてもいたのだ。
故に川を辿って穴へ、あの小部屋へと戻るのは楽だろう。
サムライは、今日持ち込んでいる装備を頭の中で確認した。
武装に関しては主武装のショットガンを筆頭に拳銃やら刀 ―― 脇差など、密林での近距離戦闘を前提としたチョイスをしているが、この先に待っているのは迷宮戦。
此方も近距離での戦闘が主体となるので特に問題にはならない。
それ以外の装備に関しても、水に濡れはしたが基本的に無事だ。
助けないという選択肢は最初から無かったが、装備面で見て、それが楽に行えそうだというのはありがたい。
そう判断した時、サムライの右手をビスノスカが掴んだ。
否、縋った。
「お願いします、助けて下さい」
サムライの沈黙を悪い風に捉えたのだろう、その声は必死だった。
「一緒に頑張ってきた、大事な友達なんです! だから、だから!!!」
色仕掛けを試みたわけではないだろうが、必死になったビスノスカの胸元が緩み、白い肌が顔を見せる。
と、自分の姿に気付いたビスノスカは胸元のボタンを一気に開ける。
「私に出来る事ならなんだってしますから!!」
湿気交じりの悲痛な声。
その必死さから、ウィンドというのがビスノスカにとってどれ程に大事な友人である事をサムライは容易に理解できた。
そして同時に、他人に助けを求めるのに先に対価を差し出そうと必死になる姿に、ビスノスカがこの世界で受けた苦痛、或いは出会ってきた人たちの質を理解した。
サムライは沈痛さを感じながら、その開かれた胸元に手を伸ばす。
ビスノスカは一瞬だけ身を震わせ、そして胸元を差し出すように体を動かす。
ため息をこぼしたのはどちらだろうか。
そしてサムライの無骨な手は、ビスノスカの胸元のボタンをそっと留めなおす。
そのままサムライは腰を屈めて、その蒼い瞳を見る。
涙を溜めた蒼い瞳は、とても悲しく、そして綺麗だった。
「大人を舐めるな。そして信じろ」
ハッっとした表情でサムライを見る。
溜まっていた涙がツゥっと零れた。
その宝石の様な涙をサムライは指先でそっと拭うと、笑いかけた。
「安心しろ、必ず助ける」
それは見るものを安堵させる、優しく男臭い笑顔だった。
第2次救出作戦を敢行する事としたサムライは己の戦闘準備を開始する。
そして同時に、ビスノスカにも手持ちの装備を分ける事とした。
この場に残すのは論外だし、切り裂かれた服だけで連れて行くのは戦闘が不可避な状況であり得ないからだ。
無事だったのは靴と靴下、そして手袋だけだった。
パンツは切り裂かれた服の切れ端などを使って再生させ、上はシャツをアレコレと捩ってチューブトップ風に胸に巻きつける。
胸はトンと無いのだが、その上に、サムライが着ていた迷彩服を着せるので擦れない様にとの配慮だ。
サムライの。
その手際のよさというか、女の子の気持ちへの配慮ゼロな動きに、ビスノスカの顔は再び沸騰、フリーズする。
必要性も理解しているし、薄手のポンチョ一枚で連れ回されないだけ良いとか考えもあった。
そもそも、その前には色仕掛けすらもしていたのだ、その更に前には裸に剥かれてもいたのだ。
その意味で今更ではある。
だが、幼いとはいえ女の子がソレで納得出来る筈も無い。
特にパンツに関しては触れて貰いたくなかった。
与えられていたのは、道具扱いの延長でか必要最低限度の品質しかなかった為、所々に穴が開き、雑巾の親戚みたいな感じではあったが、それでもパンツであるのだ。
だから自分でしようとしたが、サムライはそれを軽くあしらう。
「簡単な感じだが勘弁してくれよ?」
手早く、あっという間に仕上げられたパンツ。
脱ぎたてではないけど、パンツ。
出来上がっていたパンツを手に呆然となったビスノスカ。
だがサムライ動かなくなったビスノスカの心中を察するのではなく、その動かなくなった事を奇貨として上着から何から一気に纏め上げた。
「コレでよし」
背中をポンと叩かれ、ビスノスカの正気が戻った。
自分の体を見る。
ブカブカの上着、下はポンチョを巻いてスカート風にしてあった。
割りに可愛らしく、動いて見れば動きやすい。
「あっ、有難う御座います」
色々と面倒になって、感謝の言葉だけをビスノスカは口にした。
少しだけつっかえたのはご愛嬌。
「どういたしまして。それから ―― 」
サムライは上着に関する説明をする。
弱いながらも防刃と衝撃緩衝能力を付与した魔法繊維を織り込んでいるので、ある程度は防御力を持つが過信しないでくれ、と。
「そんな貴重なもの、私が着ていて良いんですか?」
「気にするな。鉄火場を防具抜きに連れ回せるかって事だ。それに俺にはセラミックス・プレート入りの防具がある」
胸を叩いてみせるサムライ。
濃緑色のタンクトップの上に着込んだ防具には、ホルスターや様々なポーチの取り付けられていた。
様々なものの具合を確認し、戦闘準備を進めていく。
と、ある事に気付いたようにサムライはビスノスカに尋ねた。
「撃てるかな?」
「あっ、父様に連れられて射撃場には何度か」
差し出されたKEL-TEC KSGを両手で受け取り、しげしげと観察する。
幾度か射撃場で撃たせてもらった祖国の銃器とは異なる、別の発想で成されたデザインを面白いと感じながら構える。
小柄なビスノスカには大きすぎるが、それでもサマにはなって見える。
又、サムライはビスノスカの挙動も見ている。
与えられた凶器に興奮することも無く、トリガーには指を掛けず、筒先を間違ってもサムライに向けないように動かしている。
その様から、最低ラインは保持しているかなと判断したサムライは、一旦、銃を返してもらうと簡単ではあるが各部の説明を実演と共に行う。
安全装置の解除方法に始まって各部の動かし方、ついでにアクセサリーも確認する。
チューブ式のダットサイトは問題なく赤い輝点が点ったが、フラッシュライトは点らない。
尤も、この辺りは兎も角、上の蜘蛛の巣があった辺りは壁などに裂け目があって明かりが入っているので問題は無いが。
サムライはビスノスカに、自分が使っていた手袋をつけさせから銃を渡す。
「後は装填だ」
ハイ、と素直な言葉と共にビスノスカはハンドガードを動かして、通常弾を装填する。
その動きによどみは無い。
落ち着いている。
まだ幼いとはいえ、今まで実際に銃器に触れ、撃った経験があるからこそなのかもしれない。
「どうすれば良いんですか?」
「最後の確認だ。川に向けて適当に撃って見てくれ」
銃器を持つ挙動に問題がなくとも、もう1つ確認するべき事があった。
それは世界律とでも言うべきものであった。
カミサマに召喚されたCは、その生まれ育った世界のモノであれば何だって支援種族であるハイ・ドワーフに作ってもらう事が出来る。
どれ程に高度な技術の結晶であっても、ハイ・ドワーフ族は全くの同じものを生み出す事が出来る。
それが複製という技術だ。
だが、当然ながらも規制もある。
それは複製されたモノで刃物などの単純な武器以外の複雑な道具は、同じ世界の出身者だけしか扱えないというものだ。
カミサマの定めたルール。
故にサムライは銃などを扱えるが、高度魔法文明の作った簡易魔法杖等は使えないのだ。
尤も、抜け道もあるのだが。
生まれた世界の道具そのものではなく、その道具を生み出した理論を元にして、この世界で開発すれば誰もが使えるのだ。
それは一般に魔道具と呼ばれている。
本来、ここら辺の話もビスノスカに説明するべきだと思うのがサムライの性格であったが、冷徹な戦闘者としての判断が、それを後回しにする事を命じていた。
この直ぐ後に戦闘となりそうなので、余計な情報は与えない方が良いとの判断だった。
サムライはビスノスカと世界が近いと感じていたが、全く同じかどうかは実際に使って見ないと判らないのも事実だった。
似た歴史の、異なる世界というのも儘、あるのだから。
だから実際に撃って見る。
それが最も簡単で、そして、判りやすい方法なのだ。
「撃ちます」
宣言と共にビスノスカは筒先を川へと向け、引き金を絞る。
比較的軽い音と共に、銃弾が発射され、小さな水柱が生まれ、消えた。
蜘蛛の巣へと戻る。
そう一言で言っても、簡単な事ではない。
地下川は緩やかな流れとはいえ、その周りは花崗岩の様な岩々で構成されており、実に歩きにくいのだ。
斜めになった岩を這うように進み、或いは岩にしがみつく様にして動く。
それはまるでロッククライミングか或いはフリークライミングの如きものだった。
とはいえ幾つも塔界、迷宮や繋塔とを潜り抜けてサムライにとってはそうでもない。
厄介であっても困難ではない。
問題は、ビスノスカだ。
安物の靴は水に濡れた岩でよく滑り、その細く小さな腕の膂力は自らを支えるのにも難渋する様では、それも仕方の無い事だろう。
尤も、そんな困難な状態であってもビスノスカは悲鳴も怨嗟も愚痴も漏らさず、歯を食いしばってサムライの背を追う。
それは強さだ。
心の強さ。
外見は細いお嬢様風だがその性根は毅いと、 歴戦のサムライをして感心させていた。
或いは面白いお嬢さんである、と。
敵の接近に気を配り、自分の足元に注意し、そして自分と腰を縄で結び合ったビスノスカに指示し支えながら進むサムライ。
と、その視線の先に穴が見えた。
やや上の辺り、暗闇の中で浮かんで見える光の穴だ。
入り口、或いは出口か。
どちらにせよ、この岩渡りはお終いである。
ビスノスカに止まるように告げると、右足のレッグポーチから魔力探知の魔道具を取り出して確認する。
中心にある二つの青い輝点。
少し離れた所に大量に存在する赤い輝点。
どうやら先ほどの場所にウィンドは居ない模様である。或いは、既に魔力を吸収されきって死んだか。
前者である事を祈りつつ、サムライは前進を開始する。
斜面を這い上がり、穴の中を確認。
アラクネや蜘蛛の死体も転がっておらず、戦闘の形跡は見えない。
いや、血だ。
アラクネや蜘蛛の血と体液とが床に痕として残っている。
地上からも比較的近いこの部屋は余り使っては居ない模様だ。
念のため、魔力探知魔道具を確認するが、周囲に敵の反応は無い。
その事に頷いたサムライは、ビスノスカに声を掛け、縄を引いて引っ張り上げていた。
「さて、ここからが本番だ。緊張しすぎるなよ?」
「はい」
緊張を持って周囲を見回りながらKEL-TEC KSGを構えるビスノスカ。
チューブマガジン内の弾は全て通常弾へと装填しなおしてあるので、装填済みの初弾も含めて都合15発は乱射可能だ。
更にサムライは予備としてありったけの弾 ―― 15発を、ビスノスカのポケットに持たせていた。
手に持った凶器の重さを確認するように、何度も握りなおしているビスノスカ。
対してサムライの準備も簡単だ。
蜘蛛の跡を追えるようにと瞼に再び魔法薬を塗り、そして腰の後ろのホルスターから拳銃を抜いただけだ。
それはドスの効いたデザインの、艶消しの黒に塗られた44AutoMagだ。
元の世界では|全自動作動不良発生拳銃なる不名誉なあだ名を持つ銃だが、ハイ・ドワーフの手で生まれ、ドワーフの名銃工によって仕上げられたこの2丁に、そんな問題は発生しない。
そう2丁だ。
左右のホルスターから抜いてスライドを引き、初弾を装填して構える。
弾は両銃共に通常弾であるが.44AMPのパワーであれば、アラクネに対する致命打は無理でも痛打は与えられる。
両手に持った重さに、サムライは薄く笑う。
「さぁ、始めよう」